マルグリット・ケネディー

「利子ともンフレとも無縁の貨幣」

(内容紹介及び翻訳:shigetaka imai)


*この内容紹介及び翻訳は、メーリングリストで、shigetaka imaiさんが、紹介されたものです。なお、各アーティクルの最初にある [topos:****] という****というナンバーは、メーリングリストでの発言番号を意味しています。


●第1章「貨幣の機能に関する四つの根本的誤解の論点」

●第2章「利子もインフレも無縁の金融システム」

●第3章「利子ともインフレとも無縁の貨幣から利益をえるのは誰か?」

●第4章「歴史の教訓」-1

●第4章-2

●簡易版第5章:1994年版第8章−1

●1994年版第8章−2

●1994年版第8章−3「モデル実験をやってみよう」

●1994年版第8章−4


Margrit Kennedy: Geld ohne Zinsen und Inflation

Ein Tauschmittel, das jedem dient,

Wilhelm Goldmann Verlag, Muenchen 1994

ISBN 3-442-12341-0

DM14,90

 初版は、1987年に英語で出されています。"Interest and Inflation Free Money" permaculture Publications,Steyerberg1989年に第2版が、1990年に第3版が出ています。1989年にはスウェーデン語訳が出ています。1990年にはデンマーク語訳とフィンランド語訳が、1991年にはノルウェー語訳が出ています。ポーランド語とハンガリー語訳が準備中とのこと(1996年4月3日現在)ドイツ語版は、Birgit Binninger,Helmut Creuz und Dr.Hugo T.C. Godschalkの提言により、手が加えられ英語版とは異なったものになっている。

 

 

[topos:3217]

第1章「貨幣の機能に関する四つの根本的誤解の論点」


1999.7.3

 

 第1章「貨幣の機能に関する四つの根本的誤解の論点」

 

 第1の誤解:成長にはこれしかないという誤解

自然における成長は、人間の身体的成長のように、初期においては早く成長しやがて緩やかに成長しやがて止まる。

 これは確か生物学でS字曲線と呼ばれるものだったと思いますが。これを、ケネディーは、「質的成長曲線」と呼んでいる。

これに対して、指数的成長は、最初は少ししか増えないが、細胞分裂の倍々ゲームのようにますます増加のスピードは増えていく。

この型の成長は有機体の死を持って終わる。利子によるお金の増大はまさにこの型の成長であって、先には破滅があるばかり。

だから「質的成長」の型に変えなければならない。

 

 第2の誤解:お金を貸したときに利子が支払われるという誤解

実はあらゆる支払いには、利子の部分が含まれているのである。生産者が銀行  に支払わなければならない利子が価格に織り込まれているのである。われわれは通常、日常生活で必要とするものを買うさいに30%から50%の利子分を支払っているのである。

だから、利子をなくすことができれば、理論上50%分は豊かになるわけである。あるいは高く見積もっても今の3分の2働くだけで現在の豊かさが維持できる ことになる。

 

 第3の誤解:現在の金融システムは万人にとって平等に利益をもたらすという誤解

 ドイツの場合、人口の80%が利子を受け取るよりも支払う量の方が多い。次の 10%は支払う利子より受け取る利子が多く、最後の10%が支払う量の2倍以 上の利子収入がある。これが実態である。要するに、豊かな者はますます豊か に貧しい者はますます貧しくなるわけだ。

 ローン地獄という言葉がありますが、以前の金利だと1000万円借りて3000万 円返すという状態でした。2000万円分銀行のためにただ働きさせられるわけで、 これは現代の奴隷制であると思います。

利子というシステム事態が配分の不公平を生む構造になっているわけだ。

 

第4の誤解:インフレはあらゆる金融システムの不可欠の構成要素であるという誤解

インフレは、政府が借金を棒引きするための手段である。政府の財政赤字がおお きくなればなるほどインフレへの誘惑が大きくなる。利子があるから物価が上がると言うことになる。借金の利払いだけでも大変な額 なのだから。利子があるからインフレが起こる。

 国債の利子を支払うだけで、国家予算の大きな部分を支出しなければならないなどと いうことはどう考えてもおかしい。国民が支払った税金が、国のローンの支払いに向 けられるなどということはおかしい。誰がこの利子をもらっているのか。国債に投資 している投資家などの大金持ちだ。金利がこれだけ低いのに、昔の金利で支払うとい うのは納得できない。と思うのは私だけでしょうか。

 

 

[topos:3224]

第2章「利子もインフレも無縁の金融システム」


1999.7.3

 

