風のメモワール113

翁について


2009.1.15

梅原猛の「日本学」の最後は「能」だという。
梅原猛・松岡心平『神仏のしづめ』(梅原猛「神と仏」対論集4)で語っている。
「能をやれば、近代世界を超える哲学が出てくると思います」ともいう。

ちょうどこうした対論などもふまえながら
『うつぼ舟1 翁と河勝』(角川学芸出版)も出ている。
河勝というのは、もちろん秦河勝のことで、
金春禅竹の『明宿集』によれば、
禅竹は秦河勝から数えて四十余代の孫であるという。
ということは、能をさかのぼれば秦河勝にたどり着くということになる。

金春家には、仏舎利と翁と鬼の面という宝があって、
仏舎利は河勝が守屋の首を討った功によって与えられたもので、
2つの面は聖徳太子がつくった面だという。
秦河勝に聖徳太子というのもその真偽云々は別としても大変面白いが、
先日、久しぶりに三番叟のDVDを見て、
「翁」の舞に釘付けになったのもあって、
あらためて「翁」とはいったいどういう存在なのかを
調べなおしてみることにした。

能における翁については、
上記の『神仏のしづめ』『うつぼ舟1』でも検討されているし、
折口信夫の「翁の発生」や山折哲雄『神と翁の民俗学』なども参考になるが、
5年ほどまえにでていた中沢新一『精霊の王』(講談社)が
詳細に金春禅竹の『明宿集』や「宿神」「シャグジ」「ミシャグジ」や
それらとアーサー王、聖杯伝説などとの類縁性などについても
検討されていたりもしることを思い出し、久しぶりに読み返してみて
それらのテーマがぼくのなかでここ数年どこかで熟していることに
今更ながらのように気づかされることになった。
ちなみに『精霊の王』には、金春禅竹『明宿集』の現代語訳も収録されている。
この『明宿集』は、昭和39年に発見されたものだそうである。

翁については、松岡正剛・千夜千冊でも
1271夜(2008年11月21日)で、
山折哲雄『神と翁の民俗学』(講談社学術文庫 1991)の内容を
検討するなかで、そのアウトラインが紹介されているが、
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1271.html
ここでは、
(「翁」のイメージからはちょっといきなり飛んで理解しにくいだろうが)
面白いところなので、
中沢新一『精霊の王』からメモしておくことにしたい。

  『明宿集』の中のとりわけ印象的な一説で、金春禅竹は猿楽の「翁」は
 北極星であり、それゆえ「王のなかの王」であると述べている。この文章
 を読んで不思議な共鳴現象に驚くのである。
 (・・・)
  アーサー王=聖杯伝説を、金春禅竹の記述する「翁=宿神」と比較して
 みると、あまりの近さに驚かされる。宿神である。「翁」は北極星として、
 天体全体の運行ばかりか、その運行に影響される人間世界の秩序のことで、
 気配りのきいた支配をおこなっている、とそこには書かれているが、この
 実質的な「世界の王」は王としてのたたずまいをもって表面に出てくるこ
 とをしないで、石の神の姿をとったり、温泉の熱湯として出現したり、一
 見みすぼらしい塩焼きの老人として示現しているので、愚かな常識に縛ら
 れている人には、目の前に大変なものが出現していることさえ見ようとし
 ない。しかもケルト世界の妖精たちのように、宿神の住む特別な空間は、
 胞衣の防御膜で遮られていて、世間の人の目から隠されている。「王のな
 かの王」である宿神=北極星の住む王宮は、ふつうの人の目からは隠され
 ているのだ。
  また「翁=宿神」の内部には、イニシエーションの儀式を司る「人食い
 の王」のイメージが隠されていることも、私たちはすでに見てきた。中世
 の摩多羅神である。人は生まれたまま、そのまま素直に成長をしても、世
 界の表面から隠されている真実を見ることはできない。その心が常識でが
 んじがらめにされているからだ。イニシエーションは、常識によってつく
 られた心の状態を作りかえて、いままで見えなかった真実を見えるように
 しようという、慈悲深い儀式なのである。そのとき、イニシエーションを
 受ける者の前に、暗闇のなかかからさまざまな姿をした「人食いの王」が
 出現する。
 (・・・)
  重要なことは、アーサー王の王宮にせよ、キリストの血を受けた神秘の
 聖杯にせよ、また宿神としての「翁」にせよ、世間の目から隠されている
 特別な時空間に潜んでいるということだ。「王のなかの王」は、世俗の王
 たちのように人の目に自分をさらすことで権力を得ようとはしない。社会
 の周辺部、移動しつづける空間、壺や胞衣のような防御膜の内部などに隠
 れて、この世の「主権」の真実の体現者である「世界の王」は、じっと私
 たちの世界を見守りつづけているのである。
 (P.308-)

さて、最後に、金春禅竹『明宿集』・現代語訳のいちばん最後の部分を引用して
このメモを終えることにする。
この金春禅竹『明宿集』は必読である。

  一、以上説き来たったように、「翁」は日月星宿が人の心に宿ったもの
  なのである。つまり、あらゆる人がそれを心に宿していながら、そのこ
  とを知っていると知らないとの違いがあるのである。返すも返すも、人
  々の心とはそのようなものである。それを知らなければ、真理から遠ざ
  かっていくことをおそれるべきである。これについて、さまざまに工夫
  し、思考を深めていきなさい。