風のメモワール122

鳥見


2009.2.7

スズメの日本での生息数が
この半世紀で十分の一ほどになっているらしい。
餌場となる田畑や巣をつくる木造家屋の減少などが主な原因らしいが、
どこにでもいるように見えるスズメでさそこまで減っているとしたら
おそらくはほかの鳥たちはその比ではないだろうと思われる。

とくにここ2年ほど、週末に時間がとれると
yuccaと鳥見にでかけることにしていたりするので、
なおのこと、かつて見られたといわれた鳥が
なかなか観察できなかったりするようになるのは悲しい。

ここ1年ほどは、ホームページの「風のミュージアム」に
鳥の写真を掲載するのを怠けているのだけれど(^^ゞ
その間にずいぶんたくさん鳥の写真もたまっている。
さすがに昨年よりは、撮り方も少しは慣れているので、
そのうちにご紹介するだろう写真も
そこそこ撮れているものが多くなっているようにも思う。
yuccaの手にしている双眼鏡もぼくの手にしているデジカメも
かなりチープなものではあるのだけれど。

昨年はカモの識別を、ということでカモを見に行くことが多かったが、
今年は、山や森、畑や干拓地などにでかけることが増え、
でかけるたびごとに、鳥たちもなぜか昨年よりも
ずっと姿を見せてくれたり近寄ってきてくれたりすることが
多くなってきているのではないかと思うのだけれど、
おそらく、こちらの目線や感受する力がそれなりに
育ってきているということは少なくともいえると思う。
鳴き声にしても、少しずつではあるが識別ができるものが増えてきた。

鳥にかぎらず、どんなものも、
やはり関心をもってそれなりに継続的にアプローチしていけば、
そのアプローチの仕方や質に応じて応えてくれるだろうし、
それまで見えなかったさまざまなものも具体的に見えてきたりする。
関心のなかに愛情があればなおのこと。
好きこそものの上手なれ、
上手でなくて下手でも下手なりに楽しむことは少なくともできる。

ところで、鳥を見るようになって意識するようになったことのひとつに、
ほかの世界と同様、そこにはそれなりの「社会」があるということである。
デジスコと三脚をもって集まっているひとたちや見学会の方々もいるし、
出会う知人などとたまに挨拶しながらも静かに観察している人もいる。
ひどいマナーのひともいれば、それを苦々しく見ている人もいる。
そしてそこには鳥見のひとたちだけではなく、
登山のひとたち、健康のためにたんたんと歩いている人たちもいる。
出会うと、それなりのあいさつをしたりもする。

ぼくもyuccaもあまり社交的なほうではないので、
そういう「社会」は苦手ではあるけれど、
先週も、そこに子供の頃からよく来ているという
ひとりでじっとミヤマホウジロの写真をとっているおじさんと
話す機会があって、その森で観察できる鳥のことや
以前そこでよく見られた鳥のことなどの話を聞く機会があり
とても気持ちの良い時間を過ごすことができた。
日頃機械を扱っているので休みにはこうして・・・という話に、
ぼくのほうも、街中で人のなかで疲れる仕事なので、最近はこうして・・・
という話など。
目がとてもやさしかったのが印象的だった。
こういう人となら、たまにあっても、気持ちよく話ができそうだと思う。

そういえば、広島にいるときに、
岩石、鉱物関係をよく観察にでかけていたのだけれど、
そのときにであった、同世代の、小さな自然館を開いている方にも
非社交的なぼくやyuccaに似合わず、
個人的に、廃坑になった鉱山に案内してもらったことがある。
鳥にも社交的にぴーちくぱーちく鳴いて騒いでいる鳥も
単独行動で動いている鳥もいるように、
それなりの行動パターンや相性などがあるようだ。

まあ、ぼくやyuccaが社交的にぴーちくぱーちくすることは
鳥を見るときにも、あまり考えられないけれど、
ちょっと頑固かもしれないけれど
静かでやさしい目をした人などとは
それなりにそれなりの距離で話せるかもしれないなと思う。

ともあれ、鳥を見るのは楽しい。
風のミュージアムにそのうち掲載したときには(いつになるのだろう?)
鳥に関心のある方は、その成果?をごらんください。