風のメモワール127
坂本龍一:out of noise
(2009.3.5)

坂本龍一の音楽はどうしても聴きたいと思うことは少ないのだけれど、
ある種、時代を聴くというか、そういう意味でいえば、
オリジナル・ソロ・アルバムというとやはり聴いておきたくなる。

先月、どこかで3月の初め頃、久々のアルバムがでるということを知り、
「坂本龍一」で気になっていたアルバムがあるぞ・・・と
思い返していたら、映画音楽の「シルク」だったことに思い至った。

聴いてみるとおもいのほか、とても気持ちよく、というか
(映画そのものはいまも観てみようとは思わないのだけれど)
坂本龍一の音楽の美しいところだけを
まさにシルクのように集めたアルバムのように聴けたので、
今度でるというアルバムのタイトル「out of noise」というのは、
その美しさというコンセプトの角度ではなく、
「noise」方面(というのも変だけれど)からやってくる音なんじゃないか、
と勝手に想像していた。

聴いてみると、ほぼ想像していた通りで、買って損はしなかった。
(このアルバムは、ほぼCDのみの安いものと
豪華写真?とかのついたものの2種類出ていたので、安い方を入手した)

で、「SWITCH」の3月号を読んでいたら、
ちょうど、坂本龍一のこのアルバムについてのインタビューが掲載されていた。
(「静謐な音と響きと奏で」佐々木敦)
アルバムの最後の曲「Composition 0919」なんかをきくと
モンドリアンだなあ、とか思っていたら、
このインタビューでもモンドリアンとかでていて、
そういう意味でも、いつもながらの坂本龍一らしいお勉強的編集の音楽だなあ、と
予想を裏切らないところに少し失望したりもしたのだけれど、
そういうのは別として、このアルバムは、いままのアルバムのなかでいえば、
いちばん好きというか、たぶん繰り返し聴くことになるんじゃないかと思っている。

で、インタビューの内容も、このアルバムを
とても的確に表現しているようにも思えたのだけれど、
だからといってこういう内容をいちいち「お勉強」する必要もないだろうという気はする。
坂本龍一自身のコメントとしても
「『noise』って当然いろんなメタファーを含んだ言葉だし、『out of noise』というのも
いろんな意味にとれる。非常に多義的な言葉で。単純に『ノイズの外に』ということでは
なくて、いろんな意味にとっていただきたいので、今回僕からは説明しないというスタンス
なのです」というのがあったように。

とはいえ、タイトルの「out of noise」ということからも
イメージしていた内容がでていたので、そこらへんをメモしておきたい。
(インタビュアーの「意味」への踏み込みのために、
「説明しない」はずの部分が言葉にされていた。
そうした賢い説明を許容してしまう部分こそが、
坂本龍一の音楽らしいところだといえばいえるわけだけれど)

 佐々木/
 例えばジョン・ケージ云々ということでいうと、「noise」という言葉は
 「music」という言葉と対立していて、けれどだんだん「noise」といわ
 れていたものも音楽になっていく……みたいな言い方があって、そこで
 は「noise」と「music」は二項対立になっているわけですね。その二項
 対立の意味がなくなってきたというプロセスがずっとあって、でもそこ
 であえて「noise」の「out of」という言葉を出していることで、しかも
 この作品全体が非常に明確なあるトーンと、実はすごく旋律のレベルで
 音楽的な作品になっているということが、いろいろなところで反転しな
 がら繋がっている感じがして、そうなると「out of noise」=音楽とい
 うことのような気がしてくる。
 坂本/
 言っちゃいけないんだけど(笑)、まあそういうことです。サウンドと
 ノイズというケージ以来の二項対立も、溶解しているわけだし、もはや
 ノイズとミュージックの明確な区切りがないという事が言いたいわけで
 すよね。その一方で、エレクトロニカ系の人たちと付き合ってきて、僕
 も一時期集中して聴いてきて、まあちょっと飽きているっていうことも
 あったり。あれは確かにノイズや電子音を使っているけれども、むしろ
 ノイジーじゃないというか、非常に管理されたコントロールされた音楽
 と言うこともできる。(中略)
 佐々木/
(中略)つまり自ら作曲家であり演奏家である以上、「いや、演奏なんて
 しなくてもただ耳をすませばいいんだ」ということになってしまうと、
 何をしたらいいのかわからなくなってしまう。でもその両方を、それを
 分かった上でなおかつ、音楽を作るということがどういうことなのか…。
 坂本/
 それもあるでしょう。すごくある。それでもやっぱり僕は音楽が作りた
 いなと思うんですよ。音楽を作り上げるときの素材というのは、楽器の
 音もサウンドもノイズも全部ありだし、「music」と言ったときのフォ
 ルムの問題とか全部了解した上で、音楽を作りたい。そこでまず既成の
 構成や公式を全部捨てているわけですから、面白いですよ。もはや何か
 に対するアンチでもないし。だから生け花みたいだと言っていたんです。
 感覚だけで枝を来たtりするというところまできていて、それがわりと
 自分にとっては初めてだなって。
 佐々木/
 ある種の境地に。
 坂本/
 やっとここまできたかという感じはしているんですけど。 

こういうのを読んでいると、
やはり坂本龍一はお勉強好きなんだということがよくわかるし、
(エコ好きというのもそのひとつだけれど)
現代という時代のある部分を切り取って見るときのひとつのガイドにもなる。
とはいえ、いつもながらちょっとしたフラストレーションがたまるのは、
その音楽は予想もつかないような不意打ちというか
(「なんなんだこれは!」がない)
ぼくのある種の「エッジ」を刺激してくれないというか
神秘がないというか、そういうところだったりもする。
おそらく坂本龍一の「知的」すぎる所以なのだろう。
引用の最後にある「境地」というのも、なんだか説明ができてしまうというか。