 第2章「利子もインフレも無縁の金融システム」

 ここでは、前半でゲゼルの実践の話が、後半で現代においていかにしてゲゼルの理念を実現するかについて述べられている。ゲゼルのヴェルグルでの実践は、番組でも紹介されていたので、繰り返しませんが、月1%の使用量を払い年間で12%分の使用量を払うというシステムが、お金の裏に印紙のようなものを買って張る義務があり張ってないと使えないというシステムで印紙代金は自治体の収入になり福祉に用いられることになる、ということは、これを読んでわかりました。お金は使わないとソンするわけですから、早く使おうとして、1枚の紙片が1年間で463回流通したといいます。

 このシステムを貨物列車にたとえる話も面白かった。貨物列車の車両は、ものを運ぶところに使い道があるわけで、荷物をつんだままになっていれば当然管理料か何かを払わないと、割が合わないわけで、お金も同じで、使わないでためておくのは、貨物に荷物を積んだままにしておくのと同じだから使用料を取るというわけなのである。

 ゲゼルの方式が当時、ドイツ、フランス、スペイン、スイス、アメリカでも実行された、というのは番組ではそこまで説明がなかったような気がします。

 ともあれ、この章の圧巻は、現代にどうやって生かすかというところである。

 これに関しては、普通預金としてあるいは現金としてもっているものについては、月0.5%の手数料を課し、使う予定のないお金については、定期預金として手数料ゼロとする、という案が示されている。利子はもちろんつかないわけです。だからインフレの危険にはつながらないわけです。債権にも利子をつけない。銀行の仕事は、お金を媒介するだけになる。

 お金の量を調整するためには、中央銀行が貨幣供給量を調整する。債権については、+−1%の使用量で量を調節する。

 こうすれば、ドイツ人の80%にとっては大変な収入増になる。

 さらにこの改革には土地改革が並行することが必要である。なぜならお金で利子が付かないとなると土地にお金が向かう危険性があるからである。ヨーロッパの場合土地の私有は、中世後期にローマ法経由で入ったと言うことであるが、

 現在の資本主義国で土地所有の廃止は可能なのか?土地の私有を廃止した社会主義が崩壊した現在?私有無くして土地の有効利用が可能になるのか?そもそも土地を持っている者が手放すわけがないではないか、という疑問が起こる。

 これに対しては、年3%の使用料を課せば、土地は公共のものになる、という。33年間で約100%となる。支払えない人は、33年間で土地を譲り渡す契約を結べば、支払わなくても良い。

 この方式を入れれば、土地への投機は瞬時に已むことになる。使われない土地は市場に売りに出ることになる。土地がますます安くなり、必要な人が買い生産的に使えるようになる。開発途上国において、生活必需品が精算できないのは、土地が買えないからなので、このシステムになれば再び民衆は自分の土地で耕すことができるようになる。

 こうした変化は憲法上も何の問題もない。ボン基本法第15条に照らしても大丈夫。

 しかし、こうした改革には政治的な反対があるだろうから、その場合には土地から得た収入に大きく課税することにする。

 次に税制改革が伴わなければならない。

1.所得に課税するのではなく、生産物に課税する。

2.生産物の生態学的コストを精算物税に上乗せする。

 こうすると物価は高くなるが、所得も高いので、購買力もある。また生産物に課税されるので、オートメーションのメリットがでにくい。生態学的な生産の状態に近づくことができる。

 

 

[topos:3260]

第3章「利子ともインフレとも無縁の

      貨幣から利益をえるのは誰か?」


1999.7.7

 

 第3章「利子ともインフレとも無縁の貨幣から利益をえるのは誰か?」

 今までの分析が正しければ、利子ともインフレとも無縁の貨幣は次の長所を持つ。

(1)インフレを克服し、利子による配分の不公平を無くする。

(2)社会的公正が増大する。

(3)失業が減少し、モノやサービスの値段が30ないし50%減少する。

(4)物質的な必要性が満たされた後は、質的変化を目指した安定した経済が長期的に続く。

政治家の中にも理解を示す者がいる。ハンブルクの市長を長く努めたドナーニは、1983年の2月23日に次のように語った。

「今まで通り、連邦、州、地方公共団体の公債を増加させていけば、たとえ利子率が低下したとしても、財政的に取れる手段の余地が失われ今までの政策を維持することもできなくなろう。」「公的財政の借金が増加すれば、二つの問題が生じてくる。一つは、利子と元金の償還から生じる将来の公的財政の負担増の問題であり、もう一つは望まなくとも結果として資本家に有利にお金が配分されるという問題である。」そして彼は、利子のない債権を提案したという。

銀行家は、こうした事実を隠そうとする。ドイツの場合、1950年から1985年の間に、国民総生産は18倍になった。借金は51倍になり、銀行取引は83倍になった。つまり、富の多くの部分が銀行に流れ込んだということである。そのために、所得の増加はモノの値段の増加の2倍の時間がかかりモノの値段の増加がお金の価値の増加に比べれば3倍の時間がかかることになった。

