風のfragments

31-38

(97/2/4-97/4/26)


31)気概

32)一以テ之ヲ貫ク

33)自己の中から噴き出す要

34)アンダーグラウンド

35)癒し

36)自我

37)振り返り

38)性格・気質について

 

 

風のfragments/31■気概


(97/02/04)

教育はつねに崖っ淵に沿って歩くしかない。なぜなら、最も必要なことがあらかじめ不可能を予告されている、それが教育の本質と思われるからだ。必要にして不可能なのは徳育である。つまり生徒・学生の「気概」をいかにして養うかということだ。「やる気」がない相手にどんな知育(知識にかんする教育)や体育(身体にかんする教育)を授けても、おおよそ無駄に終わる。逆にいうと、「やる気」さえあれば、知育を体育も独学でこなすることができる。良い学術書なり良い指南書さえあれば、気概ある子供は自力で知識や体力を養成することができるのである。とくに小学校高学年以上の教育、つまり中等・高等の教育においてそうである。書物というものを読みこなせない幼い子供たちにたいする初等教育においては、両親や教師たちの授業が必要であろう。しかしそれ以上の段階の子供にとっては、もし気概が保たれているならば、独学でほぼ十分なのではないか。(中略)

気概を養うためにこそ学校が必要であるからには、学校教育の眼目は徳育だということになる。(中略)

徳育とは、文字どおりに、ヴァーチュー(徳)について教え学ぶことである。ヴァーチューとは「精神の力強さ」のことであり、徳の意味もまたそれである。ともに「気概」のことを意味すると解釈してさしつかえない。要するに、知育や体育における「やる気」を養成するのが徳育だということである。

学校における徳育が不可能を予告されているとはどういうことか。それは、気概なるものの精髄が、「生の葛藤」に堪え、それを処理し、さらにはそれを昇華させるという大いなる難事における力量にある、ということである。矛盾多き生、逆説に取り囲まれた生、そんな生を首尾良く乗り切るのは至難の業であり、とくに学校の教師のような書物と首っ引きの生活を送っているものたちにこうした精神の術が備わるわけがない。

(西部邁「『国柄』の思想」徳間書店/1997.1.30/P128-130)

  ぼくは学校で学ぶことが少なかった。流されるままに、主体性なく、情けなく、大学まで通ったが、学んだのは学校で教えるとされる勉強ではなかった。本を読み始めたのは、学校にあがる前だったから、そういう能力さえどこかで身につけられたとしたら、上記にあるように、誰でも「独学でほぼ十分なのではないか」と思う。

 もちろん、個人差があって、「教えてもらう」という「方便」が有効なタイプと、そういう「方便」に反発しか感じないタイプがあるのだろうから、その適性に応じて形態を選択していくのがいいとも思うが、どちらにしても、「教えてもらう」ことなどできないのだ。もし、「教えることができる」と傲慢にも思う教師がいたら、そこにこそ教育の最大の問題があるのではないだろうか。

 人は、自己教育をする。生徒も教師も、それぞれを媒介として自己教育をしているのだ。教師にできることがあるとすれば、まさに「やる気」を養成することだけであり、それさえ生徒に「熱」として伝えられたとしたなら、それで十分すぎるほどの教育がなされたと考えてよい。生徒も、その「熱」を感じとることができれば、形がどうであろうと、大いなる「独学」の道を歩み始めたといえる。そういう意味で、教師に求められるのは「人格」だけであり、生徒に求められるのは、その「人格」に立ち向かうことだけである。

 ぼくは、学校にいる間中、傲慢ゆえにか、そういう「人格」と出会うことができず、誰にも立ち向かわなかった。立ち向かうのは、常に自分であり、そういう自分のおかれた状況との葛藤だった。

