『剣の思想』ノート

1●歩くこと
2●上達し続ける技
3●道という陥穽
4●<勝つ>から<創る>へ

*このノートは、甲野善紀・前田英樹『剣の思想』(青土社/2001.10.30発行)からいくつか抜き出したテーマをめぐるノートです。なお、これは、「風のトポス・ノートの361-364」にあたります。

 

 

「剣の思想」ノート1

歩くこと


2001.12.12

 
         一体歩くというのは、あんまり普通の行為であって、誰しもこれに文化的な
        色合いなど感じることはありません。けれども、たとえば現在の日本人が、現
        在見られるような歩き方をしていることは、明治維新以後欧米から取り入れら
        れた服飾、家屋、医療、軍事訓練、体育教育その他の要因と密接に繋がってい
        る。明治期の日本人は、いつの間にか西洋人のスタイルで歩くことを身に付け
        たと思われ、その学習はおそらく今でも続いているのでしょう。明治以降の日
        本の社会で「よい姿勢」をして歩くとは、すなわち西洋人のスタイルで闊歩す
        ることを意味しています。「胸を張って、腕を振って」歩こうとする。
        (…)
         言うまでもありませんが、四肢を持った哺乳動物の運動は、歩行がその基礎
        になっている。人類の直立歩行は、手の自由のためにこの基礎を根っから不安
        定なものにしてしまいました。後は、この不安定自体を、いかに習慣化してい
        くかです。習慣は、絶え間なく分裂していく文化の歴史のなかで作られる。け
        れども、どのような分裂のなかにあろうと、この習慣が目指していることは、
        直立歩行がもたらした不安定を軽減させ、忘れさせることにほかなりません。
        この目的こそ人類の歩行文化に普遍のものでしょう。言い換えると、直立歩行
        の形態はさまざまな文化のなかに組み入れられましたが、歩行することそれ自
        体は、依然として自然のなかの営みであるほかない。生命を維持し、展開し、
        有効な行為を為す動作の基本であるほかない。
        (…)
         私たちが、一種の歴史的記憶のなかから懸命に呼び起こそうとしていた剣術
        は、このような運動の一般法則を、まず歩行において根底から破る発明として
        出現したに違いありません。歩行において破れば、他の一切の動作はそれに従
        う。刀を斬り下げ、撥ね上げることも、身を沈め、回転させ、浮き上がること
        も。これは、直立歩行の不安定を補う諸々の文化的なやり方ではありません。
        作用/反作用の生物的回路から抜け出して、人間の身体が運動のもうひとつの
        次元を開くまったく新たなやり方です。
        (甲野善紀・前田英樹『剣の思想』青土社/2001.10.30発行/
         前田英樹から甲野善紀へ/P9-12)
 
ずっと前に水前寺清子という人の歌っていた
「三百六十五歩のマーチ」というのがあって、
たしか、「腕を振って足を上げて、ワン・ツー・ワン・ツー」とか
歌っていたと記憶しているのだけれど、
その最後に「休まないで歩け!」とあって、
子供心にも、やだなあ〜、たまんないなあ、と思っていた。
なぜ、そんなに頑張って行進し続けなければならないんだろう、と。
 
その歌が流行る前から、どうも、学校で行進させられたりするのが、
どうにもいやでたまらなかった。
やっと最近になって、こういう行進とかいうものは、
明治期以降、いきなり導入されてきたものだということを知って、
けっこう納得させられた。
もちろん、それまでのナンバとかう歩き方がいいとか
そういうことを思ったわけではなくて、
ただ、みんなで足をそろえて元気よくいっしょに行進するとかいうのが
どうにも不自然でたまらなかったというだけなのだけれど…。
 
それはともかく、自分の歩き方、つまり、
なぜそういうふうに歩いているのか、を意識してみると、
そのあたりまえのように思えることが
とても不自然な感じになってくる。
 
小さい頃を思い出してみても、
その行進させられながら、
ふだんの自分の歩き方とのあまりものギャップに、
まるで自分の足を意識してしまって混乱した百足のように
手足がばらばらになってしまうことがよくあったのを記憶している。
いわゆる「かけっこ」とかいうのもそうで、
早く走れないこともなかったのだけれど、
なぜ早く走らなくてはならないのか、
なぜみんなでヨーイドンしなくちゃいけないのかもわからなかったし、
それよりなにより、いっしょに走っている子たちの足とか手とかを見てて
それに合わせようとしたりしているうちに、
なにがなんだかわからなくなってくることが往々にしてあった。
 
その後、少しだけ剣道をしたときに、
竹刀でなぐりあうのはあまり好きになれなかったけれど、
すり足というのはけっこう気に入って、
ふつう歩くときにもやってたりしていた。
エーテル的に過去の日本人の血が甦ったのだろうか(^^;)。
 