確かに、多くの民衆は利子を受け取るが、この利子は既に自分が働いた分の一部を受け取っているにすぎないのである。これこそが、「利子を生む貨幣」の秘密なのである。

お金持ちは、こうした事実を知らない。私(ケネディー)の経験によれば、上位10%の人々と話してみると彼らは、利子のシステムがどのように機能しているかについても利子をつけないお金の可能性があることも知らない。彼らは、もっとお金をもうけたいと考えているというよりは、子孫のための安定をむしろ望んでいるのである。

 だから、お金持ちも、新しいシステムに必ずしも反対するとは限らない。全員破滅へと向かうシステムよりは安定したシステムのほうがいいと判断するかもしれない。

利子を廃止した場合、利子生活者はどうなるか、という問題がある。「中性貨幣」(利子の付かない貨幣)が導入されれば、元金があるのだから倹約によって十分生活できる。

100万マルクを持っている人は、上位4%に属している。ところが、このグループの幾人かは、毎日利子として100万マルク以上をかせいでいる。イギリス女王の日々の収入は、200万マルクである。世界で一番裕福なブルネイのサルタンは、250億ドルの財産で、1時間あたりの利子関連収入が25万ドルにのぼる。

中世には10分の1税というものがあったが、現代は、3分の1が利子を経由して資本家に巻き上げられている。

システムが崩壊するまで待つべきか、それともその前に変革すべきか。変革するためには、以上のような考え方を多くの人に伝える必要がある。

今日では、人口の半数が、富の4%を所有し、残りの96%を残りの半数が所有している。配分の不公平の大部分は、毎日5億ないし6億マルクが利子として労働者から資本家に支払われていることから生じている。

第三世界に関しても、おかしなことが起こっている。われわれは、毎日、2億ドルの利子を第三世界からもらっている。この額は、「開発援助金」の2倍の額である。

1989年にブラジルの公的な負債は115億ドルであった。ブラジルは過去16年間に利子やなにやらで176億ドル既に支払ったのである。元金は既に返済されているのである!!!

 こんな馬鹿なことがあるのだろうか。新しい奴隷制のようなもの!!!!

教会や精神世界のグループは歴史的に利子に反対していた。キリスト教もイスラム教も。

「我々が資本に奉仕するのではなく、資本が我々に奉仕するように」なるのが「中性貨幣」である。

農業も、利子の運動の中に巻き込まれ、機械化して借金で首が回らなくなる。農業の荒廃、土地の荒廃は、農業にも利子を生ませようとするところから生まれてくる。

 日本の農家が農業離れを強制されたのも、農協の役割も結局はこうしたメカニズムの発動と見るとよく理解できるきがします。

成長が鈍化した時代には、所得の労働と資本への配分の不公平が目立ってくる。

 このあらわれが、失業率5%にほかならないと私は思う。アメリカの経済を繁栄させるために、つまりは世界のトップの利益を確保し続けるために、他の国々は犠牲を強いられている訳なのだと思う。ニューヨーク・ダウが1万ドルを越えるなんてそんな馬鹿な話が成り立つためには、よほど世界がその犠牲になっているということである。それだけ配分の不公平が際だっているのだから。金融ビッグバンといっての結局アメリカの都合の良い基準を日本が押しつけられているだけではないか。そのために既に5%の日本人が犠牲になっている・・・・・

ドイツの土地収入は120億マルクなので、その分を家庭に配分すれば、0歳から18歳の子どもに対して年8800マルク月々730マルク支払える。

 日本の地域振興券どころのさわぎではない。月7万円近くが子供に与えられれば、日本の教育費の問題は解決だ!!!!!

 

 

[topos:3354]

第4章-1「歴史の教訓」


1999.7.15

 

 第4章「歴史の教訓」

ドイツ語のお金(Geld)という言葉はもともと金(Gold)を意味していた。金(キン)は西暦4世紀のローマ時代に交換手段となった。だからお金とは金貨のことだった。この考え方は、アメリカの憲法にも受け継がれ、1934年まで、金貨銀貨が支払い手段であった。不換紙幣となった現在でも金本位制度に戻ろうとする動きがある。

ところが、ゲゼルは、1916年に「自然的経済秩序」を出版したとき、金本位制は不必要であるばかりでなく、利子の付かないお金にとっては障害ですらある、と主張したのである。ケインズも1930年頃には、金本位制は、経済にとって阻害要因であると主張した。もっともケインズは、マイナス利子の考え方には思い及ばなかったが。ゲゼル派のディーター・ズールは「お金の資本主義的費用収益構造」という本の中でケインズがこの点で、最後まで、考え抜かなかったことを示している。ケインズが、そこを考え抜かなかったために、現在もなお経済の病は続いているのである。

