『海馬』ノート1

頭がいいということ


2002.6.26

 

        糸井 何かと何かをタイミングよく結びつけられることが「脳のはたらきが
        とてもいいということなら、ぼくはぜひ、自分の脳のはたらきをよくしたい
        と思う。
         今までは、ガリ勉みたいなイメージのことを「頭がいい」と言っていたか
        ら、「『頭がいい』って、かっこ悪い」とかいう考え方も出てくるわけでし
        て。ぼくも正直にいえば、頭がいいって言われてよろこんでいる人とは、あ
        まりオトモダチになりたくない。だけど、「頭をよくするのは、よく生きる
        ことにつながっていてほしいし、よく生きることにつながるなら、頭をよく
        する方法を知りたい」と、本気で思えますね。
        (池谷裕二・糸井重里『海馬/脳は疲れない』朝日出版社/P26-27)
 
ちゃんと考えることができるということと
知識がたくさんあること、つまり物知りとは混同されがちだけれど、
その二つの、いわゆる頭の働きは違う。
この『海馬/脳は疲れない』では、同じ記憶でも、
暗記記憶と方法記憶、もしくは暗記メモリー、経験メモリーを区別している。
 
ちゃんと考えるということは、
知識を引き出しのなかから取り出してくる、
つまり知識というデータベースを検索して
アウトプットするということではなく、
むしろ、そこにある知識にとらわれないで、
それを再検討できるということでもある。
だから、クイズのように
あるパターン化した正解があるようなものに
いくら答えられたとしても、考えたことにはならない。
 
だから記憶するといっても、
データベース的な記憶ではなくて、
その方法の記憶、経験の記憶のほうが重要だし、
しかもそれらの記憶を生かしながらも、
それに固着してしまわないで、
常に新たな方法を生みだしていくことが重要になる。
 
脳の働きをコンピューターにたとえることもできるが、
この世界で考えるということができるためには
その道具としての、
できるだけ優秀なコンピューターがあったほうがいいけれど、
そのコンピューターは、脳に損傷がないかぎり、
そのハードとソフトをある程度、
オペレーションする側でつくっていくことができるのではないかと思う。
逆にいえば、ちゃんとつくっていこうとしないと、
衰えていってしまうということでもある。
とくに「海馬」というところはそういう働きが顕著なようなのだ。
 
ぼくは記憶力がとても悪くて、
漢字の書き取りとか数学の公式とか、地名とか年号とか、
そういうものを覚えるのがとても苦手で、
何かを覚えないといけないと思うと、
すごいプレッシャーになっていたりしたけれど、
少しだけ言い訳をするとすると、
たぶん、暗記記憶をするためのモチベーションづくりが
かなり苦手だということなのだろう。
ひょっとしたら、そのモチベーションづくりの方法論もふくめて、
「頭をよくする方法」がみつかるかもしれない、
そのヒントがこの『海馬/脳は疲れない』には詰まっているように思う。
 
 


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