で、何がいいたいのかというと、
ふつうあたりまえのように歩いている歩き方にしても、
それは洗脳されたというか、慣習になっているというか、
それだからそのように歩いているのであって、
そのことを意識してみると、
歩くことそのもののなかにある制度のことや
それにともなって自分が縛られているさまざまのことを
意識してみることも可能になってくるのではないかということである。
 
で、そのように歩かないやり方や、
そのように感じないやり方、そのように考えないやり方を
いろいろと試してみることで、
それまでとは異なった世界とかも開けてくるのかもしれない。
そんなことを思った次第。

 

 

 

「剣の思想」ノート2

上達し続ける技


2001.12.21

 
         これだけスポーツが普及し、理想化されると、日常の振る舞い全体が、スポ
        ーツの動作体系を基礎音として組織されるようになる。電車に乗り遅れまいと
        走っている日本人の恰好には、間違いなく陸上選手が乗り移っている。今、日
        本人は駕籠かきのようにも、人力車夫のようにも走らず、スポーツ選手のよう
        に走る。それが最も自然な、普通の走り方だと思っているわけです。
         スポーツの世界的な普及には、もちろん政治的な原因があり、この事情はた
        とえば英語の普及などと似通っているでしょう。けれども、スポーツという動
        作体系の普及は、実は一言語の普及などよりもはるかに広汎で根深い。それは、
        意識されない日常のすみずみにまで浸透してきている。この浸透力は、スポー
        ツ自身がその内部に持っている特質からくると考えていいでしょう。その特質
        とは、何でしょうか。それは、作用と反作用の相関で成り立つ運動の一般法則
        を、最も効率的に、純粋に引き出してくるところにあるのではないでしょうか。
        逆に言うと、スポーツと無関係に成り立っている動作体系には、まだこの運動
        の一般法則を逸脱する要素が含まれている、別の要素の混入を許す余地が多分
        にある、ということなのでしょう。
        (…)
         スポーツ選手の頂点は、残酷なほど若い時にやってきます。酷使して、あち
        こち壊れかかった体を残して現役を退いた時には、彼らは後進の指導とかいう
        もの以外、スポーツに対してもう何をしたらいいのかわからない。こういう人
        々が、資本の流れや国家の枠組みのなかで利用され、誉めそやされ、捨てられ
        ていくのだとしたら、この時代にスポーツのリアリズムを心から渇仰するなど
        とはおめでたい話ではありませんか。私が誉めそやしたい技術は、もっと別な
        ところで、おそらくは黙々と生きている技術です。年齢の積み重なりと強く関
        わり、それによってのみ少しずつ可能となってくるような技術なのです。こう
        いう技術は、組織的にはほとんど利用することができない。利用するには、い
        ささか手間がかかり過ぎる。待つ時間が長過ぎる。けれども、ほんとうに上達
        する技とは、そうした在り方しか実はしていないものではないでしょうか。
         スポーツの技術は、体を摩耗させ、ごく短期間で限度に達してしまうことと
        切り離せない。それは、この技術が、たとえば職人の手先技などと違って、体
        全体を使って成り立つものだからでしょうか。決してそうではないと、私は思
        う。原因は、スポーツの動作体系そのもののなかにある。この体系が根差して
        いる運動の一般法則が、多量に行なえば身を損じるという、明かな条件のなか
        に置かれていることに因っているのです。しかも、こうした一般法則は、生活
        (生存)のなかでも有用な動作のためにあり、その目的が達せられれば、動作
        はそれ以上の質的な発展や深化を遂げません。あとは、その動作に必要な体の
        強化があるばかりになる。
         しかし、体全体を用いて行なう技にも、本来の上達というものがある。予測
        を超えて上達し続ける技というものがある。そのような技は、多かれ少なかれ、
        自然が動物に課す運動の一般法則を根底から逸脱する要素を持っていると言え
        ます。
        (甲野善紀・前田英樹『剣の思想』青土社/2001.10.30発行/
         前田英樹から甲野善紀へ/P14-19)
 
「本来の上達」のできる「技」がほしい。
肉体の作用ー反作用が最大限に発揮できるような
若いときだけに可能な「技」ではなく、
常に「上達」し続けることのできる「技」が。
 
体をつかう技だけにかぎらず、
人間としての存在すべてにおいて
いくら遅々としたものであったとしても
常に「上達」し続けることのできる「技」が。
 
その「技」は決して
目先の短絡的な目的のために使われるのではない。
おそらく誰も気づかないようなところで、
何の役にも立ちそうもないような在り方で
樹木が年輪を重ねていくように
それとも石柱が長い年月の内にできあがるような
そんな在り方ででしか育っていかないものなのかもしれない。
 