中世の片側鋳造貨幣

12世紀から15世紀にかけての中世の時代、片側鋳造貨幣と呼ばれるお金が用いられていた。この貨幣は、1年間に1ないし3回鋳造し直され、そのとき25%までの範囲で安く買い取られる。25%は、鋳造税として召し上げられるわけである。

従って、人々は、この貨幣を、ため込もうとはせず、いい家具や家や芸術作品などに交換しようとした。そこでこの時代には優れた芸術作品が生まれることになった。この時期はヨーロッパ史において文化的に最高潮となった時期となった。しかも、手工業者達は週休二日制であり、生活水準は高く、戦争もなかった。戦いがなかったからまた、歴史書では触れられることが少ないのである。 

ところが15世紀の終わりころに「恒久的貨幣」が再び導入されてしまった。利子が復活し、富が富者の手に集中するようになった。

こうした歴史から、我々は、税金はもはや中世の時のように鋳造費用という形で支払うのではうまくいかないこと、お金の流通費という形とは別の形で考えるべきことを学ぶことができる。

ナチズムが勃興したのも、実はワイマール時代の金融政策の誤りが原因なのである。1923年の急激なインフレを前に、1924年ワイマール政府は、40%金を含んだ新帝国マルクを発行した。これは金本位制への回帰を意味していた。1929年の「暗黒の金曜日」・・・・・

  

 

[topos:3356]

第4章-2


1999.7.16

 

1929年の「暗黒の金曜日」のあと、世界恐慌の時、ドイツ帝国銀行は、アメリカから借りていた金(きん)を返済しなければならなくなり、金(きん)による保障ができなくなり、かくて、当時の帝国銀行総裁ルターは、流通貨幣量を減少させることにした。その結果貨幣が足りなくなり、利子率が上昇し、デフレ的な物価の下落が起こった。投資の機会は減り、会社は倒産し失業率は上昇した。

 アレ第一次大戦以降記録的なインフレだったように記憶していましたが、大恐慌以後はデフレになったのですか。

従って、ヒトラーの登場は、金融政策の失敗にある、ということになる。

ゲゼルは、こうした展開を予想していた。既に1918年の時点で、彼は、ベルリンの「水曜新聞」の発行者に次のような手紙を出していたのである。

「諸国民は、永遠に戦争を忌避しようという聖約をし、何百万の人達が、『二度と戦争はあってはならない』と叫び、美しき未来への希望を語っているけれども、私はあえて言おう。現在の金融システムが利子経済を維持し続けるなら、新しい、もっと悲惨な戦争が起こるのに25年とはかからないであろう。私には将来の展開が手に取るように見える。今日の技術水準が経済を急激に復興させるであろう。戦争の打撃が大きかったけれども、資本の形成が急速に進み、供給過剰となり、利子率を押し下げるであろう。お金は滞留し、経済は縮小し、大勢の失業者がちまたに溢れるであろう。不満を抱いた大衆の中に、野蛮で革命的な動きが起こり超国家主義が再びはびこるであろう。どの国ももはや他の国を理解しようとしなくなり、最後は再び戦争に突入することになろう。」

歴史的に見れば、当時、お金は中央銀行によって通貨量が減らされ、−−物価の下落ゆえに−−市民がお金を秘匿した。その結果は、悲惨であった。

現在、中央銀行の指導者達は、貨幣量が多すぎるという問題に直面している。なぜなら、秘匿されたお金の分を貨幣の印刷によって補っているからである。こうして、次のインフレーションとその悲惨な結末を準備しているのである。彼らは、利子率を制御手段に使っている。利子率を制御手段とすることは、悪魔を別の悪魔によって追い出そうとしているのである。

  

 

[topos:3423]

ケネディ:簡易版第5章:1994年版第8章−1


1999.7.24

 

 ケネディーの原本が入手できました。以外と早く手に入ったということは紀伊国屋に在庫があったのでしょうか。手に入ったのは、1994年版です。

 今まで見てきた簡易版とは、章立てを含めて異なる箇所も少なくないようです。

 簡易版で第5章にあたるところは、原本で第8章にあたっています。表題は同じで「金融システムの変革にどう参加したらよいか」となっています。

 そこで、ここでは、第8章を何回かにわけて全訳しようかと思います。

 

 8−1 情報を広めよう

 最も重要な一歩は、他の人達にも現在の金融システムの問題性を知ってもらい、現行のシステムに変わる新しいシステムがどのような形で可能であるか知らせることです。

 現在の金融制度の変革にとっての最大の障碍は、現在のシステムの問題性を知る人がきわめて少なく、ましてや解決策を知る人は皆無に近いということです。ジョージ・オーウェルは彼の著書「1984年」の中で次のように書いています。

