子どもがとても反抗的になるとき、しばしばその原因は先生がその子どもに関 心を示さないことにあります。このようなことも先生が授業の復習をするときに 気づくことによって、生徒に自分の心を向けるきっかけとなり、とてもよい積み 重ねとなっていくでしょう。 また、授業の復習から、今後の授業に役立つ発見をすることもあるでしょう。 なぜなら、授業の復習をするとき、先生はつねに一人ひとりの子どもの授業中の 状態を思い浮かべ、その子どもの身になって感じ、その状況を自分で追体験する ことによってさまざまなことが分かり、発見することができるからです。授業の 復習では、このような興味深い取り組みができるのです。子どもの年齢にあわせ て先生も内面的に同じように感じることができれば、それぞれの子どものふるま いがよりよく理解できます。そのためにも、次のような練習は先生にとっても親 にとっても非常に有効でしょう。たとえば、自分がその年齢の時はどうだったか 思い浮かべてみることによって、自分の子ども時代に戻り、子ども時代の力を呼 び覚ますことができます。その子どもの内面とまったく新しく深くつながってい くことができるのです。 (ヘルムート・エラー『人間を育てる』P168-169) 私のなかにはいろんな私がいる。 必ずしも今の実年齢の自分が私だというのではない。 まだ赤ん坊のような私もいれば、 ようやく言葉を話せるようになった私もいる。 それに、怒りっぽい気質の私もいれば、 のんびり屋さんの私、ちょっと気どった私もいる。 なにもしたくない私も、いろんなことに好奇心をもっている私もいる。 私がとてもいらいらしているのはどうしてだろう。 そう思うときもある。 直接的に思いつくことのできる原因があるときもあるけれど、 なぜだかわからないときだってある。 そんなときは、自分のなかにいるいろんな私に会ってみることが必要。 なぜそんなにいらいらしていたのかわからなかったときの自分を見つけて、 それも追体験してみる。 なぜ自分はあんなにいらいらしていたのだろうか。 その自分と今の自分を比べてみる。 そうすることで、たとえなぜそうなのかはっきりとはしないとしても、 なぜかいらいらが少しずつ変化してくるのがわかる。 自分のなかにいるいろんな私のことを おりにふれて気にかけるようにすること。 もしそこに決定的に無視されている私がいるとしたら、 ひょっとしてその私はいつかとても反抗的になるかもしれない。 自分をふりかえるということは、 自分を円に近づけていくことでもある。 自分が気にかけている自分しかいないと その円はほんの少しの弧でしかないが、 それまで気づかずにいた自分を見つければ見つけるほど その弧は次第に円を描くようになる。 私はほんらい円なのに、 円でなくしてしまうのも私なのだ。 |
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