ネイティヴアメリカン・ノート

(1998.5.30-1998.6.9)


ネイティブアメリカン・ノート1●一万年の旅路/ネイティヴ・アメリカンの口承史

ネイティブアメリカン・ノート2●<紋様>としての思考

ネイティブアメリカン・ノート3●関係としてとらえた時間

ネイティブアメリカン・ノート4●すべては生きている

ネイティブアメリカン・ノート5●性別は人間の前か後か

ネイティブアメリカン・ノート6●縁起

ネイティブアメリカン・ノート7●新しい目の知恵と長生きの知恵

ネイティブアメリカン・ノート8●適切さとバランス

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート1

一万年の旅路/ネイティヴ・アメリカンの口承史


(1998.5.30)

 

■ポーラ・アンダーウッド

 「一万年の旅路/ネイティヴ・アメリカンの口承史」

 (星川淳訳/翔泳社/1998.5.25発行)

 カスタネダ、ローリングサンダーなどの話が出ましたが、ちょうど、ネイティヴ・アメリカンによる口承史が出ました。

 この口承史がどういうものかについては、扉に次のように紹介されています。

 アメリカ大陸に住む、インディアンとも呼ばれるネイティヴ・アメリカンの人々は、その昔ベーリング海峡が陸続きだったころ、すなわちベーリング海峡を渡り、アジア大陸からあまりか大陸へやってきたモンゴロイドの子孫だという説が定着しつつある。

 「一万年の旅路」は、ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族に伝わる口承史であり、物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住していたアジアの地を旅立つところからはじまる。彼らがベーリング陸橋を越え北米大陸に渡り、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでのできごとが緻密に描写されており、定説を裏づける証言となっている。イロコイの血をひく著者ポーラ・アンダーウッドは、この遺産を継承しそれを次世代に引き継ぐ責任を負い、ネイティヴ・アメリカンの智恵を人類共有の財産とすべく英訳出版に踏み切った。

 モンゴロイドの子孫としてのネイティヴ・アメリカンについてぼくがはじめて興味をもって見るようになったのは、10年ほどまえにでた北山耕平さんの「ネイティブ・マインド」(地湧社)にふれてからのことになります。「ローロングサンダーの教え」を知ったのもその著作からでした。それまでにも、カスタネダの著作のようなかたちでの興味を持ってはいましたがネイティヴ・アメリカンそのものについてはあまり知りませんでした。

 ネイティヴ・アメリカンの継承している智恵については、ここでそれを云々するまでもないことなのですし、北山耕平さんをはじめとした方々がこの10年ほどのあいだに、いろいろなかたちでその紹介に努めてこられたようです。すっかりポピュラーになったというわけではないにしても、ビジョン・クエストなどについてもそれをテーマとしたものさえ邦訳ででていますから、かなり参照しやすくなっているように思います。

 さて、「一万年の旅路/ネイティヴ・アメリカンの口承史」をとても面白いお話として読むこともできますし、ネイティヴ・アメリカンについての歴史を綴った書として読むこともできるように、ひとによりいろいろな読み方が可能ですが、ぼくとしては、それ以上に、ネイティヴ・アメリカンならではの発想法、古代から培われてきた認識の方法が、かつてどういうものであり、それがそのまま継承されるというよりも、幾多の苦難や困難、他の民との交流等を通じて、どのように育てられてきたのか、そういったことに興味を引かれながら、今読み進めているところです。

 こうした書は、これからも長く読み継がれていくべきものだと思うのですが、それを単なる過去の記録として読むよりも、古代からの感じ方、考え方などを今そしてこれからどのように生かすことができるのか、また、そうした感じ方、考え方などを鏡としながら、またガイドとしながら今の自分のそれを「見る」ための思いがけない視点、物差し、言語・・・等々としてじっくり検討してみるというのが、こうした口承史の持つ意味を引き出すためには必要なのではないかと思います。

 ネイティヴ・アメリカンの近代における迫害の歴史などを知ることもまた重要なことですけど、そこで多くのものが失われてきたとしても、そのプロセスを通して残されてきたものの智恵を学ぶこと。そして、かつてひょっとしたら、自分もそのネイティヴ・アメリカンの口承史のなかで語られている人物のひとりだったかもしれず、そうした経験が今の自分にもその深みにおいて生かされているのではないかなどと想像しながら、自分のなかに眠っている宝物を再発見すること。そうすることで、こうした書は、はじめてその生命を得てくるのではないか、ということを考えたりしているところです。

