風のメモワール117

チェーホフ/ドン・キホーテ/ハムレット


2009.2.1

以前からチェーホフというのは気になっていたのだけれど、
どう取りついたらいいのかわからないままでいたのだが、
阿刀田高『チェーホフを楽しむために』(新潮文庫)がでていて
わりと面白く読むことができ、
ようやくとっかかりができて喜んでいた。

で、ちょうど折良く、小島信夫の『小説の楽しみ』(水星社)のなかで
チェーホフについて語られていたのを見つけたので読んでみたのだが、
少し驚いたのは、このなかで繰り返しでてくるのが
『ハムレット』と『ドン・キホーテ』だったことだ。

なぜ驚いたかというと、ちょうどこのメモワールの116で
とりあげてみた『秘密結社版世界の歴史』のなかで
印象に残っていたことのひとつが、
「セルバンテスとシェイクスピアは、
 ほとんど同時代を生きた人物である。」
「セルバンテスは1616年4月23日に死んだ。
 シェイクスピアと同じ日である。」
というところだったからである。
セルバンテスとシェイクスピアが同じ日に死んだ、
というのはかなり面白い現象かもしれない。

今はまだ、その
チェーホフ/ドン・キホーテ/ハムレット
というテーマが、なぜぼくの前に同時的に現れたのかについて
明確には意識化できないでいるのだけれど、
それらをぼくのなかの「種」として意識化してみるためにも、
忘れないうちに、ここでメモしておくことにしたいと思った。
大まかな関連はなんとなく、神秘学的観点からも
自分のなかに浮かび上がっているのだけれど、
「種」を発芽させるための水やりのような意味で、
以下、メモを残しておくことにしたい。

キーは、内なる宇宙と外なる宇宙の関係といったところだろうか。
個であること、科学的であること、その両者が鏡像となりながら、
複雑に照らしあいながら近代を形成し、そしてそこから、
世界劇場が、自由に、ということは限りない混乱も含め、
生きた思考、想像力によって、創造されていくために・・・。

1)阿刀田高『チェーホフを楽しむために』より(P.367-368)

  チェーホフは多義的な作家であった。多くを語ったが、これを
 訴えるというポイントはかならずしも明確ではなかった。それを
 目的とはしなかった。
  だから後世は、なにを汲み取ったらいいのか、と考えてしまう。
 考えれば、なにかしら見い出せないでもない。そこがチェーホフ
 の魅力、と評することもできる。あえて私見を述べれば……馬齢
 を重ねた今、人生を鳥瞰すれば、私たちの人生はおおむね多義的
 で、曖昧で、結論のないものではないのか。よほどの人でない限
 り特に訴えるものなど持ちえないし、そのときそのときで変化し
 ている。それこそがチェーホフが証言し描いたものではないか。
 それゆえにチェーホフは時代を超えて愛されるのではないか。
  そういえば四百年前のシェイクスピアもそうだった。いろいろ
 なことを語り、さまざまな人間心理をドラマの中にちりばめて残
 した。研究は尽きない。チェーホフも、ずっと現代的に洗練され
 てはいるけれど、同じように私たちに宿題を残している。

2)小島信夫『小説の楽しみ』(P.145-146)より

  今日話題にしたすべての作品は、いろんなテーマ、いろんな場
 面があり、いろんな登場人物がいるわけですけれども、反対のこ
 とをしゃべったり、お互いに対立しあったりしながら、ひとつの
 節穴から見れば、同じひとつの舞台でせめぎあっている。ピータ
 ー・ブルックの言葉を借りれば、すべて切れ端みたいなものが集
 まっているとしか見えなかったものが、節穴から覗いてみると、
 じつは全部つながっている、ということです。一見すると断片で
 しかなく、統一されていないように見えるものも、じつは絶えず
 統一されている。
  逆にいえば、シェイクスピアにしてもそうですが、そうやって
 いろいろな断片をどんどん取り入れて、混乱するくらいのことに
 しなければ、リアリティは出せない時代になってきているとも言
 えます。

3)ジョナサン・ブラック『秘密結社版世界の歴史』(P.389-402)より

  あるレベルでは、ドン・キホーテは過ぎ去りし中世の、古き騎
 士道の理想をひたすら追求している。もう一つのレベルでは、彼
 はすっかり耄碌し、想像したことが現実のように感じられる子供
 時代に戻っている。そして言うまでもなく、重要なのは秘教哲学
 においては想像したことは実際に現実的だということだ。
 (・・・)
  先に見たように、恋をしている時、われわれは相手の美点を見
 ることを選ぶ。善意は相手の美点を引き出し、強化する。逆もま
 た真なりである。何かを嫌悪すれば、それは唾棄すべきものとな
 るのだ。
  宇宙全体を思う時も、同様の選択が立ちはだかる。セルバンテ
 スはまさに歴史の転換点にいた。人々はもはや、世界は霊的な場
 であり、本質的に善であり、確たる意味を持つものであるという
 ことを確信できなくなっていた。セルバンテスが述べているのは、
 もしもドン・キホーテのように、この世界の本質的な善性を信じ
 ようと善意を以って決意するならーー確かに運命は過酷であり、
 この世のことは全て道化芝居のようであり、このような霊的信仰
 とは正反対で、そんな信仰を馬鹿げたもののように見せるけれど
 もーー信じようという決意こそが世界を変えるのだということで
 ある。それも、超自然的な手段で。
  ドン・キホーテはその善意において向こう見ずである。彼は極
 限の、苦難の道を歩んだ。彼はスペインのキリストと呼ばれてき
 た。そして彼の旅が世界史に与えた影響は、あたかも彼が実在の
 人物であるかのように偉大なものとなっている。
 (・・・)
  ハルン・アッラシードの宮廷で、そして後のアラブ人の間で、
 科学、特に数学、医学、天文学は長足の進歩を遂げた。アラブ人
 とイングランド人の間には深い神秘的つながりがある。なぜなら、
 穏秘学においてシェイクスピアと最も密接に関連する人物である
 フランシス・ベーコンの中に再び住み着いたのは、偉大なるアラ
 ビアの科学探求精神だからである。そして、科学哲学史が告げる
 ように、近代世界の成立に多大の貢献を果たした大いなる科学革
 命に霊感を与えたのは他ならぬベーコンであった。
  内なる宇宙が開かれ照明を受けると共に、物質宇宙もまた開か
 れ照明を受けた。シェイクスピアは、かつての類型的な登場人物
 の世界に代わって、情熱に沸き立ち、観念に燃える、完全な人格
 を持つ個別の人々の住む世界を描いた。それと同時に、ベーコン
 は本質を備えた「もの」に沸き返る世界、無限に多様な、明確か
 つ個別の物質に煌めく世界を明らかにした。
  この平行する二つの世界は急激に膨らみ、互いの鏡像となった。
 かつては暗く、曖昧に絡み合っていた内的世界と外的世界は、今
 や明確に分離したのである。
  シェイクスピアの世界は、人的価値の世界である。そこでは、
 何が起ころうとも、問題となるのは人間の幸福であり、人間のか
 たちである。ベーコンの世界はその人的価値が全く欠落した世界
 である。
  人間の体験は、シェイクスピアが劇化したように、◯み所がな
 く、逆説的で、神秘的で、予測不可能なものである。ベーコンは、
 体験の内実であるところの物体を見、それが従っている予測可能
 な法則に注目することを人類に教えた。(・・・)
  簡単に言えばベーコンは、対象を可能な限り客観的に観察する
 ことができれば、その構造を主観的に体験した時とは全く異なる
 パターンが現れるということに気づいたのである。
  この認識が、地球全体を変えることとなる。