自我をアストラル体に作用させることで
霊我へと変容させていくような、
自我をエーテル体に作用させることで、
生命霊へと変容させていくような、
自我を肉体に作用させることで
霊人へと変容させていくような、
そんな気の遠くなるような時間を必要とする「技」なのだろう。
しかしそれは永遠へと続くための
常に「上達」し続けることのできる「技」なのだ。
そして、それは真の「自由」への道でもある。
 
そのほんの端緒には、
その働きにまかせてしまえば
作用ー反作用のような在り方で、
アクセルだけのある自動車のようになってしまいがちな感情を
ちゃんと操縦するという面倒な作業や、
考えるという、ある意味では生命力を減退させてもしまいかねない
かなり不自然かもしれない作業を怠りなくするという作業が
必要になるように思う。
しかしそれらの作業は、スポーツのように限界も引退もない。
「後進の指導」へとシフトしてしまうこともない。
道は、目の前に永遠なるものとして続いているのだから。
 

 

「剣の思想」ノート3

道という陥穽


2001.12.28

 
         明治になって、剣術が剣道、柔術が柔道になったのは、やはりこの時期に
        対面した西洋文明を意識してのことでしょう。我が国にも、こういう立派な
        独自の伝統的体育がある、ということが言いたかった。で、「道」の字を付
        けた。ここでの「道」は、江戸期の公的な儒学が、武家の師弟に向かってさ
        んざん定義し、教え込んできた形而上学の観念です。この観念のもとの内容
        は、御存知の通り宋学に由来する。…
         しかし、武術、剣術、という言い方が、江戸期になって世間に広まったも
        のであることもまた明らかです。剣術に諸「流儀」が発生した戦国末期から
        江戸初期にかけては、剣術は兵法、刀法、もしくは剣法などと呼ばれるのが
        一般でした。上泉伊勢守は、新陰流兵法を名乗っている。宮本武蔵の時代も
        まだ剣術は兵法でした。…私が自分のやっていることを「剣術」とかわいら
        しく呼ぶのは、「兵法」に対するまったくの卑下、畏れ、遠慮からである、
        けれどもまた、それは近代の「剣道」に向かったいささかの矜持からでもあ
        る、ということになるでしょう。
         …「術の小乗を脱して、道の大乗に」という嘉納治五郎の発想は、極めて
        旧幕的な教養を背景としたものにほかなりません。「柔道」の観念に近代ス
        ポーツの健康思想が無理なく接ぎ木されたのは、こうした教養の曖昧さのお
        かげだったのかも知れない。術を脱して道に行く、その「道」の中身が、朱
        子学の説く「天地自然の理」から近代オリンピックの博愛精神になり替わっ
        たところで、別にどうということはない。江戸期を通じて、「術」はすでに
        その中身をなくして広まっていき、ついに柔道式の乱取り稽古を生んでいた
        のですから。
         これは面白いことですが、剣術、柔術の呼び名が一般化していった江戸期
        は、剣術であれ柔術であれ、「術」と呼ばれるに足る中身を根本からなくし
        ていった時代でした。反対に、兵法の呼び名が一般であった時代には、数々
        の恐るべき術があり、我が術の正否に日々の命を託して生きるほかない人間
        が限りなくいた。兵法が生み出されたのは、このような「術」からです。言
        い換えれば、「法」は、「術」が「術」に克たんとする激しい願いから念じ
        られていた。…
         ですから、私は自分の理想とする剣術が、特定文化を突き抜けた普遍性を
        持つものであると同時に、日本の戦国期の徹底して特異な、異様な状況から
        生まれてきたものであることを、いつも忘れまいと心がけています。…
         「法」は、おそらくあらゆる「術」を「術」たらしめるものの唯一の核心
        を射抜くことによってしか達することはできないでしょう。術を捨てて赴く
        「道」などは、詐欺同然のまやかしに過ぎません。
        (甲野善紀・前田英樹『剣の思想』青土社/2001.10.30発行/
         前田英樹から甲野善紀へ/P48-51)
 
柔術を柔道と呼ぶようにしたのは、嘉納治五郎で、
それは「術の小乗を脱して、道の大乗に」という発想かららしい。
「道」をつけて呼ぶとどこか高尚なものであるようにみえるために、
すべてに「道」というのをつけることを好むようになったことを、
明治期以降の西洋コンプレックスの一現象として
とらえてみるといいのかもしれない。
 
「道」といえば、「老子」で、その最初に
「道の道(い)う可きは、常の道に非ず。
名の名づく可きは、常の道に非ず。」
とあるように、「道」と名づけられることで
その「道」は、その真の名を失ってしまうことになったのかもしれない。
 