 実は、今日、仕事で、早朝から瀬戸内海の離島に渡りました。100人ほどのかたの住んでいる島なのですけど、そこにいらっしゃったおばさんたちおじさんたちの顔を眺めていて、「ここの方にネイティヴ・アメリカンの衣装を着せれば、けっこう違和感のないどころか、ネイティヴ・アメリカンとあまり区別がつかなくなるのではないか」とか思ったのですが、スタッフにそれを帰りに話したところ、「それいえてる」とか笑っていました(^^)。この口承史のネイティヴ・アメリカンと先祖が同じなのかもしれません。

 その先祖がネイティヴ・アメリカンかもしれない(^.^;方をけっこうしきっているようにも見えるおばちゃんが、帰りに、その島でちょうどとれた枇杷をたくさんくださったのですが、なかなかいい笑顔でした。こんな笑顔のネイティヴ・アメリカンが火の端に座りながら、語ってくれているのをイメージしながら本書の残りを読んでみようか、などと思ったりしています。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート2

<紋様>としての思考


(1998.6.1)

 

そこでまず、自分の先見を全員の目に見えるような形で中空に再現して見せることが、第一の仕事だと考えた。

「そのうえでみんなの意見を聞こうじゃないか」

彼は内心そう思った。

「俺の考えでは抜け落ちていたような現実が見えるかもしれん」

こうして、彼らは一人ひとり意見をのべていった。彼の想いの形にそって、あれこれの行動に磨きをかけていくと、最後に一つの全体像が浮かび上がった。いままで見たことがないのに、どの部分をとっても一族の人びとが慣れ親しんだ方法である。(略)

よく聞くべし。この順序だった行動に込められた知恵は、いま振り返ったほうがわかりやすいかもしれないから。その谷間の真ん中にいたら、それを見てとるのは難しかったろうし、物語の中よりは理解の進み方も遅かったろう。心の中でいろいろな紋様をあれこれいじったり、新しい組み合わせを探すのと、一族全体で新しい紋様を共有したうえ、その目的に向かって力を合わせるのとでは大ちがいなのだから−−。

こうして<新しい紋様を探る男>が、まず一本の倒木の陰に身を横たえ、<大いなる毛長>が近づくのを待ちかまえてみると、やはり窪みが必要なことがわかった。くり返しくり返し、彼は倒木のそばに寝転んで、どうすれば事がうまく運ぶかを示して見せた。するとようやく、堅い蹄を狙う追手全員が彼のやり方をじっくり見ようと集まってきた。

一人また一人と、彼らは自分の頭にある紋様を忘れ、まだだれにも手のとどかない新しい紋様を見つけようとするこの探索を見守った。一人また一人、彼らにも自分の頭にある紋様と、その外との境目が見えるようになった。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P76-77)

 ネイティブ・アメリカンによる思考とその共有とでもいえるものがここには描かれているように思う。「想いの形」である<紋様>というのがそれだ。

 一人ひとりの思考も<紋様>だけれど、それが、自分にとっては未知の他の人の<紋様>を見、それを共有していくということ。

 ぼく自身、何かを考えるときには、自分のなかにある種の形を描いているようにイメージすることが多い。その形を、こうだ、というふうに提示することはできないとしても、「それはこんな感じ」ということで、まるで絵を描いていくように、ある時には、粘土をこねるように、料理をつくるように、また音楽を演奏するかのように自分のなかに形をつくっていく。

 考えをまとめるということは、ある形をつくるということであり、ある意味ではそれが曼荼羅のような形をとりえたときに、その考えはかなり柔軟でトータルなものとしてまとまっている感じがする。まさに、<紋様>だといえるかもしれない。

 そのように、人の感じていることや考えていることを理解するときにも、それがどのような形をとっているのかということを想像していく。その形がうまくイメージできないときは、理解が行き詰まっているときだ。

 仕事で、広告の提案をしなければならないときにも、スタッフでまず、「コンセプト」を明確にする作業が必要となる。それがスタッフ間で「よし、これだ!」というふうに共有できてはじめて、実際の表現プランや展開プランがそこから出てくる。

