南方熊楠●森の思想


(92/03/26)

 

 梅原猛さんによれば、この日本の文明の根幹にあるのは「森」で日本の文明とは、いってみれば「森の文明」であるともいえる旨のことをどこかで言及されてたように思います。

 「森」は、日本人の自然感覚と宗教形成にとってかなり重要なファクターを占めていると思います神社にはかならず森がありますすしね。

 ということで、何がいいたいかというと、河出文庫から刊行されてきた、南方熊楠コレクションですが、今回の第五巻目「森の思想」で完結しました。これまでにでたものを振り返ってみると、 

1)南方マンダラ

2)南方民族学

3)浄のセクソロジー

4)動と不動のコスモロジー

 で、すべて巻頭に、中沢新一さんの解題がかなり詳細に載ってますので、ちょっと目には読みにくい南方熊楠への理解を深める意味では最良の書かもしれません。

 さて、今回の「森の思想」ということで注目したいのが、熊楠の「神社合祀に関する意見」です。神社合祀令によって、神社の廃止と神林の伐採が無差別に行われていた実状に反対し、まさに命を賭けて孤軍奮闘戦ったのです。この無差別ともいえる合祀による生態系の破壊のみならず、「産土(うぶすな)」の神社を失った村人たちにとって、それは彼ら自身の歴史をも奪われ、いわゆる「神々の体系」の語る国家の歴史のもとに埋もれていくようになったわけです。そして、自然の荒廃に続き、精神的荒廃という事態までも招いてしまいました。

 熊楠の具体的な反対理由を挙げてみます。 

(1)「第一、神社合祀で敬神思想を高めたりとは、政府当局が地方官公吏の書上(かきあげ)に騙されおるの至りなり」

(2)「第二に、神社合祀は民の和融を妨ぐ」

(3)「第三、合祀は地方を衰微せしむ」

(4)「第四に、神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」

(5)「第五に、神社合祀は愛国心を損ずることおびただし」

(6)「第六に、神社合祀は土地の治安と利益に大害あり」

(7)「第七に、神社合祀は史蹟と古伝を滅却す」

(8)「第八、合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す」

 南方熊楠が、神社合祀に反対する運動を始めたのは、最初は彼の大事にしていた森の動植物の生態がとりかえしのつなかいほどの破壊的状況を迎えるからで、ある意味ではそれはナチュラリストが自然を偏愛するが故の動機だったように思われます。ただ、熊楠はそうした考えをさらに発展させ、「前代未聞のエコロジー思想」を展開させることになります。

 以下、中沢新一さんの解題より、

 「彼のエコロジー思想は、たんに自然生態系にたいする配慮(生態のエコロジー)にとどまるものではなく、人間の主観性の生存条件(精神のエコロジー)や、人間の社会生活の条件(社会のエコロジー)を、一体に巻き込みながら展開される、きわめて深遠な射程をもつものだった。」

 「神社合祀反対の運動をとおして表明された、南方熊楠のエコロジー思想においてはこれら三つのエコロジーが、ひとつに結合されようとしていた。ナチュラリストとしての熊楠は、生態のエコロジーにたいする危機感から立ち上がったが、同時に民族学者としての熊楠は、それが社会のエコロジーの問題に深くリンクしていることを理解していた。そして、森の秘密儀に通じたマンダラの思想家としての熊楠は、その問題が精神のエコロジーと結びつかないかぎりは、けっして豊かな未来を開くものではないと見抜いた。彼は、東アジア的な生命論から出発して、未踏のエコロジー思想の存在を、はっきりと予告したのだ。南方熊楠は、いまだに、私たちの前方を歩んでいる。」

 この「森の思想」は、「縄文」を探求する上では欠かせないテーマであり、さらにその「縄文」の知恵を未来へ生かすためにもなくてはならない<生態−精神−社会>のエコロジーでもあります。森の破壊は、自然環境の破壊というだけではなく、日本の精神の破壊、社会共同体の破壊でもあるということは、もっともっと多くの人が理解していくべきことです。

 さて、こうした熊楠の思想を神秘学的に考えるためには、「南方マンダラ」へ言及する必要がありますが、それはまたの機会にしますが、こうしたことについて示唆したものが解題にありますので、最後に引用します。

 「生物が生きているとは、どういう状態のことをさしているのか。また生物が死んでいるとは、どのような現実をさしているのか。…それに幻想や非現実の世界や霊魂の世界などは、生命にとって、どのような意味を持っているのか。こうした難問を、熊楠は本気で考え抜こうとした。そして、そのとき、もっとも深遠なる洞察のヒントを彼に与えてくれたのものこそ、ほかならぬ粘菌だったのである。」

 ゴルフ場の建設のように、精神という森を早計に開発しようとすることがあらゆる破壊へとつながっていくことになるということにも、反対運動を起こす必要があるのではないかと痛切に感じざるをえません。


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