シュタイナーが、人智学という名称に対して、
その名称の固定化を避けたがっていた話もあるが、
どんな名にしても、固定化したかたちを指してそれだと言ってしまうことで、
その実が失われてしまうことに対する危険性に対する繊細な感受性を
持つ必要があるのだろう。
 
「術」と呼ぼうが「法」と呼ぼうが同じことではあるのだけれど、
とくに「道」という名に付着している
ある種の固定化してしまった空疎なまでの特権意識のようなものには
注意が必要であるように思われる。
 
日本では、儒教的な道徳観が
知らぬまに忍び込んでいることが多々ある。
おそらくこの「道」もそのひとつで、
「術の小乗を脱して、道の大乗に」というのも
儒教の影響を受けた仏教用語が用いられているように見える。
 
そういう意味でも、老子的な観点を常にもちながら、
その「名」によってみずからの内において
固定化・権威化されてしまいがちなものを
常に検証してみることが求められる。
 
夢枕獏と岡野玲子の「陰陽師」に「呪(しゅ)」というのがでてくるが、
「名」で呼ぶこと・呼ばれることで、人も物も「呪」にかかることになる。
そのために、古代において真の名は隠されることが多かった。
真の名を知られることで、まさに「呪」にかけられてしまうかもしれないのだ。
 
「道」もまたひとつの「呪」であり、その「呪縛」ゆえに、
「道」は名づけることのできるものに堕することになるのである。
 

 

 

「剣の思想」ノート4

<勝つ>から<創る>へ


2001.12.28

 
         徂徠は「聖人」という歴史の出来事の真の一回性を、後世の儒学者たちが
        ほとんどまったく理解していないことに心底驚きました。同じことは、上泉
        伊勢守のような剣の「聖人」についても言える。このような人物が百年の乱
        世の果てに行なった根源の作為は、歴史中ただ一回限りのものであり、私た
        ちはもう二度と「太刀(かた)」の出現を見ることはない。だから、太刀を
        反復させる・これが、剣術修行における私の固い信条なのです。
         ところで、伊勢守のこうした作為の後に、一体何が変わったでしょう。斬
        り合えば人が死に、勝者と敗者ができる。支配する者と服従する者が生まれ
        る。このことの何を伊勢守の新陰流は変え得たでしょう。私はこう思います。
        彼の兵法は、<勝つ>ことに替えて<創る>ことを、<奪う>ことに替えて
        <与える>ことを本質とした。何が勝つことであるかを決めるのは、所詮は
        世の出来合の価値でしかない。人から何か(たとえば命、地位、金銭)を奪
        おうと望むのも、そういう価値に従ってでしかない。けれども、もっと別の
        道がある。出来合の価値を絶え間ない柔らかな創造に替える道、何ものも支
        配せず、みずから創造する新たな価値を与え続ける道がある。伊勢守晩年の
        兵法が、敵ではなく味方を、敗者ではなく無数の共鳴者を作り出した理由が
        ここにあります。
        (甲野善紀・前田英樹『剣の思想』青土社/2001.10.30発行/
         前田英樹から甲野善紀へ/P178-179       )
 
「勝つ」ということはいったいどういうことなのだろう。
そのことが子どもの頃から大きな疑問だった。
勝つというのは、人に勝るということでもある。
では、人に勝るというのはいったいどういうことなのだろうか。
人に勝ることで、いったい何が得られるのだろう。
 
賞金が得られるというのもあるだろうし、
名誉が得られるというのもあるだろうし、
また勝つ者のみが得られる権利もまたあるだろうが、
それらの価値の依るところのものを見定めないかぎり、
得られるさまざまはその価値に呪縛されることになってしまう。
 
もちろん、勝者であることによってはじめて、
その勝つこと、勝ることから自由であるための
可能性を得るということもある。
その点を見過ごすことはできないだろう。
そこに、この地上を生きる困難も、
また可能性もあるのだということは重要なことだと思う。
 
ぼくは、現在の生において、
「勝つ」ということとずっと無縁のままでいるので、
勝つことによって勝つことを超える道が
いったいどういうものなのかはわからないのだけれど、
わからないなりに、自分のおこなっているさまざまが
いったい何を創造し得るものなのだろうか
ということについて考えることがある。
 
自分のおこなっているさまざまというのは、
その言葉どおり、あらゆる行動や言葉や思考等のことで、
それらはたしかに「出来合の価値」に縛られがちなのではあるけれども、
それらをいかにすれば「絶え間ない柔らかな創造に替える」こと
「何ものも支配せず、みずから創造する新たな価値を与え続ける」ことが
できるのだろうかということを考えるのだ。

 


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