風のメモワール1

中野幹隆・追悼


2007.4.2

雑誌en-taxi spring 2007の「The Last Waltz」という
追悼コーナーで紹介されていたので、
「中野幹隆」って?と思っていたら、
この人、『現代思想』や『エピステーメー』、『週刊本』などを
立ち上げた「伝説のアカデミ系編集者」で、
やがて朝日出版社を追われ、
哲学書房というたった一人の出版者を立ち上げたという。
そしてこの1月14日、63歳で亡くなった。

この記事の最後に
「あんな編集者、もう二度と出てこない」とある。
この追悼記事を書いているのは、ぼくとほぼ同世代の中森明夫。
ぼくの本棚には、いまでも『エピステーメー』や『週刊本』、
当時の『現代思想』などが、郷愁を伴いながら一群の場所を占めていたりする。
とはいえ、中野幹隆という編集者の名前は記憶になかったりする。
その理由を中森明夫はこう記している。
「松岡正剛、三浦雅士、安原顯らニューアカ・ブームを仕掛けたと称する
イモ連中と違って、幹隆さんは自己宣伝がヘタだった。」
「イモ連中」とは手厳しいが、
「その正体は知られていない」というように
ある種の孤高の美学をもっていたのかもしれない。

中野幹隆という人のことをほとんど知らないままではあるが、
30年ほど前の自分への郷愁も含めて、記しておくことにする。

しかし、中野幹隆は、なぜ朝日出版社を追われたのだろう?