風のfragments

11-20

(96/9/21-96/11/29)


11)教育の理想と現実

12)天地の創造

13)サウンド・オブ・ミュージック

14)無縁

15)ホモ・ルーデンス

16)ウソ

17)友情

18)行ということ

19)遊び

20)閑

 

 

風のfragments/11■教育の理想と現実


(96/09/21)

 

 わたしたちがしてきたことは、自分の頭でものを考え、自分の足を使って歩ける子どもを育てることだったと思うの。大人のいうことを鵜呑みにして、約束事を守るだけの子どもを育てるために苦労したんじゃない。そう思った。すると、この園で育った子どもたちの目が、いくつもいくつも、わたしにせまってきたの。こんなつよい光を持った子どもが、やすやすと声も上げず気弱く萎えてしまうはずはない。目の光のつよさは生きる力のつよさなんだ。今は馴れない規則や約束事の前でとまどっているけれど、そんなものはやがて乗り越えてくれる。そう思ったのねつよく。

(灰谷健次郎「天の瞳/幼年編I」P191(新潮社/1996.1.30)

 

 先生が好きで、先生のことならなんでもまねしたい。そんな子どもとではまったくなかった自分だったことが、今になって自分にさまざまな課題をもたらしていることに、今更ながら、気づいて、愕然としている。

 学校が嫌いでたまらなかった。学校の規則の意味がまるでわからなかった。学校の勉強の意味がまるでわからなかった。けれど、そのなかで、自分をだましながら、半ば諦め、自分を殺し、結局、自分がどうすればよいのかがわからなくなっていった日々。ドロップアウトするでもなく、また決まり切った社会の枠組みに器用に乗るでもなく徒労感ばかりが蓄積されていく日々が続いていった。

 ある意味では、そうした体験によって、多くを考えさせれて続けてきたのではないかと、今になってみれば思える。そして、いかなる環境であれ、それによって歪ませられようと、そこからはいあがる力を人は持っているのだ。もちろん、歪みを直すにはそれだけの足腰の強さが必要で、それを誰からも教えてもらわなくても、自分でつける以外にないのだ。

 約束事だけを押しつけ、知識だけを教育の課題だとしている先生たちのなかで、自分をどうやって守っていけばいいのか。そんな課題が子供たちの死活問題になっているような現代。頑張れ、子供たち!そう叫ばずにはいられない。

 もし、約束事を守ることにも何の疑いも抱かず、知識だけを押しつけられる教育にも何の疑いも抱かず、そこで「適者生存」しているような子供たちに、未来はあるのだろうか。果たして、それを「適者生存」だといえるのか。それは、むしろ滅亡への適応とでも呼ぶべきではないのか。

 立ち上がるのが、いかに遅くなってしまっても、人は、自分で立ち上がらなければならない。理想的な教育があれば、それに越したことはないが、そればかりを望んでいても仕方がないのだ。

 シュタイナーの教育観からは、理想的なあり方がどういうものなのかだけではなくいかなる環境にあろうとも、立ち上がれるものを、人はその奥に秘めているのだということをぼくは学ぶことができた。

 理想は、現実を排除するものではないのだ。理想は、現実を勇気づけるものなのだから。

 

  

 

風のfragments/12■天地の創造


(96/09/23)

 

 これからおそらく数回に渡って

■長谷川三千子「バベルの謎/ヤハウィストの冒険」(中央公論社)

 についてご紹介しながら、ヤハウェの謎について、あれこれと「fragments」を展開していきたいと思っています。

 旧約聖書のいわゆるモーセ五書は四つの別の文書がつなぎ合わされてできているというのが現在の通説で、ここでは、そのなかで、もっとも古く書かれたというJ文書に描かれているヤハウェについて、その一般的なイメージとは違った側面を見ていこうというわけです。

 で、その都度上記の本の巻末につけられているそのJ資料である「ヤハウィストの原初史」の該当個所を引用させていただきながら、それに関する上記の本の注目すべきところをあわせて引用していくことにします。引用が長くなるので聖書からの引用はできるだけ短くしていきますので、興味のおありの方は、お手元の聖書などご参照いただければと思います。 