 「通貨の切り下げ以上に、社会の基盤を掘り崩す確実で汚い手段はない。通貨の切り下げは、経済法則のもつあらゆる潜在的力を社会の破壊に寄与させることになる。しかも、100万人のうち誰一人として気がつかないうちに。」

 変革に向けての第一歩は、それゆえ、利子及び利子の利子の機能について精確に知ることでありまたそれに加えて、その帰結を避ける解決策を議論できるようにすることです。

 最初は、家族にまた友人にどのくらい事情を伝えることが出来るか試してご覧なさい。その後で、そんなに親しくない人にも話してみましょう。臆さないで、銀行員とか保険外交員、地方の政治家、ジャーナリスト、新聞記者にも話してみましょう。銀行員や経済学者といろいろ議論してみて私が確信したことは、お金の機能についての限られた見方を教育されそこから生まれた精神的な障壁以外には、何の困難も存在しないということでした。

 お金が、多数の人間の生活にとって中心的な問題の一つであるということを意識化しましょう。お金は、人間の自己イメージや人間の世界との関係と深く関わっています。寛容さと吝嗇、開放性と閉鎖性、暖かさと冷たさがお金に対する態度に反映します。お金を他のものから切り離して考察するのは通常困難です。

 とはいえ、まず、利子を永続的に積み重ねていくことは不可能であることが数学的に証明できるということを明らかにできなくてはなりません(1から6の表参照:略)。そうしてはじめてその社会的結末、政治的結末について話すことが出来るのです。

 はっきりさせておく必要があるのは、お金の持つジレンマは他の多くの問題と密接に関連しているということです。これらの問題群は、一つの改革によりすべて自動的に解決できるわけではないのです。金融改革は、それだけで、貧者、老人、病人あるいはその他の社会的弱者のためになるわけではないのです。社会的弱者の援助をしやすくするにすぎないのです。だからといって、かつて、熱狂した金融改革支持者が時に主張していたように、特別の綱領や特別の投企なしに、社会問題、生態学的問題が解決できるわけでもないのです。

 メディアを通じて世界の出来事を見ていると、ますます金融改革の緊急性と可能性に気がつくようになるでしょう。そして同時にまた解決策を知っている人はみな、その知識を広める責任があるということに気がつくでしょう。私たちは今日、子供達がお金及びお金の流通の様々なメカニズムの基本的な意味とその経済的社会的帰結について知らぬままに学校を卒業しないように、留意しなければなりません。

 

 

[topos:3524]

1994年版第8章−2


1999.7.11

 

Margrit Kennedy Geld ohne Zinsen und Inflation, Goldmann Verlag,der ueberarbeiteten und erweiterten Ausgabe 1994 Teil 2:Vergangenheit Zukunft Gegenwart VIII Wie kann jeder an der Veraenderung des Geldsuystems mitwirken?

●Bewusster mit Geld umgehen

 マルグリット・ケネディー「金利ともインフレとも無縁な貨幣」1994年版 第2部 過去・未来・現在の第VIII章の第2節 意識的にお金とつきあおうの箇所の全訳です。訳語にいろいろ問題がありそうですので、とくに経済学の専門家の森野さん、ご指摘いただければと思います。

 すぐに実行できる方法としては、今日の金融システムの中で、投資家あるいは消費者としてより意識的にお金とつきあうようにすることがあげられます。つまり、自分のお金が倫理的に問題の無い生産物やプロジェクトに投資されるよう注意するということです。今日、ますます多くの人々がお金の支出や投資に際して、社会的道徳的側面を意識するようになっています。購買者として、私たちは、自分が購入する生産物が環境に優しい方法で、社会に問題を引き起こさない方法で作られているかどうかについて、知ることができます。「倫理的に」投資する最も直接的で簡単な方法は、お金に困っている社会的あるいはエコ生産物を、安い利子によりあるいは利子をつけないで貸すことにより支えることです。

 これができない人々は、エコ銀行とかハンブルクのTRION金融コンサルタント共同体のような媒介的制度に対して、あるいは商業上の投資基金に対して、お金を投入することができます。こうしてアメリカ合衆国では、近年、数十億ドルの規模の店舗が生まれてきました。ヘーゼル・ヘンダーソンの言葉を借りれば、「全く普通の人々の中に、崩壊しつつあるシステムの腐臭をかぎつけ、もはやお金が自分達の生活を破壊する役割を果たすのを許すことができないという人々が増えている。」のです。

