『韓国』ノート

4 新羅、花郎と弥勒信仰


2002.4.20

 

         韓くに言葉で「天」を「ハヌル」という。
         この語は、単に物理的空間としての天空を指すというより、もっと宗教
        的で哲学的である。もともと大陸系の太陽信仰・天空信仰が根強い民族な
        のだ。いろいろな説があるが、ハヌルは「大きい」という意の「ハン」と
        「日/陽」という意の「アル/ナル」がくっついてできた語、という有力な
        説がある。この「ハン」というのはそのほかにも「偉大な」「ひとつの」
        「真正の」「充ち満ちた」などという多様な意味を持っており、「ハン思
        想」というこの民族独特の思想にまで昇華されている。
         たとえば古朝鮮を開国したとされる檀君の父・桓雄やその父の桓因など
        の「桓」もこの「ハン」と同根であり、韓国の「韓」も同じであるとされ
        る。
         天は神である。「ハヌルリム」「ハヌニム」などと呼ばれて崇拝される
        (「ニム」は尊称)。この信仰とは別に、中国儒教の天思想の影響も強く、
        特に性理学が花開いて天理は儒者の最高原理となる。
         そしてこの宗教と哲学のふたつの流れはついに、「すべての人が天であ
        る」という東学思想にまで受け継がれることになる。
        (…)
         韓くにの天といえば、忘れてならないのは月。昔から、韓くにの空は高
        く、月が美しいのだといわれている。そして月といえば、私が思い起こす
        のは「花郎(ファラン)」なのだ。花郎というのは、新羅時代に青年貴族
        から選ばれた夭(わか)き、みめよい戦士。美貌としなやかな身ごなしで、
        儒教・仏教・道教を融合した「風流道」の修行を積むため新羅の麗しい山
        河を駆けめぐった。
        (小倉紀蔵『韓国語はじめの一歩』ちくま新書/P105-109)
 
新羅の花郎のことがずっと気になっている。
新羅の青年貴族による武装集団だったともいわれる花郎。
その集団の信仰の対象があの弥勒、
あの広隆寺の半跏思惟像(弥勒菩薩蔵)の弥勒。
金城郊外の神仙寺にある岩壁には
高さ10メートルもある半跏思惟像が彫られているという。
 
弥勒は、釈迦の入滅後、56億7千万年の後に現われて
衆生を救済するといわれる未来仏。
その信仰が弥勒の化身としての花郎に託され民衆に支持された。
花郎というのは、美しい男性という意味で、
段階を経て弥勒仙花という位につくのだが、
それは実際に美しい青年に限られたといわれる。
 
さて、半跏思惟像は百済様式だといわれているが、
その実、半跏思惟像は新羅で6世紀後半から7世紀にかけて
ほどんど新羅にだけ流行したそうしら弥勒信仰を表現したものだという。
その時代は日本では聖徳太子の時代であり、
聖徳太子の7寺のうちの6つの寺で半跏思惟像は本尊とされている。
 
聖徳太子の謎の中心には、この弥勒信仰と
そして新羅が百済にすりかえられている歴史があるように思える。
そして、その新羅と百済の二つの潮流は
その後も日本の歴史の底流に影を落としていると。
あの白村江の戦いで日本と百済の連合軍をうち破ったのも
新羅の花郎の軍らしい。
ひょっとしたら、天智天皇と天武天皇というのも
百済系と新羅系を代表している存在なのかもしれず、
あの平安京を開いた桓武天皇の「桓」という文字にも
何かが隠されているような気がする。
平安京の造営には秦氏が深く関わっていたらしいが、
四天王寺た広隆寺なども秦氏由来の寺でもある。
 
新羅という国は不思議な国で、
たとえば由来恒雄『ガラスと文化』(NHKライブラリー)には、
新羅とローマ文化との関わりについて述べられている。
(そういえば、ローマは羅馬と表記されたりもするように
「羅」という文字がなぜか入っている)
 
         朝鮮時代の三国時代(四〜七世紀中頃)の新羅の古墳を発掘すると、ど
        の古墳からも、きまってローマン・グラスが出土しています。それに対し
        て、高句麗・百済の古墳からは、今日までのところ、どの古墳からも、一
        点のローマン・グラスも出土していません。
         ローマン・グラスだけではありません。新羅古墳から出土する異物の内
        容は、高句麗・百済古墳出土の異物とは、根本的にその位相を異にしてい
        ます。出土遺物ばかりではありません。古墳の構築法も、新羅古墳と高句
        麗古墳の構築法との間には、何の関連性もなく、まったく共通性をもって
        いないのです。
        (…)
         新羅のことを記録した当時の中国や朝鮮、日本の資料を検証してみると、
        あたかも、そうした出土遺物や古墳の遺構が示す異質性を実証するかのよ
        うに、新羅と高句麗・百済との関係も、また新羅と日本の関係も疎遠であ
        ったこと、ましてや中国との関係に至っては、ほとんど無関係の状態が永
        年続いていたことがわかります。
       朝鮮史においても、東洋史においても、従来、この新羅王国の異質性や、
        中国文化との非関連性について指摘した文献は稀です。
        (P103-106)
 
ローマ、新羅、弥勒信仰、聖徳太子、
そして日本の歴史の裏に流れているもの、
そして「すべての人が天である」という東学思想・・・。
興味は尽きない。
 
 


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