風のメモワール101

わたしは風になる


2008.11.25

ぼくは創刊以来、coyoteという雑誌がとても気に入っているのだけれど
その編集長はSWITCHをつくった人でもある新井敏記。
新井敏記という人の文章をよく読むと、
ぼくの感情が不思議に自然体になってくることに先日不意に気づいた。

新井敏記には、SWITCH編集長のときのインタビューを集めた
『人、旅に出る』(講談社)という著書があって
そこに収められているインタビューを読んでいると
新井敏記という人の「思い」に、
そして同時にインタビュイーの「思い」にも
深く共振している自分を感じる。

インタビューといえば、
先日、永江朗『聞き上手は一日にしてならず』(新潮文庫)という、
インタビュアーが「人の話を聞く名人に、話の聞き方について聞いてみよう」
という本を読んでさまざまに考えさせられたところで、
まさに「一日にしてならず」。

新井敏記のインタビューの独特のスタンスというのも
その積み重ねられた「思い」を背景にしてでてくるもののようだ。
『人、旅に出る』の最後には
「旅の行方に思いを馳せた二つのインタビュー」が
書き下ろしというかたちで収められている。
とくにその二つは印象深いものだった。
そのひとつ、七代目市川新之介(十一代目市川海老蔵)へのインタビューは
「これまでの追慕の旅の集大成として」、
もうひとつ、福山雅治へのインタビューは
「未来に届ける旅の羅針盤として」位置づけられている。

その福山雅治へのインタビューのなかで
「わたしは風になる」という曲について語られていて、
その曲は91年に歌われた「風をさがしている」という曲の
「アンサー」でもあるという。
そして、「風をさがしている」には「ただ渇望感だけがあった」のに対し、
「わたしは風になる」では、「今はそういうことではなく、
自分自身がもっと透明になって自由でいられる。
その自由の象徴が「風」なのではと考えたんです」という。
やはり、福山雅治は水瓶座なんだなあ、とあらためて思ったのだけれど、
せっかくなので、『5年モノ』に収められている
その「わたしは風になる」を聴いてみることにした。

『5年モノ』というアルバムは、前にも何度か聴いていて、
i-Podにも入れているのだけれど、
新井敏記+福山雅治であらためて聴くその曲はすばらしく、
ぼくの感情をとても素直にしてくれる。

ついでに、「風」という、
ぼくのハンドルネームKAZEとも無縁ではないキーワードで
ぼくのi-Podに入っている「風」のついている曲を検索して
その主なものをファイルにしてみることにした。
「自分自身がもっと透明になって自由でいられる」ように
(そうでなく、どんよりしてしまいそうなときなど)
ときにそのなかのいくつかを聴いてみるのもいいかもしれない。
(小唄や都々逸などもあったけれど、さすがにそれは除外)

そういえば、ボブ・ディランの「風に吹かれて」は、
伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』にも使われ、
映画では瑛太がなかなかいい味を出していた。

・福山雅治「わたしは風になる」
・ボブディラン「風に吹かれて」
・矢野顕子(細野晴臣)「風をあつめて」
・桑田佳祐「風の歌を聴かせて」
・小田和正「風のように」「風の街」「風のようにうたが流れていた」
・平原綾香「今、風の中で」
・谷山浩子「風になれ」「風をおいかけて」
・手島葵「風の唄」
・大貫妙子「風の道」「風化」
・スガシカオ「風なぎ」
・山下達郎「風の回廊」「風がくれたプロペラ」
・坂本龍一+嶺川貴子「風の谷のナウシカ」
・中村中「風になる」「風の街を捨てて」
・JUDY AND MARY「風に吹かれて」
・森山直太朗「風花」
・宮崎アニメソング「風のとおり道」
・ザ・スパイダース「風が泣いている」
・石川さゆり「風の盆恋歌」