 ただし、三十路を過ぎてようやく、書物を通じて、「人格」と出会った。ひとりで出会えると、次から次に出会うことができるようになった。それまで「人格」と出会えなかったのは、ひとえに、ぼく自身にその準備ができていなかったということなのだと悟った。つまり、それまでは自らが好んで闇の中で自足していたということである。闇の中に光を見つけるのは、自分自身以外にない。人が照らす灯火は、役に立たない。

  さて、引用に「学校の教師のような書物と首っ引きの生活を送っているものたちにこうした精神の術が備わるわけがない」とあるが、学校の教師は、今や書物にさえまともにふれていない者が多くなったのではないか。でない限り、今何が必要なのかという視点は自ずと現われてくるはずである。

  ぼくの前に道はない、ぼくの後ろに道はできる・・・それは真実である。だれかのつくった道は虚妄である。道は自分の歩いたぶんだけしか拓けないことを知れば、気概は自ずと満ちてくるではないか。

  

 

 

風のfragments/32■一以テ之ヲ貫ク


(97/03/01)

ある伝説「立命館大学のS教授の研究室は、紛争の全期間中、全学封鎖の際も、建物の一時期封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地道な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで、蛍光がともった。教授はもともと多弁の人ではなく、党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。」

(高橋和己『わが解体』から抄録)

(朝日新聞1997/3/1/「白川静の世界3」より)

 白川静の著作に日々感銘を受けている。氏の業績は、日々の坦々とした研鑽努力から生み出されたものだ。高橋和己からの抄録はその模様を伝えたものである。

 最近の学者は、スタンドプレイばかりが目立ち、一生涯を通じてひたむきに我が為すべきことを為すという気概が乏しい。学者に限らず、すべてにおいて、マスコミ受けのようなことや、人の評価ばかりを気にして、肝心の内容がないことが多い。

 目先に新しそうなことや、発想の転換、ブレイクスルーなど、そういうことは困難そうで、実はもっとも簡単なことなのだ。今日はこれ、明日はこれ、という感じで、新しいゲームを楽しむように、そして、それによってなにかを自分がしているという妄想を持つことができる。

 そういう姿勢から自由でありたいと思う。頑固だといわれてもいい。こだわりすぎるといわれてもいい。そういうことは要らぬ中傷だと思えばいい。

 もちろん、人の声に耳を拓くことは大事だし、常に認識の在り方に新機軸を持ち込むことを怠ってはならない。しかし、そのことはむしろ、「一以テ之ヲ貫ク」ことによってこそ可能なのではないかと信じるものである。

 我が尊敬する者は常にそうであった。シュタイナーしかり、出口王仁三郎しかり、安岡正篤しかり、西田幾多郎しかり、そしてこの白川静しかり、である。

 我が理想を「一以テ之ヲ貫ク」ことによって成就したい。もちろん、結果主義ではなく、日々のプロセスそのものをそういう姿勢で貫きたいということなのだ。

 

 

 

風のfragments/33■自己の中から噴き出す要


(97/03/08)

 

僕のすることを、先生は何もご存じない。また、何をせよとも言われなかった。学問とはそういうものです。自己の中から噴き出す要求があって、初めて物事はできる。

権威主義と学閥の愚かさをにくむがゆえに、私は今日まで孤独に近い研究生活を続けてきた。学問の世界はきびしく、研究は孤詣独住を尊ぶ。

(朝日新聞1997/3/8/「白川静の世界4」より)

 白川静がいわゆる世に出たのは60歳であるという。孔子は、60歳を過ぎて13年も放浪した。ぼくが60歳にまるまでは、まだまだたくさん時間がある。それまでに、なにができるのか、とても楽しみだ。

 「自己の中から噴き出す要求」さえあれば、挫折はない。ただそれを坦々と歩むのみである。幸いそういう「要求」には事欠かない。「要求」だらけで困っているくらいだ。

 孔子のいうのに比べて、「学」に志したのは遅すぎたようだが、いかなる権威や迎合とも自由な場所で始められることを持ったのは、幸いなのではないかと思う。

 中島みゆきの歌に、年をとるのは素敵なことだとかいうのがあったが、ほんとうに、「自己の中から噴き出す要求」を生み出すために、年を重ね、それを歩んでいくことはなんと素敵なことなんだろうと思う。

