「デザインのデザイン」ノート5

EMPTINESS


2004.8.31

 

	 僕が提案する無印良品の広告のコンセプトは一言でいうと「EMPTINESS」。
	つまり広告そのものが明晰なメッセージを打ち出すのではなく、むしろ広告
	としては、空っぽの器を差し出すようにふるまうということである。
	 コミュニケーションというのは、一方的に情報発信をすることだけではな
	い。一般的には、分かってもらうべきことを明確にし、それを理解しやすい
	メッセージに仕立て、相応しいメディアを選んで流通させていくのが広告コ
	ミュニケーションだと考えられている。しかし全てが一様にその方法に準じ
	る必要はない。メッセージではなく空っぽの器を差し出し、むしろ受け手の
	側がそこに意味を盛りつけることでコミュニケーションが成立するという場
	合もある。
	(P112)
 
広告にはふつう「メッセージ」があって
それを伝えなければならない役割があるのだけれど
その「メッセージ」が受け手にとって
過剰すぎるものになるときがある。
すべての「メッセージ」が不要だということではないけれど、
「いわずもがな」のそれは受け手にとっては
満腹のときの食べ物のようなものになるときがあるし
受け手の持っているアクティブな部分を
スポイルしてしまうことにさえなることがある。
 
「メッセージ」はいわば「教育的」な響きさえもつことがあるが
「教育される」という状態を不快に感じてしまうこともある。
だから、広告というわけではないけれど
「相田みつを」とかのように
食器などに標語のようなことばが入っているのも
個人的な感覚からいえば、どうも好きになれない。
よけいなお世話というか(^^;。
まるで要らぬBGMが過剰に流れているような感じがある。
観光地や食堂で流されている音楽のように
なければいいのにわざわざ垂れ流されている過剰さのように。
 
しかし、「EMPTINESS」を効果的に使うということはとてもむずかしい。
人と人とのあいだで、沈黙に耐えられないがゆえに
交わされてしまう言葉のように、
「メッセージ」は過剰に流されてしまいがちなのだ。
沈黙さえもあまりに雄弁なときがあり、
雄弁であるにもかかわらずそこにまったく意味内容がないときもある。
 
理想的なのは、受け手が最上のポジティブになれるような
そんなコミュニケーションなのだろう。
沈黙のうちに見つめ合い愛し合えるときのように。
 
 


■「思想・哲学・宗教」メニューに戻る
■神秘学遊戯団ホームページに戻る