『自己教育』ノート7

プロセスを深める


(2003.3.27)

 

         子どもたちとさまざまなイメージを追って大地を耕し、種まきをし、成長する
        過程をたどり、実り、収穫、納屋に貯蔵するまで、順を追ってエポックを深めて
        いくと、人間の成長を作物が生長する過程になぞらえることができます。農家の
        人が先生や親だとすると、種子は子供たちです。どの担任の先生も、すべての子
        どもの魂のなかで、霊的で崇高な力が芽生え、すくすく育ち、よい実を結び、豊
        かな収穫をもたらすよう、心から祈るでしょう。一年の季節の流れと人の一生の
        流れはよく似ています。農業のエポックは、ただ昔を懐かしむだけの意味のない
        授業ではなく、この年代の子どもたちにとってとても大切な授業であることがお
        わかりいただけたことと思います。
        (ヘルムート・エラー『人間を育てる』P131)
 
私はひとつの種子である。
その中には種を生み出してきたすべてが含まれており、
またそのなかには、これから発芽し育ち花を咲かせ実を結んでいく
そうしたプロセスが内包されている。
(もちろん、自分を遺伝子としてとらえるのではなく、
霊的存在としてとらえること)
 
シュタイナーは「神秘学概論」のなかで、
「ちょうど五十歳の人の姿の中に、一歳の子どもの姿が観取できるように、
現在の状態の中に、過去の状態が存在している」と述べているが、
その意味合いは異なるものの、その逆のこと、
つまり、現在の状態の中に未来の状態が存在している、ともいえる。
 
自分のなかには過去のすべてが存在していると同時に、
未来のすべてもまた可能態として存在しているのである。
自分を永遠のプロセスとしての存在としてとらえること。
それこそが自己教育ということでもある。
 
気をつけなければならないのは、
今の固定した自分を肯定してしまうこと。
自分のあるがままを肯定するということは、
自分を「結果」として肯定するということではないのだから。
 
結果主義に陥ってしまうと、
自分がプロセスそのものだということが見えなくなってしまう。
正しい答えがあるかどうかということだけにこわるようになってしまう。
変容し育っていくであろう自分を待てなくなり、
結果としての答えだけを求めるようになる。
たとえば、順境での慢心もそこに生じ、
逆境での失望もそこから生じてしまうのである。
 
私は可能性の種子である。
それはミクロコスモスであり、
マクロコスモスとつねに照応している。
しかも常にプロセスのなかでダイナミックに変容しつづけている。
 
 


■「思想・哲学・宗教」メニューに戻る
■神秘学遊戯団ホームページに戻る