 ここドイツの地においても、近年、「倫理的投資」という呪文のような言葉が入り込み財布の紐をゆるめています。とりわけ女性達は、倹約したお金を、軍事生産物や原子力発電や化学と関わりの無い生産物、また遠因としてであっても生態学的に問題を引き起こさないような生産物に財政援助するプロジェクトにお金を出すという考えに魅了されているように見えます。問題が起きるとすれば、「倫理的投資」という表示を持つ金融機関を管轄する連邦信用制度管理局においてです。なぜかといえば、第一に、倫理は資本金によって定義することも検証することもできないですし、また、第二に競争を単に「非倫理的」であるとして排除することもできないからです。

 「倫理的」投資という概念から離れていった投資コンサルタントもいます。彼らは、倫理的投資という名のもとに隙間産業で儲けようとしたのですが、結局は消耗な商売しかないという結論に達したのです。倫理的投資で儲けようという見方が強固なことは、例えば、フランスのパリバ銀行(Paribas-Bank)が出した「グリーン・バスケット」という金融商品に示されています。この商品は、ドイツの巨大な原子力産業RWEの株を扱ったものです。RWEは「>狩人90<が平和運動に対して果たしたと同じように、エコロジーに叶ったエネルギー政策に対しても多少の役割を果たす」というわけです。

 マティアス・ブレッカーは、「倫理的に振る舞おうとしているのは誰なのか」という論文の中で、「自分の良心の声に真剣に耳を傾けようとすれば、詳細な知識と精確な情報が必要である。この場合には、「時は金なり」という財政の黄金律は、逆転されなければならない。お金を生活を潤す手段に変える最初の戒律は、時間との関係を変えることである。」と述べています。

 エコ銀行もトゥリオン金融コンサルタント組合(TRION -Geldberatungsgenossenschaft)も、預金者の希望に応じてゼロ利子から市場金利の間で利子を設定する形で、環境領域、婦人領域あるいは教育領域に優しい定期預金を組んでいます。この預金においては、ともかく、「倫理的な義務」を果たすことができます。この場合、「匿名度が少なくなればなるほど、利子の放棄が起こりやすくなります。言い換えると、匿名度が少なくなればなるほど、預金者は、投資されるプロジェクトの内容にますます強くアイデンティティを持つことが出来ます。」

 こうした預金は、お金は利子率の最も高いところに投資すべきであるという重要な市場法則に反しています。たいていの倫理的投資基金は、実のところ、いまなおこの市場法則に拘束されたままなのです。厳密に「経済的に」見れば、「倫理的な義務」を果たす預金は、理にかなっていないということになりますが、しかしますます多くの人々が利子を少なくしその代わりに自分のお金が正しい使われ方をすることを望むようになっています。

 そこで、トゥリオンは有機農法をしている農民とその顧客である約40世帯との間に緊密な連携を確立し、農業者が需要と事前のコスト計算を行うことにより、より安価により効果的に生産できるように尽力しました。農業者は、自分の生産物に対する購買者の希望のリストを集約し、組合からクレジットを借り受けました。既に10月の段階で驚くべきことに5万マルクの剰余が生じたことがわかりました。通常なら、この余剰のお金は全構成員に再配分されるのですが、そうせずに、全員一致で、全額共同事業者に寄付することにしました。

 この事例から、どうしたら、お金を創造的な社会的構成手段として用いることができるかがわかるでしょう。農業者にとっては、危険の少ない作付けが可能となり、都会の家族にとっては価値の高い、健康な、適正価格の食品が入手できます。全ての参加者が、みんなで協力した方が問題はうまく解決できることを学びます。お金が、不透明な組織の中に消えて行くことはなく、お金の働きが認識できますし経験できます。

 金融コンサルタント組合は、社会的、生態学的観点を配慮している国内および国外のパートナー銀行と協力し、個々の顧客にふさわしい預金のありかたを見つけてくれます。また1990年以降は、J.A.K.(スウェーデン語の土地−労働−資本の略です。訳者注)預金、貸付モデル(本書第7章参照・・・これについては、いままでの紹介の中では出てきていませんが、スウェーデンとデンマークで実施されているものです。クウェートでもイスラムの原理と矛盾しないというお墨付きが出たということです。訳者注)をドイツにも導入しようとしています。

 意識の高い預金者は、預金先を経済的のみならず社会的な観点に従って選びます。これらの人々は、投資先のリストから、まず、軍事産業をはずします。次に、非人間的な労働条件で知られている会社あるいは環境汚染で悪名高い会社をはずします。彼らは、原子力発電を推進している会社には投資しませんし、南アフリカのように抑圧的な政府と協働している会社にも投資しません。

 長い目で見れば、こうした預金者は結果的により多くの利子率を確保することができます。アメリカの原子力産業は、数10億ドルの追加コストや事故コストが必要となるため、投資者にとって割が合わないことが証明されてしまいました。これに対し代替エネルギーへの投資はますます投資価値が高まっています。