 その「コンセプト」づくりの作業というのも、上記の引用で描かれているネイティブ・アメリカンの作業と似ているように思う。その「コンセプト」という<紋様>は、ひとりでむりやりつくりあげてそれをスタッフに押しつけるという作業ではなくて、ある要件やプランを提示しながらも、最終的には、その「コンセプト」という<紋様>は、スタッフの場のなかに、いわば浮かび上がってくるのだ。もちろん、そこまでできないで、でっちあげてしまうことも多いのだけれど^^;。

 ともあれ、「思考」や「概念」、そしてそれを理解したり、創造したりするにあたり<紋様>という観点は非常に示唆されるところが多いように思う。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート3

関係としてとらえた時間


(1998.6.3)

 

 いま私たちが「時間」と考えているもののほとんどは関係としてとらえられていた。たったいま、地球と月はどんな関係にあるか。太陽が北へ移ったように見えるのは、地球が動いているのか太陽が動いているのか、というふうに−−。万物は動いていると考えられた。もしかしたら、それは後述する“動く大地”を知っていたせいかもしれない。こう考えると、“いま”というのはその道でたどりついた現時点のことであり、じっさいには“いま”という時より“ここ”という場所に近い。

 過去・現在・未来など時間のもつその他の側面は、時間ではなく“変化”とみなされた。変化は循環や周期(めぐり)からくる自然で避けがたい結果である。何ごとも同じままではありえない。すべてがつねに変わり続ける。けれども、すべては丸く円をなす。もとにもどってまったく同じになるというのでも、周期がただくり返すだけというのでもないが、すべてはかならず同じ場所にもどってきて、踊りが続いていくのだ。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P484-485)

 ふつう時間といえば、現在・過去・未来というような直線的に進んでいくものとしてとらえられている。時計の針が動いていくような、カウンターが刻むようなあり方だ。しかし時間を体験としてとらえるならば、そうした物理的な時間とは別のあり方でとらえる必要がある。

 時間を「関係」としてとらえるというのは、いわば変化しつづける場所としてとらえているということだろうと思う。だから、「いま」ではなく、むしろ「ここ」なのだ。

 「ここ」にいるということは、あらゆる関係性における「ここ」という場所で、その要因が常に変化しつづけているがゆえに「ここ」は二度と戻ってはこない。しかし、その「ここ」を、季節のめぐりなどの循環や周期においてとらえ、また特定の場所との関係においてとらえるならば、それはまためぐってくるものとしてとらえることもできる。しかしそれはまったく同じものの回帰ではなく、変化のなかでの回帰である。円運動ではなく、螺旋運動だということ。

 そして、それが「踊り」になる。踊りは身体性をふくんだリズムである。だから、時間体験は、意識だけではなく、身体性をふくめた「ここ」での「踊り」だということになる。

 「ここ」は、狭い意味での関係性においてもとらえることができるけれど、それを宇宙のなかでの関係性を含んだものとしてとらえることで、わたしたちは、時間という場で宇宙の「踊り」を踊っているというように、コスモロジーに関わる時間を生きている、というとらえかたが可能となる。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート4

すべては生きている


(1998.6.4)

 

 地球はつねに動いていると考えられた。そんなふうに育てられたせいで、「地球が動かない」という考え方に出会ったときは理解に苦しんだ。(略)地震を大地そのものの動きと見るかわり、ほかの子どもたちはそれをひどい災害であり、不自然で、一種の病気だととらえていた。大地/地球は堅く動かないものと思い込んで、それが少しでも変わると信条を侵されたように感じていた。かたや私は大地/地球を動いて波立つ一種の波と見ていた。海と同じで波や潮流があるけれど、もっと動きがゆっくりなだけなのだ、と−−。

 <大地の女>は、「石の雨」のくだりのようにそれ自身が動くばかりか、月や太陽との位置関係においても動く。二本足も四つ足も、大地も大空も−−すべてはつねに動いている。ただちがうのは、その動きが速いか遅いかだけである。地球もまた一つの生き物と考えられていた。すべては生きている。石であれハマグリ(中身も貝殻も)であれ、すべてはエネルギーをもち、それゆえに生きているのだ。「石の雨」の中で<母なる大地>に耳を傾けるくだりには、そのような考え方が示されている。私の理解によると、ここで「耳を傾ける」というのは感受性のことであって、じっさいに音や声が聞こえるわけではない。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P485-486)

