福岡正信に関する記事紹介


(91/12/24) 

 友人の書いた福岡正信さんの紹介記事を転載します。

 福岡正信氏の自然農法は、現実的農法の改革という点では現実的でないことは確かなのですが、現代の農法を含めた自然観へのアンチテーゼとしてきわめてアクチュアルなものであると思います。僕も福岡さんの著書「わら一本の革命」以来、尊敬してる方の一人で、ぜひみなさんに知ってほしいと思いここにご紹介させていただきます。

 なお、この記事は、どちらかというとビジネスマンを対象としたものですので、そこらへんを念頭においていただければと思います。

 また、福岡正信氏は、ぼくの住んでいるところからでも、車で20分ほどで行けるところにいらっしゃるということをつけ加えておきます。

 ●いま「はたらく」ことを考える/福岡正信●

 現代の豊かさは、幻想であることを1本の麦が証明してくれた。

 ●偉人ほど近所では変人あつかいされる●

 世界的には有名ではあるけれど、地元には余り知られていなかったり、人気がなかったりする人がいます。

 著書「わら一本の革命」や自然農法で知られている福岡正信氏です。かつて「四国の大将」といわれ来島ドッグや佐世保重工の再建で有名になった坪内寿夫氏なども全国的にはかなり有名でしたし、いろんな世界からもかなり評価されていました。レーガン元大統領の大統領就任式にも招待されたくらいの人ですが、意外と地元では人気がなかったように思います。人気がなかったというよりも、むしろ嫌われていたように思います。

 この福岡氏について言いますと、氏の著書であります「わら一本の革命」は世界24ヶ国に翻訳されて出版されています。このショッキングでモティベイティブな内容にアメリカやヨーロッパをはじめ第三世界の人たちは賞賛しました。特に地球環境や自分の生活に新たなオルタナティブを求めている若者たちには絶賛されました。

 そして、著書を片手にわざわざ福岡氏に会いたいと日本まで来る若者も後をたたないとのことです。彼らにしてみれば、世界的に有名な人だから当然大きな看板とか案内所我あるか、また誰に聞いても知っていると思って、松山駅に到着するわけですが、実際は何もなくて、駅員さんに聞いても何も知らないので、まず驚くそうです。なんとかかんとか説明してやっと伊予市の福岡自然農園までたどりつくと、これまた本当の自然のままなので驚いてしまうといいます。実際、自然のままだからジャングルのように見えてもしかたないのだけれども・・・。

 何年か前にフィリピンでもっとも名誉ある賞で、日本でいったら国民栄誉賞のような権威あるマグサイサイ賞というのを授賞しました。しかし、意外とこういったことはあまり地元の人は知らないようでした。むしろ近所などからは、変人扱いをされていたようです。

 先述の坪内氏にしても、土佐の坂本竜馬にしてもスケールのでかい人間とか、全国的、世界的に活躍する人というのは、どうも地元では支持されないパターンというのがあるようです。

 ●自然農法とは、自然と人間との関わり方にある●

 福岡正信氏といえば、やはり自然農法、自然農園から話していくのがいいでしょう。

 40年の間、この自然農法の実践の場になっている福岡自然農園は、伊予市大平の国道56号線から少し海よりの小高い丘にある。広さに関してははっきりわからないところもありますが、小高い山小屋風の民家が山3つ分くらいの広さなのです。山全体が自然農園で、古い山小屋風の民家が山の中腹に3軒ほどあります。中には生活できる設備が揃っている山小屋もあるようです。八角堂といって、建設中の大きな建物もあります。

 ずっと一本道をはいっていくと、ほんとうに自然のままのように思える雰囲気がずっと続いており、少なくとも余り人の手は加えていないだろうと思います。しかしながら、人はまったく手をつけていない、まったくの自然のままではないようです。どうも福岡氏のいう自然農園のポイントはこのあたりにあるようです。

 「私がいっている自然農法というのは、まったくの手つかずというのでななく、自然摂理を踏まえた上で、どう人間がかかわっていくか、そのかかわりかたをいっているのです。」このあたりが、福岡氏の自然農法を理解するための最初の大きな壁だと思われます。自然農法と他の農法との違いをひとことでいうと、光、風、雨、土などの自然の諸要素に人間の力が正しくさようすることによって、科学肥料や有機肥料などよりも生産性が高く、最も効率的にエネルギーを生み出すことができる、と福岡氏はいうのですが、このあたりになるとかなり専門的な分野になってくるので、結論にふれるのは避けておくことにしましょう。 