二4bヤハウェ神が地と天を作ったとき、−−5地上にはまだ野の潅木が存在せず、野に草も生えてゐなかった。ヤハウェ神がまだ地表に雨を降らさず、土を耕す人も存在しなかったからである。6ただ、地下水(?)が大地から沸き上がって地表全体を潤していた。−−7ヤハウェ神は土から取った塵で人を形造り、彼の鼻に命の息を吹き入れた。すると人は生き物となった。8それからヤハウェ神は、東方のエデンに一つの園を植ゑ、そこに彼が形造った人を置いた。9そしてヤハウェ神は土から、見るに好ましく食べるによいあらゆる木々を、しかしまた園の中央には命の木を、そして(善と悪の)知識の木をも生えさせた。

(中略)

15ヤハウェ神は人を連れてきて、彼をエデンの園に置いた。それを耕させ、見張らせるためである。16それからヤハウェ神は人に命じて言はれた。「園のどの木からも、おまへは好きなだけ食べてよい。17しかし(善と悪の)知識の木からはおまへは決して食べてはならない。おまへがそれから食べる日に、おまへは必ず死なねばならない。  

 J資料は、創世記の第二章の四節上記の引用部分で始まっています。それ以前の部分はP文書で、「これが天地創造の由来である」となっています。

 旧約聖書のなかで、「神」は、「エロヒム」とも呼ばれ、また「ヤハウェ」及び「ヤハウェ・エロヒム」とも呼ばれていますが、このJ資料では、基本的に「ヤハウェ・エロヒム」です。ちなみに、この「ヤハウェ・エロヒム」のことを新共同訳では「主なる神」というふうに訳してあります。

 このエロヒムとヤハウェ・エロヒムの違いというのは、神秘学ではない「バベルの謎」では、主に作者の違い、つまり資料の違いのように解釈されているようですが、たとえばシュタイナーによれば、ヤハウェ・エロヒムはエロヒムの進化した存在とされています。エロヒムは、7柱のエロヒムが存在したとされ、その位階は「エクスシアイ(能天使たち、形態の霊たち)」であるといいます。ここらへんのことについては、今回はこれ以上ふれないことにします。あくまでも主役は「バベルの謎」なのですから。ということで、その主役に戻りましょう。

ヤハウェ神が地と天を作ったとき、

これは、あまり普通の「出だし」ではない。ふつう、われわれが天と地について語りだそうといふときには、まず「天」から始めるのが自然である。(中略)この「異例の出だし」は、いったいどういうことなのだらうか?(P75-76)

 確かに、このJ資料の「作者」は、わざわざ「天と地」という順序を覆しています。著者は、このことを「彼はかっきりした意図をもつて、このありきたりの『天地』の順序を覆してゐるのであり、その背後には或る明確な『一つのドラマ』の構想があつた」と述べています。

 では、その「ドラマ」とはいったい何だったのでしょうか。まさにこれが、本書「バベルの謎」のテーマでもあります。それは「ヤハウェ」と「人」と「地」の関係ということです。

ここでは(「天」に先だつて「地」がまづ語られることによつて)端的に「地」が強調されてゐるのである。

しかも、これにひきつづく一段を見てみると、「地と天を」と言はれながらも、そのあと天のことは一言も語られてゐない。(実際、ヤハウィストの原初史の全体を眺めわたしても、「天」のことなど、まるで忘れ去られたごとくである。)ここで語られているのは、ただひたすら「地」のことばかりなのである。

(中略)

ヤハウィストの原初史は、確かに、単なる「神と人とのドラマ」ではないのである。それは「神と人と地/アレツ(土/アダーマー)のドラマ)として考へなければならないものなのである。

(中略)

そこでの「地」は、形のうへこそ「神が作った」ものとして登場してゐるのであるが、実際に語られるのは「神が地の上に雨を降らせず」「地を耕す人もゐなかった」「ただ水が地下から湧き出て地の表面を潤してゐた」等々と、いはば<いまだ神の手の及ばざるもの>としての「地」の姿ばかりである。これを一読して受ける印象は、たしかに神が地を作ったのだ、といふ確信ではなく、むしろそれとは正反対のものである。これは、何か<神の及ばざる領域>がある、得体の知れぬものの領域がある、といつた不気味な印象ばかりがのこる

  のである。(P94-96)

 ちなみに、ヘブライ語では、「人」は「アーダーム」であり、「土」は「アダーマー」というふうに発音されるといいます。「人が土から作られた」ということで、「土/地」と「人」との深い関係を強調しているということがいえます。

