『自己教育』ノート1

学びたいからここに来たんだよ


(2003.3.12)

 

 
         シュタイナー学校の担任の先生は、一年生から八年生まで、さまざまな領域の
        教科を教えます。三週間から四週間かけて、毎日、基礎的な授業に取り組むので
        す。たとえば、低学年では計算や読み書きを、また特別なテーマである植物学、
        物理学、科学、地理などの授業は十三歳から十四歳の子どもの発達段階にあわせ
        て行なわれます。
         担任の先生は、学年が上がるにつれ、自分が専門的に学んだことのない教科に
        ついて研究し、授業をつくる割合が増えていきます。自分が苦手な分野の授業も
        しなければなりません。そのため担任の先生は、新しいテーマに対して、そのつ
        ど新たな気持ちで取り組むことが必要になります。
        (ヘルムート・エラー『人間を育てる』P17)
 
自分がいま何歳かということは別にして、
自分をいま一年生だとしよう。
そして自分はまたその先生でもあるとする。
とにかく、そこからはじめてみる。
そして、やがて自分が八年生になるまでの
自分に対する授業を大まかに構想してみる。
 
自分は自分に「さまざまな領域の教科」を教えていく必要がある。
最初はとても基本的なところからはじめてみるとしても、
専門というか自分の得意なものだけではなくて、
やがては自分の苦手としかいいようのないものにも
次第次第に直面することになる。
 
「さまざまな領域の教科」というのは、
学校で扱っているようなテーマもあるだろうし、
日々自分の関わっている領域でのテーマもあるだろう。
それらを自分なりに組み立ててみる。
ときにはその都度の状況や関心に応じて変更しながら。
 
とにかく、外的な意味での教えるー学ぶということにとらわれず、
自分をどのように育てていくかということを模索していく。
 
        シュタイナーは、1919年に、最初のシュタイナー学校の担任の先生に、はじ
        めての授業はどうすればいいかを記した簡単な草案を提供しました。それは今日、
        世界中のシュタイナー学校でのはじめての授業のときに実践されています。ここ
        で大切なのは、子どもが学校に入学する大切な最初の瞬間に注目させることです。
        「君たちは、学びたいからここに来たんだよ」と語りかけることによって、どの
        子どもも自分のなかに無意識にそういう気持ちを持っていることに気づかせてあ
        げるのです。先生は、自信をもって、子どもの前で「どの子どもも学びたい気持
        ちをもっている」と言うことが大切です。なぜなら、子どもの魂のなかには学び
        たいという意志が息づいているからです。
        (ヘルムート・エラー『人間を育てる』P26)
 
自分で自分に「君は、学びたいからここに来たんだよ」、
そう語りかけるのはむずかしいかもしれない。
その点はやはり大人になってしまった私たちにとって
とても苦しいところではあるのだけれど、
しかし、だれにでも「学びたいという意志」は息づいている。
 
たとえスランプにも思えるときがきたとしても、
その「大切な最初の瞬間」に常に立ち帰りながら、
自分でしか自分を育てていくことはできない。
しかもそれは「結果」が最初にあるのではなく、
長い長いプロセスを通じてしかだれにとってもできないのだということを、
あきらめないで続けていくことでしかできないのだ。
そう自分に語りかける。
語りかけ続ける。
 
その原点は常に「自由の哲学」。
そこに「自己教育」という理念の出発点があるように思う。
 
 


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