 

 

風のfragments/34■アンダーグラウンド


(97/03/16)

 

私がこの本を書こうと思ったもうひとつの大きな理由について書こう。ひとことで言うなら、私は日本という国についてもっと深く知りたかったのだ。私はかなり長き期間にわたって日本を離れ、外国で生活していた。七年か八年のあいだだ。(中略)

一人の小説家として、私は様々な外部の場所を体験し、腰を据えて、そこで日本語で物語を書くという作業を試してきたわけだ。日本という、日本語にとって、また同時に私自身にとって、アプリオリな(最初から当然のものとしてある)状況を離れることで、自分がどのような方法で、どのような姿勢で日本語(あるいは日本性)を取り扱えるか、それを意識的・無意識的にその都度フェイズを変えながらマッピングしてきたのだ。

でもそのイグザイル(故郷離脱)の最後の二年ばかりのあいだ、私は自分がかなり切実に「日本という国」について知りたがっていることを、いささかな驚きとともに発見した。自分が日本を遠く離れて、さすらいながら自分を模索していくという時期は、少なくとも今はとりあえず終わりかけているのだ−−だんだんそう考えるようになった。自分の身体の中で、価値規準の一種の「並べ替え」のようなものが進行しているみたいに感じられた。おそらく私は−−今更何を言っているんだと言われるかもしれないが−−もうそれほど若くなくなっていたのだろう。そして自分が社会の中で、「与えられた責務」を果たすべき年代にさしかかっていることを、自然に認識するようになっていたのだろう。

そろそろ日本に帰ろう、と思った。日本に戻り、小説とは違うかたちで、日本という国についてより深く知るためのまとまった仕事をひとつしてみようと。そうすることによって、私は新しい自分のあり方や、立つべき場所を見つけることができるのではないかと。

(村上春樹「アンダーグラウンド」講談社/P709-710)

  村上春樹が、地下鉄サリン事件についてのノン・フィクション書き下ろしを書いた。事件に遭遇した方々に丹念にインタビューしたものを忠実に記したものだ。しかも、通常のマスコミ取材にありがちな誇張や虚飾を排して、しかもインタビューされた方の完全な同意のもとに書かれた。

 地下鉄サリン事件は今からちょうど2年ほどまえ(3月20日がその事件の日だ)に起こり、それについてさまざまなこと報道がなされ、さまざまな本が書かれたがこの本ほど、ぼくにとって深く自分のなかに浸透してきた本はないといえる。

 村上春樹の小説やエッセイなどには、「風の歌を聴け」以来、書物になっているものには、ほとんど目を通しているつもりだが、むしろ、今回のような試みほど村上春樹らしさが出ているものもないのかもしれない。村上春樹はたぶん山羊座のA型だったと思うが、その性格そのもののように、坦々とした真摯な作業を積み重ねることによって、なにかを見ていこうとする姿勢。しかも、何かを自分勝手に解釈しようというのではなく、相手にそのまま沿っていくことで、そこから浮かびあがるものの総体によって「新しい自分のあり方や、立つべき場所を見つけ」ようとする姿勢。

 ぼくは村上春樹よりは少しは若いが、ある意味で同時代を呼吸している感覚は強い。その同時代性を今回のノン・フィクションでもあらためて感じることになった。村上春樹はいわゆる売れっ子の作家で、読者も多いということは、村上春樹とともに同時代を呼吸している方は多いのだと思うのだが、そういう意味でも、ぼくはこの同時代を呼吸しているのだといえる。まさに、この不思議な不思議な同時代の日本という空気を。