 

 

風のfragments/13■サウンド・オブ・ミュージック


(96/11/09)

  

「ほんまに芸のない奴や」「思ったことそのまま言うとる。能のない」ひねりも工夫もない表現は、洗練された感性からこんな評価を受ける。つまり芸や能は、あからさまでつつしみも深みもないむき出しの表現の反対側にある。芸能とは、「芸も能もない」表現の対極にあるものの総称だろう。(1996年11月8日金曜日付・朝日新聞21面/国際日本文化研究センター教授(都市文化論)白幡洋三郎「あしたへ45/震災からの新文明」より)

 「本音」や「純粋さ」が尊ばれる傾向には、疑問を感じる。もちろん、「本音」や「純粋さ」には「プレ」と「ポスト」があって、ここで疑問を感じると言っているのは「プレ」のそれらである。

 日本人は「穢れ」は「払う」ものだと思っている。ということは、いつも汚れる前のきれいな状態でいたいと願っているのだ。

 つまり、「子どものようでありたい」ではなく、「子どもでいたい」ということ。言葉を換えていえば、「個」なんか要らない、ということだ。

 「芸術」は「アート」。「人」がいて、はじめて成立する。真の芸術は、神への捧げものであるともいえるが、それは、「人」が捧げるのだ。「人」が「個」であることを表現することを通じて、それを祈りにまで高めようとする行為なのであって、最初から「個」を否定して、いきなり「無私」であれというのではない。

 もう30年前につくられた名作のミュージカルに、「サウンド・オブ・ミュージック」というのがある。主人公のマリアは、修道院から出て、妻をなくして7人の子どものいるトラップ大佐の家で家庭教師をし、大佐を愛してしまう。その愛から逃げようとして、一度修道院に逃げ帰るマリアであったが、修道院長は、そのマリアに、愛から逃げないように諭し、マリアは戻っていく・・・。

 ま、話の筋はどうでもいいとして、この名作では、ナチ化した人たちを除いて、個と個がしっかりと向き合っている。マリアは子供たちと「友達」になろうとする。愛を体験するために、すべての小道を通っていく覚悟を持とうとする。

 そうした素晴らしい「個」故の愛が、ミュージカル映画という「芸術」で表現される。それは、ポストとしての「本音」であり「純粋さ」なのだ。決して、感情の吐露のような稚拙な「本音」や純粋願望の発露なのではない。

 しかし、現代、この日本では、「甘え」や「弱者」が礼讃される。けれどそれは、「プレ」として、成長を拒否したの堕落以外の何者でもないのだ。ある意味では、「サウンド・オブ・ミュージック」でも描かれるような「ナチ」化した人たちと同じ様なあり方なのだ。逆のようにみえながら、その実同じ原理であることを見抜かねばならない。

  

 

 

風のfragments/14■無縁


(96/11/10)

 

最近、歴史・時代小説を読んでいて、いつも頭に浮かんで来る言葉に「無縁」がある。これは、網野善彦が自身の中世研究『無縁・公界・楽』などで明らかにし、今年、刊行された土屋恵一郎『正義論/自由論−無縁社会日本の正義』においては「家族、身分、階級といった人間の出生にかかわる自然の共同性から離れ」「そこに自由がある。平等もある」「ユートピア的世界である」と説明されているものだ。

さらに同書では、松岡心平の『宴の身体』から中世の花の下連歌、あるいは笠着(かさぎ)連歌のくだりを引用。こうした連歌の席で出席者は、おのおのの身分を隠すことが規則となっており、上皇から下層民に至るまで、あらゆる階層の人々が参加することが出来たという。

この「自分の自由とともに他者の自由を認める精神が生まれ」、一つの物語を共有するのではなく、おのおのの旅の物語を持った人間たちの集いによる宴(うたげ)の場−それこそが「無縁」なのである。土屋が、現代社会における文化・宗教・民族間の対立・矛盾を統一できるキーワードとして「無縁」という言葉を選んだのも故ないことではないのである。

  (縄田一男「『無縁』と歴史・時代小説」/朝日新聞・1996/11/10付23面)  

