風のメモワール119

富田勲/藤原道三


2009.2.3

富田勲の音楽を初めて聴いたのは
たぶん1978年の『宇宙幻想』だと記憶している。
もちろん、テレビ番組のテーマ曲はかなり前から
富田勲と知らずに聴いていたことを後で知るのだが。

そのシンセサイザーの音がその頃は
とても新鮮にぼくの耳に響いてきたのを覚えている。
はじめてきく音というのは、いいものだ。
けれどその後、次第にその新鮮さが失われてくるとともに
富田勲のアルバムを手にいることがなくなってくる。

久しぶりに富田勲のアルバムを聴いてみようと思ったのは、
『源氏物語幻想交響絵巻』だった。
2000年のことである。
それはシンセサイザーではなく、
富田勲指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に
上原まりの琵琶と歌、西川浩平の笛などによるオーケストラ曲で
それなりに新鮮な印象をもったものの、
またその後、富田勲の音楽をそれと自覚して聴くことはなくなっていた。

そして、今回、藤原道三の尺八×富田勲のシンセサイザーを中心とした
『響』というアルバムがでたのを知り、久しぶりに触手が動いた。
聴きやすすぎるというか、わかりやすすぎるという部分はあるけれど、
久しぶりに繰り返しシンセサイザーに尺八の音が響く音の場に身を置いている。
と同時に、以前わりとさらりと聴き流してしまっていた感のある
『源氏物語幻想交響絵巻』も聴き直し、
あらためてその交響をあわせて楽しんでいたりする。

ちょうど、少し前のintoxicate77に、
このアルバムに関連した富田勲のコメントが載っていたので引いておく。
シンセサイザーという楽器の音について。

  ぼくの中では「尺八は楽器」「オーケストラの楽器はアコースティック」
 「シンセサイザーは電気楽器」という区別は存在しないんです。よく、アコ
 ースティックな楽器と電気的な楽器の区別をする人がいますけれど、ぼくに
 言わせれば、尺八もシンセサイザーもみんな自然の音。笛や太鼓のような楽
 器は太古の昔から存在していますし、電気というものも、昔から自然界に存
 在していますから。それよりも不思議に思うのは、ヴァイオリンやチェロと
 いった弦楽器。あれこそ“人工の極み”だと思うんです。もとになった遊牧
 民族の馬頭琴の材質は、食料や衣料で消費した膨大な数の羊から出た腸と、
 馬の尻尾でしょう? それを擦り合わせて妙なる音を創り出すなんて、どこ
 からそんな発想を思いついたのか。あれこそ、自然界に存在しない音なんで
 す。どれくらい昔の話かはわかりませんけど、遊牧民族の中によっぽどのオ
 タクがいたんでしょうね(笑)。それに、パイプオルガンやシンセサイザー
 は圧搾空気や電気で音を出すわけですから、ヴァイオリンのように自分で音
 を出すわけではない。ところがヴァイオリンは、どんな名器でも下手な演奏
 者が引いたら鋸のような音になってしまう。馬頭琴の初期の段階では、もっ
 と酷かったと思うんです。よくぞ、初期の段階で消滅しなかったものだと。
 ぼくも(シンセサイザーを始めた)初期の頃、よく「シンセサイザーは異質
 な楽器だ」と言われましたけど、ヴァイオリンやチェロはそれ以上に異質で
 人工的な楽器だと思います。
 (intoxicate77/P.16「富田勲」)

そういわれれば、たしかに、シンセサイザーの音よりも、
弦楽器のほうが「人工の極み」なのかもしれない。

けれど、あらためて考えてみれば、
楽器というものそのもの、というか
それを演奏しようと思い、
そこになにがしかの音階やらを想定して
音楽を奏でるということそのものが、
「人工の極み」というのではないとしても、
とても不思議きわまりないものだといえるのかもしれない。

音階といえば、ピュタゴラスである。

  ピュタゴラスは弟子たちに霊的世界のヴィジョンを見せ、次に
 それを解釈した。最初は取り留めのなこの教えの中から、数学、
 幾何、天文、音楽が生まれた。
  当時、ピュタゴラスは諸天球の音楽を聴くことのできる唯一の
 人間であると言われていた。これは七つの惑星が空間を運行する
 際に創り出す今回であるという。詮も無い戯言として片付けてし
 まうのは簡単な話だが、彼が世界最初の音階を造り出した次第は、
 この話とよく適合している。
  ある日、街中を歩いていたピュタゴラスは、金床の上で鉄を打
 つ音を聞いた。見ると、大きさの異なる鎚は異なる音を出してい
 る。家に帰ると、彼は部屋に厚板を据え、いくつもの錘を吊した。
 試行錯誤の末、彼はそれぞれの錘について、人間の耳に心地よく
 聞こえる音階を決定した。それから彼は、それらが数学的に精確
 な形で互いに比例関係にある事を計算した。ピュタゴラスによる
 これらの計算から、今日われわれが楽しんでいるオクターヴが導
 き出されたのである。
 (ジョナサン・ブラック『秘密結社版世界の歴史』/P.256)

もちろん、音階はピュタゴラス音階だけではないし、
そうした音階という観点ではない音楽もあるわけだけれど、
「惑星の音楽」というのはとても魅力的な話である。
そういえば、富田勲のシンセのアルバムにも
ホルストの『惑星』があったと思うし、
アルバムのなかで、惑星の音楽が聞けるプログラムが
収録されているというアルバムもあったように
おぼろげに記憶している。

それはともかく、あらためていろんな楽器がどのようにできたのか
ということは、ぼくの(はなはだ乏しくはあるが)想像力を刺激する。
弦楽器がどのようにできたか、をイメージすると
たしかによくもまあ、そんな楽器ができたなあと感心させられてしまう。