 意識的にお金とつきあうことは、即座に実行できます。金融システムをすぐ変革するか後で変革するかということとは関わりなくできるのです。ですから、社会的且つ生態学的な投資という考え方は、批判的視点を失わず、かつ十分な情報のもとになされれば、金融システムのいかんを問わず、優れた考え方なのです。

 

 

[topos:3661]

1994年版第8章−3「モデル実験をやってみよう」


1999.8.4

 

 モデル実験をやってみよう

 ここで提案されている差別を生み出さない金融システムにとって最も重要なのは、実 際生活の中でこのシステムを試してみることである。この金融システムが広範囲に実 施された場合にどんな作用を及ぼすかを理解するためには、モデル実験が必要なのだ 。

 第8章で、新しい金融システム、新しい預金共同体、新しい貸与共同体を試すにあ たっての三つの可能性を取り上げた。カナダで生まれたLETシステム、スイスのヴ ィーア・リング、スウェーデンのJ.A.Kシステムの三つである。この三つのシス テムは、地方、地域、国家の水準で組み合わせて使うこともできるものであり、いず れのシステムも循環中の貨幣の使用料を導入することにより作動する。

 こうした実験の実施に興味ある地域や州は、お互いに調整を計り、社会的、文化的 、経済的条件の違いを越えて、高度な相互信頼関係を構築する必要がある。新しい金 融システムが導入されるべき地域は、一つの州全体を説得できる成果を得られるに十 分な広さであることが望ましい。さらに加えて、その地域は、自給度が高いのが望ま しい。つまり、必要な財やサービスの多くが地域の商取引や経済的交換で手に入るこ とが望ましい。

 構造的に経済が弱体な地域では、中立貨幣は、確実に雇用を創出できるプログラム としてまた多様で安定した経済発展の呼び水として導入できる。経済状態が悪い地域 は変革に対して積極的であるから、おそらく経済発展の呼び水としての中立貨幣とい う考え方に惹き付けられるであろう。とくに、ヴェルグル(第U章参照)のように、 失うものは何もなく、得るものしかないという場合には。

 ベルナルド・リエター(元ベルギー国民銀行の電子情報処理部局の長)は、彼の論 文「兌換通貨(konvertible Waehrung:誤訳かも)の戦略」の中で、当時の東側諸国 に、流通するように作為されたお金を導入すべしと主張した。西側諸国の金融システ ムの基本的な誤りを引き継がないように、東側諸国では、兌換通貨を導入するに際し て、使用料により貨幣の流通が保障されるべきであると、考えられた。国際的承認を 受けやすくするために、彼は、新しい通貨を最初は輸出可能な「商品群」によって担 保しようとした。こうした手法は、通貨の安定性を強化するものである。通貨が安定 すればやがて、金本位制と同じように、兌換性が消失するであろう。

 信頼できる結果を確保するためには、実験を、一、二の場所に限らないことが重要 である。ゼロ利子のお金が異なった社会的条件の下でどう作用するかを示すことがで きるためには、多様な経験を集め、それぞれの経験を実証的に研究することが必要で ある。

 

 

[topos:3681]

1994年版第8章−4


1999.8.7

 

 最初は、簡易版の紹介、途中から原本の翻訳と、バランスが失した形になりましたが、一応、今回で完結した形になります。

 

 マルグリット・ケネディー「利子ともインフレとも無縁の貨幣」

 第8章4節 政治を変えよう

 本書で提案されている改革によって、現在の資本主義のマイナスの影響をなくした真に自由な市場経済の長所を実現することができるでしょう。この改革によって、個人の自由及び個人の成長を自由市場経済及び高い社会的公正とを結びつけることのできる新しい解決が生み出されます。この改革により、お金や土地の特権による多数の人間の搾取がなくなり、しかも非効率な計画経済や権力的な官僚制からも解放されます。この改革は、生態系に優しい市場経済を創出します。この新しい経済の下では、商品とサービスの量と多様性が最適な範囲で生み出されることになります。

 ここドイツの地で、新しい金融システムを潜在的、能動的に支援してくれる人々を探してみると、その数は人口の95%に及ぶほどです。すなわち、新しい農業経済者、生態学者、女性、平和主義者、緑の党、灰色の豹、失望した社会主義者達、それに、現在の金融システムで常に利子を支払わなければならない人々、から構成される85ないし90%の人々。そして、現在の条件下で利益を享受してはいるが、健康なシステムの方が結局は自分たちのためになることを理解している視野の広い人々が10から15%。まさに今こそ、こうした人々が皆つながり合って政党の枠を越え、本当の金融改革、土地改革、税改革を実現する時期なのです。