 唯物論というのは、物質のことがわからない人の論だ。物質がいかに霊的なものかということを理解することが、現代のもっとも重要な課題だといえるかもしれない。

 地球を生命体としてとらえるという考え方に驚いてしまうほど、現代人は盲目になってしまっているのだろう。

 すべての存在は、その存在の仕方はさまざまだけれど、それぞれの仕方で生きているのだといえる。

 私たちは、そんなことまで教えてもらわなければわからなくなってしまったというのだろうか。耳を傾けることさえわすれたまま。

 「地球が生きているというなら証明してみろ」そう言う人もいるかもしれない、きっといるだろう。その人にとっての「証明」ということがどういうことか、聞いてみればきっと面白い答えが返ってくる。そういう人に問い返してみるのもいいかもしれない。「それでは、あなたがここにいるということを証明してくださいませんか」

 それほどまでに盲目になってしまっている人の群が、現代という時代を創造している。自分が盲目で、しかも何も聞き取れないまでになってしまっているとはまったく気づいていない人たちの群。

 すべては生きている。

 存在に応じた時間のなかで。

 存在に応じた仕方で。

 そして、私は生きてここにいる。

 そのことは、証明できることではないかもしれないが、大事なのは、私がいまここで大地を踏みしめ、大きく深呼吸をしているということを実感しているということなのだ。決してバーチャルリアリティではない、いまここで・・・。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート5

性別は人間の前か後か


(1998.6.5)

 

 英語その他の現代語に浸透した男女の区別は、<歩く民>の文化にはなじまなかった。もっとも古い区別は「母になる者/ならない者」で、のちに人間の個性というものがもう少しはっきり認識されると、人は「人」(英語のpersonとほぼ一致)で表わされるようになった。その人が女か男かを伝えなければならない場合は、人・男、人・女というふうに性別を示す接尾語をつけた。

 兄弟姉妹は同じ言葉で、男女を問わず第一親等を表わしていた。(関係には、村という小さな輪、人間という大きな輪、狼や甲虫や岩石を含む大地の子供たちの輪、宇宙の輪というふうに十段階ほどあった。)祖父祖母も同じで、性別にかかわりなく一つの言葉で表わされた。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P489)

 ぼくのこれまでの経験からいうと、人間を最初から男と女ということから発想するように人間のまえに性別がくる方と人間のなかで性別をいうとすれば男と女がいるというように、まず人間があってから性別があるという方は、けっこうはっきりと分かれているように思う。

 ずっと以前、バーテンのアルバイトをしていたときの話なのだけれど、そこのママさんとこの話になったことがあるのを思い出した。ぼくは当然のごとく、人間があってそれから性別がくるという感じで、男女差よりも、個人差、個性差のほうを重視していたのだけれど、ママさんいわく「そりゃああんた、女がいて男がいる。人間とかいうのは、そこからの話よ。じゃなきゃ、つまんない。」ということだそうで、それまでにもそういう話はたくさん聞いてきたものの、そのママさんの話とその後いろんな人に確かめてみたことから、あらためて人間の前に性別があると思っている方のほうが、むしろ多いというか、絶対多数なのかもしれないなあとか思ってけっこう驚かされてしまった。

 ぼくが、友人、友情、友愛というのを恋愛をさらに超えた理想だと思っているのがなかなか伝わることが少ないのも、そういう背景がありそうだという気もする。つまり、友人、友情、友愛には、たまたま同性の場合もあるけれど、異性の場合もあり、異性の場合でも恋愛を伴うものとそうでないものがある。それだけのことだと思うのだけれども、世の中はどうもそうでない場合がけっこうあるわけです。もちろん、まあ、同性の場合でも、恋愛を伴ったりすることもあるわけですが、そこらへんはぼくは疎いので、よくわかりません^^;。

 さてさて、やはり社会的に男女が不平等だというのは当然のごとくやはりまずいと思う。男女ではなく、個人、個性を先に見る社会にはやくなればいいなとごくごく単純に考えていたりする。

 だから、いまだに男にこだわっていたり、逆に過剰なまでにフェミニズムばかりを叫んでいるだけの人もどちらも、もうそろそろおしまいにしてはどうかという気がしている。

 そういえば、シュタイナーはなにかの講義で、生まれ変わりのことにふれて、男性の次には女性というふうに交互に生まれ変わるのが基本だということをいうと当時の男性はあまりいい気がしなかったようなことがあったようだけれど、ひょっとしたら今でもそういう男性というのはけっこういるのかもしないとぼくのまわりを見ていても思うことが多い。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート6