 シュタイナーは、神秘学徒の資格として「故郷喪失者」ということを挙げている。もちろん、故郷を追われた者という意味ではなく、「故郷」に象徴されるような帰属性を超える者という意味である。「故郷喪失者」であることによってこそ、「故郷」を深く捉えることができる。無自覚に「故郷」にどっぷりつかっている者は、むしろ「故郷」を知らないのだ。

 その「故郷喪失者」は、「無縁」に似ている。「無縁」であるということは、「自由」であるということである。「自由」とは、「自らの由」を追求する姿勢であるから、それを、自分の「所属」している「故郷」に求めていては「自由」ではないのだ。

 人は、「無縁」から出発せねばならぬ。「無縁」によってこそ成立する「縁起」でなければならぬ。

 「組織なきネットワーク」の基盤も「無縁」である。けれど、その「無縁」は「無責任」を意味してはいない。いや、むしろ「自由」の基盤は「自己責任」以外の何者でもないのだから、ネットワークの結節点である主体は、責任を担ってこそ成立する。

   

 

 

風のfragments/15■ホモ・ルーデンス


(96/11/13)

 

「詩作(ポイエーシス)とは、一つの遊戯機能なのである。それは精神の遊戯空間の内で行なわれる。(中略)そこで物事は<日常生活>の中にあった時とは異なった相貌を帯び、ものとものとは、論理や因果律とは別の絆によって結び合わされる。(中略)それは真面目を超越した彼岸に立っている。(中略)夢、魅惑、恍惚、笑いの領域の中にある。」  

「遊戯というのは何か独自の、固有なものなのだ。遊戯という概念そのものが真面目よりも上の序列に属している。真面目は遊戯を閉め出そうとするのに、遊戯は真面目をも内包したところでいっこう差し支えないのである。」

「文化は、全体としてますます真面目なものになってゆき−−法律、戦争、経済、技術、知識は遊戯との触れ合いを失ってゆくかように見える。そればかりか、かつては神聖な行為として、遊戯的表現のために広い分野を残してくれていた祭祀までも、そういう成行を共にするように見える。しかし、そうなった時にも、依然としてかつての華やかな、高貴な遊戯の砦として残っているもの、それが詩なのである。」

(堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま文芸文庫)のなかからの孫引き

引用は高橋英夫氏によるヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス(遊戯人間)」の翻訳より)   

 定家の「名月記」についての堀田善衛のものを面白く読んでたところ、そのなかにホイジンガの「ホモ・ルーデンス」からの引用があって、「遊戯」に関する興味深い内容となっていたので、紹介してみることにした。「ホモ・ルーデンス」といえば、学生時代にざっと見たことはあったはずだけれどあらためてこうしてその内容にふれてみると、その意味深さを再認識する。

 この会議室は「神秘学遊戯団」と称しているのだけれども、その「遊戯」ということをこの引用の内容は意味深く示唆していると思う。

 世の中は深刻な真面目さに満ちている。それは、クイズの○×に近いような知識の切り売りとしての学校教育に象徴されるような制度的な一義性としての真面目さだ。真面目といいながら、認識としてみれば、あまりに不真面目な態度なのだ。

 「純粋」というのも、そう。「本音」というのも、そう。

 それらは、「遊戯」を排したあまりに真面目な、真面目が故の怠惰であり、排他であり、豊かさを拒否したエゴイズムでしかない。そこでは、あらゆる可能性が拒否され、お仕着せの日常だけが披露される。イジメも、遊戯を拒否され、「真面目」を強要された場所での、もうひとつの、極めて「真面目」な行動なのだといえる。

 遊戯は、あらゆる決まり切った制度からしなやかに自由である。従って、たとえば、宗教的なセクトからはもっとも自由なものである。そうした自由を神秘学のための基本姿勢としたいと思う。

  

  

 

風のfragments/16■ウソ


(96/11/16)

 

「ええ。でもよく誤解されるんですけど、私の歌は日記は私小説じゃない。歌いたい日記や私小説じゃない。歌いたいのはその時の心情であって、事実としてあったこと以上に伝わりやすい言葉があるなら、平気でウソだってつきますよ。」

(朝日新聞1996/11/15付第23面〜「探見劇場/きく」中島みゆき「『夜会』は私の実験劇場」言葉にこだわる意志の人〜より)  