 ぼくは村上春樹のように外国で生活していたわけではないのだけれど、感覚としては、日本にいながら日本にいないような、そんなイグザイル感覚がずっと強くあった。しかし、最近になって、それが少しずつ変わりはじめていたように思う。もちろん、いまだに、日本という国にしっくりいっているわけではないのだが、なぜ自分が日本に生まれ日本に生きているのかについて、しっかり深く考えてみる必要があると思うようになったのだ。

 おそらく、このことは、村上春樹と同時代に生きている(同時代に生きていない方も多くいると思うのだけれど)人たちと共有できはじめていることではないか、ということも感じるようになっている。もちろん、過剰に、日本!を叫ぶ方やそれに過剰に影響されているようなむしろ過剰適応型の方々とは少し違った意味であるということはいっておきたい。

 村上春樹は、こうして「アンダーグラウンド」というきわめてすぐれた仕事を通して「新しい自分のあり方や、立つべき場所を見つけ」ようとしている。同時代に生きる者として、ぼくもぼくなりの「新しい自分のあり方や、立つべき場所を見つけ」なくてはならないだろう。

 

 

 

風のfragments/35■癒し


(97/03/18)

 

「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ。さほどに簡便に心地よいはずがない。傷は生きておる。それ自体が自己保存の本能をもっておる。大変な知恵者じゃ。真の癒しなぞ望んでおらぬ。ただ同じ傷の匂いをかぎわけて、集いあい、その温床を増殖させて、自分に心地よい環境を整えていくのだ」

「癒しという言葉は、傷を持つ人間には麻薬のようなものだ。刺激も適度なら快に感じるのだ。そしてその周辺から抜け出せなくなる。癒しということにかかわってしか生きていけなくなる。」

「いいか、覚えておおき。自分の傷に、自分自身をのっとられてはならないよ」

  (梨木香歩「裏庭」理論社/P152-157)

 癒し、ヒーリングが流行している。まるで麻薬のように。

 真の癒しは、自らを成長させることであるがゆえに、ただの心地よさとは根本的に異なっているが、昨今流行の癒しは心地よいだけのものらしい。

 そして、癒しを求める者どうしが集い、互いに傷を見せ合いながら、互いに癒しあう演技をする。しかも、それを演技だとは思わず、それこそが癒しだと錯覚していく。

 傷を癒すのは、自分が自分であり、さらに自分は常に成長しなければならないことを自覚し、そのための苦しさを覚悟することによってだけ可能となる。そうしなければ、傷はみずからの言い訳の道具となり、それが同時に麻薬を正当化するものとなっていくしかない。

   

 

 

風のfragments/36■自我


(97/03/19)

 

あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?

(村上春樹「アンダーグランド」講談社/P704-705)

  自我を人にゆだねてはならない。自我をゆだねた物語はあなたの物語ではない。一体感がほしいがゆえに、自我をゆだねることで、なんらかの「物語」が手に入るのだとしても、その「物語」にあなたは次第に食い尽くされてゆくことになり、そこから離れられなくなるから。

 反省ということにしても、しっかりした自我の基礎から、自己認識として行うのでなければ、それはもはや反省ではない。「反省せよ」というのは、「反省」に似てはいるが、外的強制による「反省」というのは成立しえない。

  そうした偽装された「反省」は、なにかが集団化したときに生じることが多い。「反省」が組織の規範に外れるとき、輪になって互いに「反省」しあいながら、外れたものを責めるというのは、よくあることだ。集団化しているがゆえに、その「反省」の強制は「狂気」以外のものではないのだが集団の構成員は、そのことを正しい行為だと信じている。信じてなくても、信じるのが正しいのだと思いこもうとする。

 反省できない者が、集団化して反省するという狂気。そこにある物語とはいったいどんな物語なのだろうか。まるで悪夢のような物語。

 自我は、みずからの全責任において、孤独な反省を行わなければならない。決して外からの規準で「反省」という集団化した狂気に陥ってはならない。自我はそのことによってこそ自由を勝ち取ることができるのだから。