縁起


(1998.6.7)

 

 私はこれを<万物のはじまり>として教わった。それによると、<はじまり>にはただ<一つのもの>があった。その<一つのもの>は<想いの女>、またの名を<万物の本質を宿す女>であった。ほかには何もなかったが、最後に<クモ女>が現われて本質の中に潜在性を見てとった。彼女はこの<本質>から<想い>の糸を引き出し、それを使って宇宙内のあらゆる個別性を紡ぐと同時に、それらすべての個別性どうしを結びつける<つながりの糸>も紡いでいった。

 宇宙は三次元のクモの巣のようなもので、二本の糸が交差するすべての点が、ほかのあらゆる点とつながっている。<大いなる生命の織物>のどの部分を触っても、かならずほかのあらゆる部分に影響をおよぼすだろう。その影響は、距離が遠く離れてはじめて薄れていく。

 ようするに、ありとあらゆる存在がつながっていて、ほかのあらゆる存在と関係し合っているということだ。ほんの小さな一部に影響を与えれば、全体のあらゆる部分に影響を与えることになる。だとしたら、私たちは宇宙の中で兄弟姉妹だとは言えまいか。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P489-490)

 木の葉一枚落ちるのも、神の摂理によらないものはない。そういうふうに表現すると、神の絶対を表現しているように見えるけれども、おそらくそれを、木の葉一枚落ちるのも、全宇宙のなかで意味深いことだ、というふうに表現することもできるのではないだろうか。下世話な表現でいうとすれば、風が吹けば桶屋が儲かる。

 もちろん上記の引用で述べられている宇宙観は、仏教では縁起の法といわれているものにほかならない。こうした宇宙観は、仏教に限らず、おそらくはかなり普遍的なもので、それがたまたま目に見える原因と結果だけを見るようになったために、忘れられていたものなのだということかもしれない。

 忘れられていたものは、思い出されねばならない。宇宙を紡ぐ蜘蛛の糸は、そのどこをとっても中心となる。だからほんの一カ所をふるわせただけでも、その全体をふるわせることになる。

 「神は見ておる」そう言った神道家がいたが、どんなささいなことも、中心でないものはない。どんな崇高に見える行為も、どんな馬鹿げて見える行為も、だから、神は見ているのだ。

 マザー・テレサは、誰にも省みられずに死んでいこうとする人に「あなたは必要とされている」と語りかけていたそうだが、そうなのだ、どんな人のどんなささいな行為も宇宙に影響を与えているのだから、その人が必要とされていないなどといえるはずはない。

 この縁起という考え方は、「織物」をイメージすると空間的な観点だが、それは同時に時間的な原因と結果の連鎖としてとらえることもできる。つまりそれを典型的に表わしているのが「カルマの法則」である。それは、前世の結果を引き受けることになるという法則で、通常はマイナスイメージが多いのだけれど、必ずしもそうとらえる必要はない。いわば時間系列での原因と結果の連鎖の法則なのだから、その行為がどういうものであろうともその結果を引き受ければいいわけだ。自分の課題だと思っていることをするために、その準備をするという行為が、その結果となって現われるという積極的なとらえかたもできる。

 空間的な意味でも、時間的な意味でも、いつでもどこでも「神は見ておる」、そして「あなたは必要とされている」。そのことを忘れないでいれば、人は常に無限の天地の主となる可能性を得ている。そういうこともできるのではないだろうか。もちろん、無限の天地の主は自分だけではなく、あらゆる存在がそうなのだ。

 人は決して孤独ではない。孤独にはなりえない存在だ。そのことに限りなく意識的に生きることのできる存在なのだ。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート7

新しい目の知恵と長生きの知恵


(1998.6.9)

 

 年端のいかない子どもたちから学ぶことの大切さが、一つのテーマとしてくり返し語られている。<新しい目の知恵>は、のちに身についてしまう文化特有のさまざまな決めつけにとらわれていないため、はっきりと新鮮にものを見ることができる。(略)

 <長生きの知恵>も重んじられた。この知恵は、一族が現在の一族になるにはどのような決定を行なってきたのか、そしてその理由は何だったのかについて十二分にわきまえている。父はよくこんなふうに言った。「たんに年をとったからといって、<長生きの知恵>がそなわるとはかぎらない。道々眠りこけていた人には道がわからないだろう。しかし、まわりの様子に辛抱強く注意を払い続ければ、知恵を積み重ねることができるかもしれない。だから、年をとった人たちにはとくに辛抱強く耳を傾けてみるがいい。眠りこけて生きてきた人か、目をさまして生きてきた人かを読み取るんだよ」