 真実の言葉とは何だろう。事実とは真実なのだろうか。そうではあるまい。ウソこそが真実になることもあるのだ。その時、事実はむしろ虚偽になってしまう。 この引用は中島みゆきが「歌」について語った言葉だが、「歌」に限らず、それはいえるのではないか。

 「真実」は「事実」を平気で飛翔するものなのだ。もっとも、その場合の「真実」を、自己保存的な嘘と混同してはならない。その「真実」は血肉そのものなのだから。

 「真実」を伝えるためのウソ。それは、ファンタジーそのものだともいえる。ファンタージエンを生きることは、逆説的に最も生を生きているのだ。ファンタージエンをなくした「事実主義」は、人を亡霊にさせる。 

 

 

 

風のfragments/17■友情


(96/11/17)

 

そこ(『スッタニパータ』(経集))に語られていることは、詮ずるところ、「よく教えの道理を会得したるものが、自由の境地を為すべきこと」は、ただ慈愛をのみ修するがよいということである。生きとし生けるもののうえに、「幸いあれ、平和あれ、安楽あれ」と念ずることであるとするのである。それが一切世間の人々にたいしてブッダ・ゴータマとその弟子たちが修する人間関係のありようであった。

その徳目を、彼は《メッター》(metta)ということばをもって言い表わした。しかるに、いま翻ってその原語の意味をさぐってみると、それもまた「友情」を意味することばである。さきに述べたように、「サンガ」(僧伽=教団)のなかにおける彼らの人間関係の徳目は「善き友」(kalyanamitta)であったが、ここでは、その「友」(mitta)が抽象化されて「友情」(metta)がその徳目とされている。それは、これまで「慈」の訳語をもってこの徳目を教えられてきたわたしどもにとっては、いささか意外だったと申さねばならない。(中略)ながいあいだ自己に専注し、自己の奥深いところに沈潜して、そこで真の自己のありように相逢うことを得たものが、いま、ようやく「自由の境地」を得て、たかく眼をあげて見渡してみると、そこに見出される一切世間の風景は、これまで見来たったものとは、まったく異なったものとして彼のまえにある。(中略)すべてのものが人間同士なのである。彼らもまた、人間の悲しい重荷を担いであるくわたしとおなじ人間なのだ。その思いが、人間同士の「友情」つまり「慈」なのである。

(仏教の思想1「知恵と慈悲」<ブッダ>/角川文庫ソフィア/P200-201)

 仏教の根本にあるのは「友情」である。通常の仏教のイメージとは遠いのかもしれないが、これが「仏教」にほかならないのであって、権威的なあり方はすべて堕落した姿であると、少なくともぼくは思う。

 ブッダの思想は、「縁起」を基本としている。 

  これあるによりてこれあり

  これ生ずればこれ生ず  

 という原因−結果の発想である。だから、「生老病死」などの四苦八苦から自由になるためにはその「原因」から自由となることによって、その「苦」から「解脱」できるというわけだ。

「十二因縁」という原因−結果の連鎖も、その連鎖の原因をひとつひとつ遡っていき、その原因から自由であることができるというのだ。「苦渋滅道」という四つの真理である「四諦」も、そういうことを意味する。 

 そこには、そういう「真理」があるということであって、そこに「権威」が生まれる余地など本来ないのだ。ただ、その「真理」を告げ知らせる者としてブッダが位置づけられているだけだ。だからその「法」を知って自由になった者同士は、「友情」によって結ばれるのだといえる。その「友情」は、「自由」な者、「自由」を目指す者どうしであるがゆえの「友情」なのだ。

 ブッダは死を前にして「自帰依、法帰依」を説いたといわれるが、それは自らの本質である「自由」とそれを基礎づける真理である「法」意外には依ってはならないのだということを意味する。通常、仏教では「無我」ということがいわれるが、その「無我」の「我」は、偽我としての「我」であって、「真我」のことではない。それが誤解されて「我なんかないんだ」という浅はかな論を展開する仏教者も後を絶たないのだが、「自帰依」ということがいわれるように、みずからの本質を知り、それに依らねばならないということなのだ。