 中立貨幣への道は、政治機関を経由せざるをえません。つまり中立貨幣は、議会の過半数が賛同したときにはじめて成功するのです。

 「いつの日か、過半数が賛同する見込みがないわけではありません。しかし、さしあたっての最大の困難は、専門の経済学者が問題の本質を理解せず、政治家から助言を求められたときに誤った助言をしかねないということです。ここではケインズが定式化したあのジレンマ、『新しい考え方を理解するのは難しいことではない。難しいのは古い考え方から抜け出すことなのだ。』というジレンマが当てはまります。

 フランクフルトの元銀行家であるフィリップ・フォン・ベートマンは、彼の最新書「ドイツの福祉は空中楼閣にすぎない」の中で、現在の金融政策、利子政策を激しく批判しました。彼は、お金の貸し手であり現行システムの信者でもある預金者達に、銀行と話をし決定に関与する勇気を持てと呼びかけました。

「それは可能なのだ。何十億マルクのお金をトータルで預金していることになる何百万人の預金者達は、銀行と話をする権利があるのだ。彼らは選ぶことが出来るのだ。彼らは圧力を行使することができるのだ。彼らは、ストライキや抗議行動やデモをすることができるのだ。これ以外にもいろいろできるのだ。しかし、実際には、ほとんど何もしていない。いまなお現状に甘んじている。彼らは自分たちの力に気付いていないのだ。彼らは、控えめすぎるのだ。自分が資本家だなんて、慣れない話でびっくりするだけなのだ。まず自分が資本家であることを自覚してもらわなければならない。」

 この主張がいかなる意味を持っているか、抗議行動やデモがいかなる意味を持っているかは、1990年の11月にわがドイツ人が示してくれました。おそらく、今が、私たちにとってもあるいは資本家であることを長く実践してきた人々にとっても、目覚めの時なのでしょう。私たちは、価値の安定した支払い手段としてのお金、信頼できる正当な評価手段としてのお金、価値の定まっている財としてのお金を権利として要求すべきなのです。金融政策は、−−多くの人が誤解しているように−−専門家のためだけのものではないのです。金融政策は私たちすべてに関わりがあり、かけ算の九九と同じように誰にでも理解できるものなのです。

 高度産業国家では、開発途上国を搾取しているので、金融権や地権により富が再配分されている様子がはっきり見えませんが、開発途上国は、二重に不当なシステムに対して現金を支払っているのです。植民地宗主国が導入し、今日では、国際的分業と借入金利差により、悲惨な植民地時代以上に残酷な搾取が行われているのです。開発途上国の人々はたいていこうした搾取に悩まされているのですが、第三世界において最初に金融システムの改革が実現される見込みはほとんどありません。政治的権力が、少数の「エリート」の手に握られており、彼らは、武力の行使なしに彼らの利益を手放しそうもないのです。

 これに対して、ヨーロッパの小さな民主主義国家や、共産主義の独裁から脱した東欧諸国には、こうした根本的な改革の可能性が存在しています。スカンジナビア諸国は、比較的豊かで高い教育を受けている人々が多いので、社会変革の可能性が比較的高いといえます。東欧諸国はすべて、自由経済をさらなる社会的公正と結びつける新しい道を探し求めているのです。

 モスクワの国連世界委員会の公聴会の席上、ソビエトの国立法学アカデミーのA.S.トマシェンコが既に1986年12月11日の時点で次のように述べていました。

 「今日、我々は、他国の安全を犠牲にして自国の安全を保障することは出来ない。安全は、全世界的にしか実現されない。安全は、政治や軍事に限られない。生態学的観点、経済的、社会的観点も考慮すべきである。安全は全人類の抱いている平和への願いを究極的に実現するものでなければならない。」

 人類の社会的、経済的公正を巡る戦いには長く激しいものがあります。この戦いの過程で、社会的、経済的公正は、政治的、宗教的確信とは切り離されてしまいました。その結果、無数の人命が無慈悲にも犠牲となりました。今緊急に必要なのは、次のことです。つまり、誰も他人の犠牲の下に自分の安全を確保することは許されないということ、もちろん我々の生き残りがかかっている環境を犠牲にして自分の安全をはかることは許されないということを、皆が納得できるようになることです。この知見を実行に移すためには、現在の社会的枠組みに、深遠なそしてまた実施可能な変更を加える必要があります。現在の金融システム、土地システム、税システムを変えるのは、次の経済危機の前になるのか後になるのか、生態学的破局の前になるのかあとになるのかという問いの答えは、いまのところわかりません。ともかく、すべての人に役に立つ交換手段をどうやったら生み出せるかを知ることは、こうした変革の役に立つにちがいありません。

 


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