   

 

 

風のfragments/37■振り返り


(97/03/31)

 

振り返り、見返り、反省、どのように呼んでもよいが、これらはいずれも、自分自身の活動を跡をみつめ直し、さらには自分自身のあり方を考え直してみることである。これはまた、自分自身のことについての自己内対話、内的リハーサルの基礎となる活動といってもいい。(中略)こうした振り返りを通じてはじめて、自分の体験したことが自分の経験となっていき、自分の内面的な世界にそれが組み込まれていくのである。そして、こうしたことの累積によってはじめて、自分の判断や言動の内的な拠り所もできていくのである。

この意味で振り返りは、その人の精神そのものを、特にその芯となるものを形成していくものである。したがってこれは、自立した人間にとって不可欠のものであり、<自己>にとっての基盤を形成する活動である。

(梶田叡一「<自己>を育てる/真の主体性の確立」金子書房1996.5.30)

  古代ギリシアの「汝自身を知れ」、仏陀の「八正道」という反省法、孟子の「自反」、ドイツ観念論の「反省」など、古来より自己認識のための反省は主体性の確立にとっては不可欠のものだった。

 教育においても、そうした反省的な方法は重要な要素である。シュタイナーのいう「自己教育」という考え方もそのひとつであるといえる。もちろん、それは教師においてもその基本になっているのだが。

 教育に関する視点を折にふれて学んでいく機会を持つことは大きな示唆になる。シュタイナーはもちろんであるが、林竹二などからもこれまでに多くを学んだ。今回偶然手に取った梶田叡一「<自己>を育てる/真の主体性の確立」は、反省的方法、自己教育という考え方を教育の方法としてテーマ化したものだが、多くの重要な示唆を得ることができた。

 著者は「振り返り」の重要性を説く。それを通じてはじめて自分の体験を経験とすることができ、それが内面的な世界を築いていくための重要なものとなっていくというのである。

 これは、教育の基礎になければならないと思う。そして同時に、すべての人間にとっての基礎になければならないとも思う。それができてはじめて、みずからの魂を育てていくことができるのである。内面世界の豊かさというのは、そうしたプロセスによって得られるものであり、それは常に発展途上であって、その成長に限界はない。それは自己意識の展開による自己認識の可能性であるともいえる。 

 その総合的な実践的観点は、今この会議室で行なっているシュタイナーの「いか超」の読書会でも随時紹介しているものだが、今回呼んだ、梶田叡一「<自己>を育てる/真の主体性の確立」は、教育という現場においていかにそうした観点を実践的に展開できるかということを非常に具体的にわかりやすくまとめている好著だと思う。

 こうした、自己認識に関する視点は、永遠のテーマでもあるがゆえに、ひとつの視点で納得するのではなく、さまざまな観点に基づいた、さまざまな応用例などを学んでいく必要があるのではないだろうか。ときには哲学から、ときには教育実践から、またときには神秘学から……。

  

 

 

風のfragments/38●性格・気質について


(97/04/26) 

 自分の性格や気質とその生かし方についてのガイドといえば、心理学が参考になることが多くて、たとえばユングだと、外向−内向という方向性と、思考、感情、感覚、直観いう4つの機能から人の心の働きを「外向的思考優位型」「外向的感覚優位型」というタイプに分けさらに第二に優位なのが思考か感情か・・・ということを合わせて、16のタイプ分類をしたりしています。

 もちろん、タイプ分けすることに意味があるのではなくて、あくまでも典型となるタイプを自らの心を見つめていくガイドとしていくことが重要でしかも、16のタイプとはいっても、それらはあくまでも典型としてのものですからどれかに分類されてしまうというのでもないのはもちろんです。