 『ダンマパダ』(法句経)の「自己品」には、つぎのような偈(韻文)があるという。 

  自己のよりどころは自己のみである

  自己のほかにいかなるよりどころがあろうか

  自己のよく調御(じょうご)せられたとき

  人は得がたいよりどころを得るのである

  まさに、自らの由としての「自由」意外に拠り所はないということである。そして、偽我を去るために「虎」を知ることが求められる。

 また、この人間関係の基本は「組織なきネットワーク」である。それは、まさに「エゴ」を知り自己認識を実践し、「自由」を得た者、得ようとする者が互いに「慈」をもって「友」としてふれあい、研鑽しあうというコンセプトなのだとぼくはとらえている。

 拠り所は自己であり、自由になること。そしてそれゆえに可能となるネットワークのスピリットをぼくは「友情」と呼びたいと思うのだ。

 

 

 

風のfragments/18■行ということ


(96/11/23)

 

近世とか近代とかいわれる歴史の時間を根本的に特徴づける一つの事柄は、人間形成の道から「行」という契機が脱落して来たということである。特に知性の面において、客体的な事物に関する知、科学が代表するような客観的な知が支配的になり、客体についての究明と主体の自己究明とが切り離せない一つのものであるような、そういう知の次元が閉ざされて来たことである。そういう知の特色は、或る事柄を会得するその知が、会得の過程において、同時に知る自己自身をも内から変えていくというところにある。その変えられた自己からさらにその事柄の一層深く広い会得が生じ、その知がまた自己を変えていく。科学的な知のようにただ外だけに向けられた客観知とは違って、外への方向と内への方向が二つで一つであるような知であり、客観知を超えた次元の上に成り立つ知である。

(西谷啓治「行ということ」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上田閑照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行)  

 通常の科学を含んだ学問には、内への方向への知が欠けている。つまり、学問によって得た知が自らを変容させる契機である必要を必ずしも持たないということである。

 だから、原子力の開発は、そのまま核兵器の製造に行き着いてしまう。学者は知識を得ることを目的とし、それがどう用いられるかには、関心をもたないでも済ませられるのだ。

 それが問題になるのは、それが社会的な問題としてクローズアップされ、それに対してなんらかの実践的な側面についての責任から遠ざかってはいられなくなったときに限るといってもいい。だから、「誰にもばれなかったら何でもしていい」という発想なのだ。

 「世間様に申し訳ない」という発想も同じ。つまり、世間が何もいわなければ、なんでもしていいと思っているのだ。政治倫理にしても、それがいっこうに変化しないのは、それが世間で通用するとほとんど信仰しているからにすぎないのだ。そこには、「内への方向」への知が欠けている。

 教育では、偏差値の高い人間というのは、ほとんど外的な知の修得を得意としている人間だといってもいい。そこに、内的な知を持ち込んでしまうと、知識はテストされる知識ではもはやあり得なくなるから、偏差値を高めるためには、そうした知識に対する根源的な意味での「なぜ」を封じなければならない。

 「学ぶ」ということは、引用にもあるように、「外への方向と内への方向が二つで一つであるような知」でなければならない。けれど、そういう知は、ますます乏しくなってきている。そういう知は、すべからく「行」であるといってもいいのだが、ファーストフード的な偏差値的知には、行は邪魔なのだ。問いと答えは、常に一対一対応でなければならないし、マニュアル通りのものでなければならないからだ。それを離れると、ロボットたちは何をしていいか皆目わからないのだ。ファッションにしたところで、ブランドという権威をなくすと、判断基準をもたないというお粗末だ。

 既成の快楽だけを貪ることをプログラミングされたロボット人間には、「行」は似合わないのだ。というよりは、何のために「行」があるのかさえ皆目わからないに違いない。

 

 

 

風のfragments/19■遊び


(96/11/26)

 

すべての人間は遊ぶことから生活を始める。幼児の生活は純粋の喜びで、従って天真である。生まれたての赤ん坊が泣いたり、手足を動かしたり、母親の乳房に吸いついたりすることは、普通には遊びとは呼ばれない。しかし幼児の遊びはそれと境目なしに連続している。遊びの発してくる源は生命の、よく分からない暗い深底へ消えて行っている。他方では、人間の文化や宗教、またときとして哲学でさえも、その最も高く登りつめたところで再び「遊び」の概念と結びついている。東洋でも古来そうだし、西洋でもそうらしい。仏教でいう「遊戯三昧」など一番手近な例だろう。親鸞にも「心は浄土に遊ぶなり」という言葉があるし、禅などになると、地獄の針の山に遊ぶというようなことさえ言う。いったい、人類の歴史をだんだんと遡ると、宗教も芸術や技術も、認識も、すべて一つに融け合ってくるが、そこのところにすでに「遊び」の性質が結びついているといわれる。とにかく、遊びということには、人間というものの本質に絡まった深い意義が含まれているらしい。

