風のメモワール116

秘密結社版 世界の歴史


2009.2.1

◎ジョナサン・ブラック『秘密結社版世界の歴史』(早川書房/2009.1.25.発行)。

装丁や帯のコピーや、それから「序」の書きぶりなどは、
かなりものものしく、最初は読むのを躊躇したところもあるが、
実際は、神秘学関連でちょっとしたエポックにも
なるかもしれないと思えるような秘教関連の著作がでた。
『神秘学概論』2冊分ほどの分量もあり、
読んでみると、その分量が気にならないほど興味深く
気がついたら読み終えていたような感覚だった。
原題は「世界の秘密の歴史」とあるように、
通常の視点からではなく秘教的な視点からみた世界の歴史である。

本文にも再三でてくるし、「註」でも明記されているように、
本書の中心にはシュタイナー的な秘教の視点があって、
たとえば、『神秘学概論』のなかの「宇宙の歴史と人間」の章などや
キリスト論などを理解するためにも、かなり役立ちそうである。
細かい部分は別としても、大筋では、シュタイナーを含めた視点は
とても納得のいく内容になっている。

とはいえ、基本的に秘教の視点からみた世界史なので、
通常の視点とはほとんど逆である。
しかしその視点こそが、シュタイナーの精神科学同様、
現代においては必須の視点として受容されていく必要があるわけで、
その点に関して、たとえば本書の最後の章では次のように述べられている。

 本書の目的とは、われわれの存在の基本条件を新たな視点で
 見つめ直そうとするものだ。そうすれば、全く違ったものが
 見えるかもしれない。実際、それはわれわれが子供の頃から
 教えられてきたこととはほとんど完全に逆であるように見え
 るかも知れない。これこそが哲学である。まともな哲学であ
 る。
 古代の叡智の断片は、われわれの周囲のどこにでもある。曜
 日の名前に、一年の各月の名前に、林檎の種の配置に、寄生
 木の奇妙さに、音楽に、子供に聞かせるお伽噺に、多くの建
 造物や彫刻に、芸術と文学の傑作に。
 もしもこの古代の叡智が見えないなら、そのように躾けられ
 て来たからだ。われわれは唯物論に呪われている。
 科学によれば、観念論の支配は17世紀に終わった。全てを
 疑うことを科学が開始したからである。科学は、唯物論こそ
 が時の終わりまでこの世を支配する哲学になると断言する。
 秘密結社の観点によれば、いずれ唯物論は単なる一時的な流
 行と見なされるようになる。(P.544)

著者によれば、
「秘密結社の教義を白日の下に曝したのは、本書が歴史上初めてである」
といっているが、その真偽は別としても、
本書にはそうした意義があるように思える。
というか、シュタイナーの著作や講義は、基本的に、
秘儀を公開したものなので、内容的にはシュタイナーをある程度読めば、
本書で書かれている内容はとくに新しいものではないのだけれど、
まとまったかたちで、いわゆる「秘密結社」の活動の背景なども含め、
まとめて論じたものはたしかにあまりみかけない。
原書が出たのが2007年のことのようなので、
2009年初頭にすでに邦訳されているのは、うれしい。
分量が多いからか、訳語にちょっと難しい漢語が見られるのと
とくに後半、誤植や誤字などが見られるのが残念だが、
内容理解にはとくに問題ないので、急ぎ訳されたことを喜びたい。

本書の著者は、本書がシュタイナーを軸にしているように見えているものの、
とくにアントロポゾーフ関連の方ではなく、編集者のようである。
むしろ、アントロポゾーフであるとか他の結社関連でないがゆえに
こうした内容を書き記すことができたのだろうと思える。
本書を書くのにほぼ20年を要したという大著だけれど、
たとえば「註」でシュタイナーに関連して次のように述べているのは頷ける。

 シュタイナーの問題点は、彼があまりにも偉大すぎて、その
 足跡を辿る者が自由かつ独立して考えることが困難になると
 いうことだろう。シュタイナーの影は、独創性を制限する。
 だが幸いにして私は長らく出版業界に身を置いてきた。この
 業界で某かの成功を収めるためには、自分の正しさを頑とし
 て信じ続けることが必要不可欠なのだ。また私の研究が極め
 て広範囲に及んでいたために、私は、少なくともある程度は、
 シュタイナーを重荷ではなく、霊感の源として見ることがで
 きるようになっていた。(P.556)

シュタイナーの示唆した精神科学の内容を生かしていくためには、
その基本的な内容をある程度まとまって理解しようとする姿勢とともに
それを自分の足かせのようにしないほうがいいように思える。
とはいえ、シュタイナーをちゃんと読まないからこそ、
それに呪縛されるのではないかという気もする。
要は、シュタイナーを宗教化しないということだけのことなのだろう。
シュタイナーを宗教化しないためにこそ、
シュタイナーをちゃんと総合的に読み込む必要があるし、
その観点を他の観点と比較したりすることも必要なのだろうと思う。

それはともかく、最初に書いたように、本書は、
シュタイナーの示唆している土星紀、太陽紀、月紀といった宇宙の歴史や
キリスト論などを理解するための副読本としても適切だろうし、
それ以前に、秘教という視点の意味をとらえなおすという点でも
なかなかの好著ではないだろうか。