 シュタイナーも、生まれ持った気質を、胆汁質、憂鬱質、多血質、粘液質としてとらえそれらのどれが優勢かということを、教育の現場でも重視していたようです。また、アーユルヴェーダでは、体質とでもいえるドーシャには、ヴァータ、ピッタ、カパという3つがあるともいいますけど、気質にせよ、体質にせよ、生まれもった方向性というのはあるようで、それらを絶対視するというのではないですけど、自分の傾向性や自分が他の人と関わるときなどの仕方などについて、それらの示唆を生かしていくことは重要なことではないかと思います。

 以上は、前置きなのですけど、実は、相棒が最近アロマテラピーについていろいろ見ているところで、ちょうど、

■和田はつ子

「アロマテラピーわたし流/ストレスタイプ別、香りの選び方作り方」

(農文協/1997.3.25)

 というのを読んでいたら、アロマテラピストのロバート・ティスランドによる「5つのストレス型、その性格と行動」というのが紹介されてたそうです。けっこうわかりやすくて、自分にもあてはまるところがあるなあと面白く思いましたので、ご紹介してみようかと思ったわけです。

 で、その5つの型とそれによるストレスとしての負の感情というのは次のようなものです。 

●不安・緊張型

短気・興奮性(これは暴力へと移行しにく「怒り・興奮型」とは別、過敏症、パラノイア

●パニック型

錯乱・優柔不断・恐れ・ショック(精神的な意味で)

●いらいら・嫉妬型

嫉妬・妬み・猜疑心・恐慌・ヒステリー(他者への激情を伴う)

●抑鬱型

無感動・過去の不快なできごとへの拘泥・ヒポコンドリー

●怒り・興奮型

怒り・憎しみ・深い悲しみ

 もちろん、これらは5分類なので、実際はこれらの複合として現れますし、この説明だけではわかりにくいのですので、さらに本文からいくつか説明を付加します。(本文を部分的に再編集しています) 

●不安・緊張型

周囲の誰よりも几帳面。身のまわりのことはいうに及ばず約束の時間の15分前から待機しているという周到ぶり。

この型は自ら不安・緊張を求めているかのように見えますが、そうだとしてもやはり、肉体的にはストレス過多になります。 

●パニック型

「不安・緊張型」同様真面目な人に多いストレス型です。女性や若い男性であればやや過保護に育った人、人と自分の違いがわかりにくい世間知らずの人が多いようです。この型に人にとっては毎日、一秒一刻が試験、試験、試験。ほんのささいなハプニングで冷静な判断力を失いおろそろする日々です。

この人は非常に不器用。また不器用な自分を知っている。人の感情を忖度したりその場の状況を判断することが気の毒なくらい下手なのです。それでいつも何かしくじりをしないかと自分で自分に怯えている。

というと5つのストレス型の中で一番ストレス性の病気に罹りやすいのでは?と思いがちです。そうでもないのです。救いはこの型の人の楽天性です。失恋に大ショックするのもこの型なら誰によりも早く立ち直るのもこの型の人です。ただし気をつけなければならないのはパニックの流れで自分を見失わないこと。弾みで自殺する人もいるからです。

●いらいら・嫉妬型

この型の人の一番の特徴は自分のストレスに完璧に無自覚だということです。同様に自分の性格についてもまちがった認識をしています。いらいら・嫉妬型は自分自身を「陽気な社交家、寛容かつ包容力に富んでいる、奉仕の精神に満ちている、誰からもいちもくおかれ好かれる」と思いこんでいます。

ですからこの型の人に当たっているストレス型を認めさせるのは大変むずかしい。至難の業です。というのはこの手の人が一番恥じる感情が嫉妬、そねみだからです。いらいら・嫉妬型の人は、それが人より強いだけのことだと考えるべきです。いらいら・嫉妬型の人はいらいらや嫉妬をバクのように食っているようなところがあります。自分で思っていることの中で唯一当たっているのは社交家であることです。ただし少しも明るくはないのです。わたしは何人ものいらいら・嫉妬型の知っていますが社交の目的は相手の悪口をいうためではないかと疑いたくなるほどです。この型は競争心が盛んなのです。

