風のメモワール132
オフ・オフ・マザーグース
2009.4.13

先日から山のようなCDを整理するために
プラスチックケースを外して中身(CDとジャケット)を
テーマ別にまとめる作業がようやく一段落した。

予想していたとおり、すっかり忘れていたCDなどもでてきて、
あら懐かしやで久しぶりに聴いたり、
ときには聴かないままにお蔵入りになってしまっていたものを
聴き始めて時間が経ってしまったりということになっていたりする。

そのなかで10年以上前の
『またまたマザーグース』というCDを再発見して
聴いていたらはまってしまった。

これは和田誠の訳した『マザーグース』に
櫻井順(CMソングの作曲でも有名)が曲をつけたもの。
「またまた」とあるように、これは2枚目で、
最初のアルバムは『オフ・オフ・マザーグース』。
それぞれに60曲が収められていて、合計120曲。
歌手や俳優など、全部違った人が歌っていて、豪華。
今回埋もれていたCD『またまたマザーグース』のほうを聴いていると
あまりに楽しいのではまってしまい、
ネットで新たに見つけた古CDの『オフ・オフ・マザーグース』のほうも
手に入れることになり、これにもはまってしまった。
こんな貴重なCDはちょっとない。

思い起こしてみると、
『またまたマザーグース』を手に入れたのは、
バッハ・コレギウム・ジャパンに参加していた
米良美一も参加していると知ったのがきっかけで、
このときはまだ、あの「もののけ姫」の前で、
プロフィールにも、
「日本では珍しいカウンタテナー」云々とあるだけである。

そのときには、その米良美一など数名分を聴いただけで、
『マザーグース』のほうにはいまひとつ意識が行ってなかったらしい。
今回、まず『またまた』の60曲を聴いて、
なぜそのときにこれに入り込めなかったのか不思議なくらい。

さて、メモワール131でも少し書いたが
「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」も
この『マザーグース』にある"A TRUE LOVER OF MINE"が
もとであることが今回やっとわかった。
ただ、『マザーグース』のほうの歌詞には、
伝統的なバラッドにある
"Are you going to Scarborough Fair?"の節の歌詞はなく、
"Can you make me a cambric shirt,・・・"からはじまっている。

『オフ・オフ・マザーグース』のほうの最後には、
あの「誰が殺したクックロビン」"THE DEATH OF COCK ROBIN"が
収められていて、大変、大変、楽しい歌になっている。
(楽しいとはいえ、歌詞は殺されたコマドリの葬儀の話だが)

「誰が殺したクックロビン」は、萩尾望都の『ポーの一族』や
そのパロディの『パタリロ』で有名だけれど、
やっと本家の『マザーグース』のほうの歌詞を知ることができた。
歌詞はそこそこ長い話で、コマドリを殺したスズメの告白からはじまり、
コマドリの死を目撃したハエ、血を受けたタラ、
経帷子をつくりアリ、お墓を掘るフクロウ、牧師のオシドリ、
牧師の助手のヒバリ、葬儀のあかりを持つジュウシマツ、
泣き女になるカラス、棺桶をけつぐシジュウカラ、
棺のおおいを持つミソサザイ、賛美歌を歌うツグミ、
重い鐘を鳴らすオウシなどの語りが次々に続いていく。

CDでは、「誰が殺した?コマドリを」などの問いかけを
小室等が歌い、それに大竹しのぶ、巻上公一、吉田日出子、黒柳徹子、
大貫妙子、熊倉一雄、由紀さおり、中井貴一、デーモン木暮などが
それぞれの語りの部分で答える形になっていて素晴らしい。

しかし、今はもうこんな豪華で手のかかる
しかも参加者の多彩で理解のあるCDとかは、
このとき以上につくりにくくなっているだろうと思う。

このプロジェクトの発端は
谷川俊太郎の『マザーグース』の訳に
挿絵を描いたりもしていた和田誠が
原詩で韻を踏んでいる部分を日本語でも訳してみようということで
筑摩書房から60編分の『オフ・オフ・マザーグース』が出たのを見て、
櫻井順が曲をつけてみたのを当時の東芝の仙波ディレクターが
「六十の歌を六十人の違う人に歌ってもらおう」と提案し、実現したという。
それでさらに訳された60編が『またまたマザーグース』になった、というわけである。
そうした経緯とその歌詞は、
『オフ・オフ・マザーグース』(ちくま文庫/2006.12.10.発行)
として文庫化されたもので読むことができる。

で、こうなったら、やはり「マザーグースって何だ?」という
あたりまえの疑問がでてくるのは当然で、
今、鷲津名津江『ようこそ「マザーグース」の世界へ』(NHKライブラリー)
とかを読みながら、その世界への理解を深めようと思っているところ。

「マザーグース」といっても、
それがつくられたイギリスではその名称では通用していなくて、
「ナーサリー・ライム」、つまり韻を踏んだ詩、として知られている。
日本で「マザーグース」といわれるようになったのは、
アメリカでの「マザーグース」といわれているのを経由して
そちらから受容されたということが主な原因になっているようである。
面白い話がいろいろあって、しばらくは原詩などもあたりながら、
楽しめそうである。