「デザインのデザイン」ノート3

感覚


2004.8.27

 

	 一般的に「五感」とよく言われる。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚という
	五つの感覚を指す言葉だが、これは「五感」すなわち目、耳、皮膚、鼻、舌
	といった感覚器官の対応した感覚の分類だろう。しかし、ちょっと考えただ
	けでも、感覚が五つに集約されるはずもない。たとえば、指先で微かに触れ
	るようなデリケートな感触と、手のひらでドアノブを押すような感覚は同じ
	「触覚」と分類するには抵抗がある。骨や腱に対する刺激はむしろ「圧覚」
	とでも呼んだ方がいいかもしれない。また、味覚と言っても、これは口腔や
	舌の触覚と嗅覚が微妙に絡みあった感覚であって、口一杯にパンを頬張った
	ときと、舌先で甘いクリームをなめるときの感じ、あるいは熱いスープをす
	する感覚は同じ「味覚」と呼んでいいものかどうか。さらにいえば、ウール
	のセーターに顔を埋めたときに感じる触覚や嗅覚は、再びセーターをみただ
	けで脳裏に蘇ってくる。たわしの表面がどのように硬いか、畳を裸足で歩く
	とどんな感じがするか。それらは記憶の中に経験された感覚として蓄積され
	ていて、それを示す言葉や写真を媒介するだけでも脳裏に再生され豊かなイ
	メージを形成する。
	 感覚はこのように互いに連携しあっている。人間は、極めてセンシュアス
	な受容器官の束であると同時に、敏感な記憶の再生装置をそなえたイメージ
	の生成器官である。人間の頭の中に発生するイメージはいくつもの感覚刺激
	と再生された記憶によって織り成されるスペクタクルである。そしてまさに
	そこが、デザイナーのフィールドなのである。
	(P62)
 
シュタイナーは五感のほかに、「生命感覚」「運動感覚」「平衡感覚」「熱感覚」
「言語感覚」「思考感覚」「自我感覚」の7つの感覚を加えた十二感覚を示唆してい
るが、
五感というのは感覚を目、耳、皮膚、鼻、舌に限定してとらえているだけだし、
それぞれの感覚がほかの感覚とまったく切り離されているわけでもない。
これは上記の引用にもあるように、ちょっと考えただけでもわかることなのだけれど、
五感というのが当然のようになっていると、
窓口を5つに限定されたような感じになってしまう。
 
たとえば仏教などでもそうだけれど、禁欲とかが要求されるところでは、
五感にとらわれないように、というのがあって、
あまり感覚的なところを豊かにしようという方向にはいきにくくなる。
プラトンなどが芸術への理解を示さなかったのも
あまり地上的な感覚にとらわれないほうがいい
というのとも関係しているのかもしれない。
その点、なぜか孔子は音楽をこよなく愛したようで、
鬼神を語らない、となると、感覚はスポイルされずにすむようだ。
 
プラトンに対して、アリストテレスは詩学を論じ、自然学を論じたように、
地上世界をちゃんと感じとる方向性に向かったということもできる。
神智学ではなくて人智学であるシュタイナーの方向性も
この地上において豊かに生きることを
その神秘学のなかできちんと位置づけているともいえる。
従って、芸術はその欠かせない要素となる。
そして、十二感覚が論じられる。
 
感覚は繊細で豊かであったほうがいい。
味覚にしても甘いか辛いかくらいしか気にしないよりは
渋みや苦みなどの差異まで感じ取れた方がいい。
色彩感覚も人工的な色彩にスポイルされるのではなく
光と闇を含めた無限のグラデーションをも感じ取れるような
繊細なものであったほうがいい。
音や音楽に対する感覚も、類型化した単純なものだけではなく、
シンプルな響きの深みや複雑な音の組み合わせやアンサンブルなど
耳の繊細な感覚を育て続けていったほうがいい。
そしてそれらのすべての感覚のアンサンブルとしての
「スペクタクル」を味わうことのできる感覚を通じて
そうしてそうした感覚の総合を越えて
新たなものへと向かう感受性を育てていければと思う。
 
そうしたフィールドへ、
どれだけ多くの人が参入できるかどうかが
新たな時代の可能性と豊かさの質を決定していくことだろう。
少なくとも、携帯電話を常に手放さないままに
コンビニとファーストフードと類型化したさまざまな流行のなかで
ルーティーンな行動をする人たちが増えていくならば
どういう世界がそこから生成されていくかは自ずと明かである。
 
かつて、感覚にとらわれることを避けて
地上を越えたものにばかり目をむける宗教者もいただろうし
現在もそれなりの必要性からそうした方向性をとる者もいるのだろうが、
そして、過度な執着としての感覚性は避けなければならないのは確かだろうが、
感覚が存在するのは感覚をスポイルするためではないはずである。
そのためにも、感覚の質を豊かなものにすることで
現れてくるもののことをしっかりと見ていく必要があるように思うのだ。
 
 


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