 ●人間が考えた事や創ったものに完璧だったものは何一つない●

 「この世の中で価値のあるものは何もない。すべてが幻想の中で動いているだけだ。この文明社会で生産されているものはすべて価値のないものだけである。エセ知恵者によって築き上げられた価値観をみんなが血眼になって追っているだけである。」と氏は何十年も言い続けている。この思想だけはずっと変わっていない。

 「人間が考えたものに完璧だったものは何一つない。すべて欠点があり、人間を幸福の方向には導いてはいない。」という。いかにも人間の無力を知り、奢りを捨て、もっと謙虚になれ、とでもいいたいようである。そして、「何もしないのがいちばんいい、本来人間は何もしないでも幸せに生きられるはずだったのです。それをだんだん社会を複雑にして、苦労をしょいこんできたのです。人間が何かをすればするほど世の中は悪くなるのです。人知、人為は一切が無用である」とかなり過激な発言。この自然農法を実践していった中で学んださまざまな哲学が、彼を現代の老子といわれている所以かもしれない。一緒に行動していくうちに感じてきたのは、彼はどうみても農家の人というようなタイプではな研究家や学者タイプだなって気がしてきました。経済や科学、哲学、宗教にも私など問題にならないくらい精通しているようです。

 「自分の力を知るとき、自分の無力さを知るとき、自分を越えた大きな力を知るとき、はじめて自分の進むべき道を歩みはじめる」 

 ●今の豊かさにはかなりな代償を払っている●

 また世の中のものがすべて無駄であるということを彼はこう表現する。

 「悪い事をしておいて、それに気がつかないままにほっておいて、その悪い事をした結果がでてくると、それを懸命に訂正する。そして、その訂正したことが効果をあげると、いかにもそれが価値ある立派なもののように見えてくる、というようなことを人間は飽きずにやっている」まさに交通事故が起きるとGNPが上がったり、戦争が起こると産業が発展するという仕組みによく似ています。

 そして、もっと分かりやすく説明すると、「偉くなろうと思って夜も昼も一生懸命に勉強して、近眼になって、いったい何の勉強をするかといったら、偉くなって良いメガネを発明するためだ、ということなんです。勉強しすぎて近眼になって、メガネを発明して有頂天になっている。これが科学者の実態だと思います。」

 この自然農園の一株の稲や麦、そしてミカンが証明してくれたのだという。まさに、現代文明にどっぷりとつかっている私たちを嘲笑している表現にほかならない。

 いまの豊かさはすべて幻想であるという。自給自足の時代から分業の時代になって確かに生産性はあがってきたはず。苦手な分野はひとに頼み、得意な分野を担当する。たしかに目に見えている部分に関しては豊かになったと思えるが、精神的には大きなマイナスが存在するという。それは、大工場で働く工員を例にとっていうと、「彼らはおそらく精神的には大きな苦しみを背負っていることを知っているはずです。それは自己阻害という形で現れてきています。彼らは、物質のために大きな犠牲を払っている。」今の物質的な豊かさに、かなりの代償を払っている、ということだ。そのことがだんだんとわかりかけているのも事実ではないでしょうか。少なくとも世の中はそちらの方向に向かってきているように思えます。

 「発達より収縮、誇張より凝結の時代がきている。科学万能、経済優先の時代は去り、科学の幻想を打ち破る哲学の時代がきている。」という。「これからの若者はものごとの原点を考えられる行動原理と世界的視野をもった行動的な生き方をしてほしい。」

 福岡氏は、この1、2年、講演、執筆や自然環境保護団体の設立や応援などに積極的である。特に今年の湾岸戦争や一連のリゾートブームのなかの自然環境破壊問題などに対しては、このままでは地球も人類も大変なことになる。命をかけてやらなければならないことがある。」と地球緑化のために世界を飛び回った。

 今、我々ビジネスマンも原点に帰って福岡氏に言い続けていることに耳を傾けてもいいのではないでしょうか。 

 紹介記事は以上です。福岡氏の論点はすべて正しくて有効であるとは決して思いませんが、現代という危機的状況での象徴的な存在として、一度この福岡さんのやっていることを理解してみることは非常に意味のあることだと思うのですが、どうでしょうか。 


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