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P492-494)

 子どもから学ぶこと、そしてお年寄りから学ぶこと。そのどちらもとても大切なことだ。子どもから学ぶのは、まだ色づけされていない視点と態度。お年寄りから学ぶのは、積み重ねられた叡智。最良の場合は、色づけされた後にそれに気づき、色づけされることの貧しさに気づいた視点と態度。

 しかし、子どもの頃は、だれでもある程度とらわれない部分をもっているが、「たんに年をとったからといって、<長生きの知恵>がそなわるとはかぎらない」。そこがむずかしいところだ。

 物理的に年を重ねることと、知恵を重ねていくこととは同じではない。年を重ねることでしか得られない知恵があるのは確かだが、それはかぎりなく能動的な姿勢によって得られるもので、「道々眠りこけていた」としたら、得られないものだからだ。

 おそらく現代ではそのほとんどの人が、外的な強制や必要性からいやおうなく学ばせられなくなれば、ほとんど眠りこけてしまう傾向があるのではないだろうか。それはほとんど二十歳頃に訪れる分岐点のように思う。

 すでに、子どものような豊かさを失い、既成の価値観をまとったまま、それに追いかけられて駆けている。駆けているけれども、眠っているのだ。

 望むらくは、既成の価値観から自由でありながら、子どものような自在さを失わないで生きていたい。つまり、目を覚ましているということ。目を覚ましていることができれば、化石化した知恵の残骸にしがみつくことも少なくなり、常に今このプロセスをこそ大切にするだろうから。

 

 

 

ネイティブアメリカン・ノート8

適切さとバランス


(1998.6.9)

 

 ある行為を正誤という観点から理解するより、父は私に「適切な行為は何かを見つめる」よう促した。同じ事は“適切な時”にも当てはまる。父はよく、「ここでは何が適切だろう」という問いかけをした。そういう見方をすると、いままで学んできたことも現在の状況ではあまり役立たない場合がある。(略)

 適切さと並ぶ二大テーマのもう一つはバランスである。「一方の道ではなく、もう一方の道でもなく、そのあいだの釣り合い……」 すべての要素のあいだに本当のバランスがとれたとき、一つの輪が生まれる。

バランスの悪い輪は卵型になる。輪まわしの輪が卵型にひしゃげるとどうなるかは大きな教材だ。また<一族の輪>がまんまるであるためには、相違をもつさまざまなものどうしでもバランスがとれていなければならない。そうした相違としては、老いと若さ、女と男、四つ足を狩る者と種を植えてその実を集める者、などがあげられる。さらに対比の要素は二元とはかぎらず、四元だったり多元だったりするかもしれない。バランスはつねに継続の必須条件である。

(ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」翔泳社/P497-498)

 正しいか間違っているかではなく、今なにをするのが適切かという見方をすること。

 正しさを固定すると、それ以外のものを間違ったものとして固定してしまう。白でないものは黒、黒でないものは白、という見方。教条的になるというのも、この正しさの固定だ。魔女狩りもそこからやってくる。

 それは、今自分のおかれた状況において、自分でしかできない判断ということを放棄して、その判断をどこか余所から持ってきて否応なく適用させてしまうこと。それは、あまり役立たないどころか、非常に危険でさえある。

 また、バランスということもとても大事なことだ。これは中庸、中道ということにも通ずるもの。

 このバランスということは、まさに均衡ということでもあるのだけれど、それをさらに発展的にとらえれば、弁証法的な統合という視点でもある。どちらか、ではなく、どちらも、である。そして、そのどちらも、は、最初のあり方から、どちらも、変容したものとしてある。

 白か黒か、ではなく、白も黒も、であり、最初の白でも最初の黒でもなく、灰色なのでもない。

 このバランス及び統合という視点がないと、物事はすぐに極端な方向に走り、固定化してしまう。固定化は、死である。その死は、再生に向かう死ではなく、まさに死滅の方向。

 つねに、今なにが適切でダイナミックな統合に可能性をもっているのか。そのことを忘れずにいれば、たとえ死を迎えたとしてもそれは大いなる再生に向かうものとなるのではないだろうか。


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