このようにいらいら・嫉妬型は自己評価と正反対の評価をされます。こうなればいくらなんでも当人が気づくはずではないかと思うのですがそうはなりません。この型の人には自分を観察する力が欠けているからです。 

●抑うつ型

抑うつ型の人はいらいら・嫉型のような嫌われ者ではありません。浅いつきあいならば「親切で気配りがあって冷静な判断も下せる理想的な人」と思ってくれます。ですがそのうちに相手は気づきます。「誘っても笑顔で断られてしまう」「私生活が秘密主義だ」「何を考えているのかわからない」。とどのつまりは「冷たい人」といわれるのです。本人は十分にこの事実を知っていて自分の欠点だと見なしている。そして社会人として最低線の社交はクリアするべきだと自らを叱咤激励しながら日々暮らしているのです。

抑うつ型が他のストレスと大きく違うところは現実の人間が嫌いだという点です。ゆえに社交が苦手なのです。では何が好きかというと自分の理想とする人間や会なのです。つまり抑うつ型は夢想家なのです。抑うつ型に芸術家やクリエイティブな仕事に携わることが多いのはこのためです。とはいえストレスからこころの病−−ほんもののうつ病に移行しやすいにもこの型なのです。

●怒り・興奮型

最近ではこの型の人は、“近年まれにみる”とか、“古風”だとか果ては“プリミティブ”だといわれることが多いようです。一口でいえば喧嘩っぱやい江戸っ子気質の持ち主です。そのため“単細胞”“単純馬鹿”といわれることがあるようです。無類の正義漢であると同時に暴徒と化すこともあります。川に落ちた人を身を挺して救った同じ人が足を踏んだ踏まれた程度のことで殴り合いの喧嘩をするからです。前世紀に生まれていたら必ず決闘で命を落とすタイプです。ある  いは西部劇の無法者の生き方が似合っているのです。

また現代は怒り・興奮型にとって行きにくい時代です。もっとも抑うつ型も生きにくいと感じています。怒り・興奮型は理路整然とした理屈や観念を構築して憤るのではありません。したがって政局などの新聞記事に腹を立てることは少なくて、日々の生活、たとえばプロ野球の勝ち負け、満員電車の混み具合、投げ捨てられる煙草の吸殻、決して老人に席を譲らない青少年、コギャルの援助交際などに真剣に立腹します。つまり自分なりの倫理観に外れるものはすべて怒りの対象になるのです。それも目の当たりにしてこらえようもなくむらむらするのが普通です。 

 最初は少しだけご紹介してみようと思ったのですが、引用するうちに面白くなってついつい長くなってしまいました^^;。

 ちなみに、ぼく自身はというと、やっぱり主に「抑鬱型」だろうなあと思います。「夢想家なのです」というのは思わずドキンとしましたが^^;、たしかにその傾向はあるだろうなあと思い、それをどう方向づけていくのがいいかをあらためて考えなければと思った次第です。あと、不安・緊張型をふりかけた感じでしょうか。いらいら・嫉妬型や怒り・興奮型という要素はあまりないでしょうね。

 あくまでも方便というかガイドとして、この5つの型をたとえばこのパソ通でもあてはめていろんな方を見てみるとけっこう面白いのではないかと思います。もちろん、あなたはたぶんこの型だろうと言っても、その本人はそうではない、そんな分類には入らないと言うかもしれませんけどね^^;。

 さて、最近は、ユングなどを中心として心理学や精神分析などについてひさびさ見直しながら、いろいろ考えるところが多くなっていますので、そこらへんのこととシュタイナーを関連づけてそのうちに何か少しずつ思うところを書いてみようかなと思っているところです。


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