風のメモワール10

バンビーノであり続けること


2007.6.28

ぼくのなかの「初心」をさがしている。
その「初心」が向かおうとしている場所も。

ぼくのなかの「初心」とは、
「知りたい!」という焼け付くような欲求だ。

おそらく最大の成果は
知りたいという焼き付くような欲求を超えた
焼き付き果てるような断念にこそあるのかもしれないのだが。

テレビドラマ『バンビ〜ノ!』の最終回を見る。
「立ち止まらないこと」
つねに「バンビーノ」であることからはじめつづけること。
バンビーノとはイタリア語で赤ん坊。

テレビドラマついでにいえば、
「プロポーズ大作戦」のメッセージは
「大事なことは、過去をなげく今ではなく
今を変えようとする未来への意志だ」。
「求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出さん。
扉をたたけ、さらば開かれん。」

こうして書いていることが
過去の繰り返しでしかなかったり
惰性の産物でしかなかったりすることを避けるためには
なにが必要なのだろうか。

ぼくという魂のこれまで抱え続けてきたなにものかに
新しいなにかを付け加えるためには
なにが必要なのだろうか。

答えがほしいのではない。
答えは問いのたんなる残滓でしかない。
もしくは新たに問い続けるための契機。
過去を訪ねることもまたその問いそのものでなければならないだろう。

リセットするというのではない。
過去が消えてしまうことはない。
過去はまた常に現在でもあるのだから。

扉をたたくことからはじめなけばならないだろう。
ぼくの「初心」のありかをたずね
常に今をスタート地点に置きつづけるために。

そして、そうすることではじめて
すべてのものが日々新たなるものとして
新生し続けていることを知ることができるのだろう。

悟りとはなにか?