(西谷啓治「宗教と非宗教の間」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上田閑照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行) 

真に遊べる者は稀である。

 通常、遊びと称しているレジャーやら趣味やらは、単なる気晴らしにしかすぎない。

 遊びには、すべてがふくまれている。幼児においては、それは未分化のそれであり、高みにある遊びは、高次の統合としてのそれである。統合されているがゆえの、三昧としての遊びである。

 既に生を重ねた身であってみれば、未分化の遊びはもはやない。分裂したさまざまを統合し、そのうえで人間の本質がそこに注ぎ込まれたものでなければならないのだ。言葉を換えていえば、遊びとは中道ゆえの姿勢だともいえる。

 気晴らし以外の何者も持てない者は、存在を浪費している。休日ともなれば、強迫神経症のようにレジャーに邁進する者たち。ルーティーン化した気晴らし方法を権威的に外からもってきて、そのレールに乗っていれば、「自分は上手に遊んでいるんだ」と思い、安心する者たち。そんな貧しさを貧しさだと思うこともできず、流行に乗り、ブランドを買いあさるようにレジャーに走る。

 遊びが砂漠化しはじめているともいえる。遊びは気晴らしとは無縁のものだ。それは切実なものである。けれど、それはルーティーン化を常にすり抜けていくものであり、それゆえに深刻さとは無縁の高笑いそのものだ。

 人間は遊びの可能性に満ちた存在だ。遊びの可能性を殺していく人間は、人間を放棄しようとしている。遊びの可能性は、自由の可能性であり、そこに己の存在理由がある。 

  遊びをせんとや生まれけん

  戯れせんとや生まれけん

  

 

 

風のfragments/20■閑


(96/11/29)

 

現代に必要な本当の閑は、休日とか休暇とかで働かなくてもいいという意味ではありません。休みで家の中で家の中でゴロッとしている時にでも心の中は忙しい。社会で活動している時の忙しさと同じように忙しい。いずれの場合も根本的にいえば心は同じように忙しく働いている。それは当然で、人間が生きている限り、心の活動はなくてはならない。根本的な意味で人間は動である。心がたえず動いていることが生きているということである。しかもそういう根本の動の中に静があり、動がそのまま静であるというところがなくてはならない。静といっても、ただ忙しいのを止めて山の中にでも入らなければ静にならぬというということではない。山の中に入れば入ったで、いろんなことを考えて心は忙しい。そういう意味の静ではなくて、どこへ行ってもどこに居ても、山の中でも会社で働いている中でも、静があるというふうな、そういう静が本当の静で、本当の暇です。仕事がないから暇だとか、動きがないから静かだとか、単にそれだけのことではない。人間に必要なのは、そういう本当の閑暇だと思います。

(西谷啓治「禅の現代的意義」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上田閑照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行) 

 現代人は暇をもてあましている。「暇」というものが理解できず、まさに「もてあましている」のだ。だから、仕事が終わるとパチンコに、歓楽街に、そして休日になると、すかさずレジャーに時間を潰しに出かけたりする。まさにこれも時間を「潰して」台無しにしてしまうのである。引用にもあるように、休日に家でごろごろしている間も、その「暇」を遊んでいるのではなく、ただただ空虚なだけなのだ。

 人はいつも何かをしている。何かをしていなければ、落ちつかない。「手持ちぶさた」なのだ。そうした状態は、常に外的なものに心を奪われているから、みずからの内なる世界のことがわからない状態だといっていい。だから、そうした人は、みずからに意識を向けざるを得ない状況になるととたんに取り乱してしまうことになる。本当の「暇」も、「静」も理解することができないわけだ。

 悟りを求めて山に登り静寂の内に修行する人もいるが、そういう環境にいるからといって、その人が「静」であるとはいえない。むしろ、そういう特殊な環境でしか「静」でいられないと思いこんでいることこそがその人を「静」から遠ざけているといっても過言ではないと思う。

 自分と向き合い、その内なる時間性を生きることこそが真の「閑暇」を楽しむということであり、「静」のうちにいるということなのだ。


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