日本論3


身体の近代化

日本人の表情の近代化

ハーン/日本文化の真髄

日本人の覚醒

真の天磐戸開きについての試論

日本人と「個」

超演技者たち

 

身体の近代化


(94/12/02)

 

 三浦雅士「身体の零度/何が近代を成立させたか」(講談社選書メチエ)を読み、明治以降、日本人は歩き方などの身体的なあり方が、驚くほど変化してしまっていることにあらためて考えさせられた。

 リズムにあわせて歩くことはいまでは簡単なことだけれど、かつての日本人はそれを習わなかればならなかったのである。それまでの日本人の歩き方の基本のひとつは「ナンバ」というもので、それは右足と同時に右手がでて、左足と同時に左足がでるというような歩き方のことで、いわゆる半身の構えなんかもそのナンバが基本になっている。

 その「ナンバ」が全国の学校で行なわれる「兵式体操」の実施によって、急速に失われていった。それによって、リズムにあわせて行進することをかわりに修得したのである。日本人は、それまで集団で整然とした行動をすることには慣れていなかった。なぜそうしなければならなかったということであるが、それは軍隊の養成の必要性ということと切り離しては考えられない。もちろん、軍隊にかぎらず、組織において秩序だった行動、均一な身体動作を養成する必要があったということである。

 これについては、この本でも紹介されているように1885年(明治18年)の、森有礼の文部大臣就任演説が有名である。そのなかにこういう箇所がある。「思うに、人間日々の事柄はみな戦争ならざるはなし。すなわち外国に関したる工商業上の戦争、また今日我々が身を立て志を定め我が日本国をして善良の国たらしめんとするがごとき、これみな戦争にあらざるはなし。」

 こうした「兵式体操」に加えて、「運動会」がはじまる。日本でのいわゆる運動会の最初は1883年に東京大学での「陸上運動会」である。そして1890年代からは小学校での「遊戯体操」の実施を奨励することになる。

 こうした身体の近代化とでもいえる動きは、日本だけではなく、ヨーロッパでも平行して起こっていたことでもある。こうした近代化が何を準備したのかということをあえて説明する必要なないであろう。しかし、それがこれから我々をどこにつれていこうとしているのかについては、多くを考えてみなければならない。身体の近代化とは、身体から民族性をはぎとって、身体を「零度」に置こうとするからである。ひとつの方向性として、身体に民族性を復活させていくというのがある。また別の方向性として、その「零度の身体」から開けてくる未知の可能性を模索するというのもある。

 はたして、われわれの身体は、これからどこに向かっていくのだろうか。

 

 

日本人の表情の近代化


(94/12/04)

 

 三浦雅士「身体の零度/何が近代を成立させたか」(講談社選書メチエ)から、もうひとつ、今度は日本人の表情について。

 ラフカディオ・ハーンに、「日本人の微笑」という「最初の本格的な日本文化論」がある。「日本人の微笑は長い歳月をかけて丹念に作り上げた礼儀作法の一つなのである。それはまた沈黙の言語なのである」という。しかし、「西洋人は日本人の微笑は不誠実を意味するのではないかと怪しんでいる。事実、不誠実以外のなにものでもあり得ない、と断定する人もいる」。この「日本人の微笑」について、ハーンは次のように描いている。

 日本の子供は生まれながらこの微笑の仕合わせな傾向をもっているが、それは家庭教育の全期間を通して育てられる。まるで庭の樹や草花の天然の素 質を伸ばすために栽培に際して示される丹精と同じようなこまやかな心配りが子供の躾の際にも示される。微笑が教えこまれるのは、頭だけ下げるお辞 儀や、両手を突いてするお辞儀、また目上の人に挨拶した後で喜びのしるしとして僅かに音をたてて息をすーっと吸い込む表現、また古風な礼法のあらゆる細かなしきたりや優美な作法が教えこまれるのと同じ具合である。言わずと知れたことであるが、声をたたて笑うことは誰にも勧められない。しかし微笑することはあらゆる心楽しい機会に許される。目上の人に話しかける時も、同輩と話す時も、また時には楽しいとはいえない時にされ微笑むことは許される。それは日本人の身さばきの一つなのだ。一番気持ちのよい顔は微笑む顔であり、その一番気持ちのよい顔をいつも両親や、親戚や、先生や、友人や、自分に好意を寄せてくれる人に指し示すのは、世に処する定めなのである。そればかりか、世間に対して絶えず明るい表情を向け、人に向かってできるだけ気持ちのよい印象を与えるのもやはり世に処する定めなのである。それだからたとい心は張り裂けんばかりであろうとも、男らしく微笑むのが外交上の務めなのだ。それに反して、深刻な表情や不機嫌な顔を見せるのは不躾なことである。そんな顔をすれば私たちに好感を寄せてくれる人に心配をかけ苦痛を与えるかもしれない。……幼年時代からの習いが性となって、いわば義務のようにしつけられた微笑はじきに本能的なものとなる。どんなに貧しいお百姓の頭の内にも個人的な苦悩や怒りを面に表わすことは益 がなく、およそ思いやりのない、はしたないしぐさだという考え方が確固として宿っている。

この「日本人の微笑」は、もう多くが失われてしまったように思える。この「礼儀作法」としての「微笑」の美しさを見かけることはほんとうに少なくなった。

 この「微笑」は「個人的」なものではなく、いってみれば「共同体的」なものであったのは確かであるが、その「共同体的」な「微笑」は、「近代化」され、現在のようなきわめて「個人的」な「笑い」へと変化してしまったのだ。

 そもそもそうした表情というのは、多くがかつては非常に「共同体」的なものであったのは確かであり、泣くことでさえそうであった。先の金日成の葬儀でのように、葬儀の際に大声をあげて泣くことは、日本では非常に異様に感じるが、それは「個人的」なものではなくきわめて「共同体的」なのだ。儒教における葬儀は泣き女までを雇って行なわれる。しかし、日本人は、儒教におけるそうした要素は受け入れることはなかったようである。それは日本における共同体の多くでは受け入れがたい「表情」の型だったのであろう。そこに、日本独特の非常に美しい型があったことを、日本人としてうれしく思うのは私だけではないだろう。

 さて、この「日本人の微笑」が失われてきたことを「近代化」ということもできる。つまり、表情が共同体のものから個人的なものへと変化してきたのである。もちろん、その変化のしかたは、多分に(無意識的なものであれ)共同体的な選択はあったであろうが、表情が個人のものへとシフトしてきているのは確かであると思われる。

 その変化を日本人の美点が失われてしまったという嘆きにすることもできるし、またその失われた美点を惜しみながらも、表情が「近代化」し、個人化してきたことを見つめていくこともできる。それを単純に評価することは非常に難しいことである。「礼儀作法」としての「表情」を個人化しながらも、それを共同体の記号として習慣化することよりも、それを個の自覚によって洗練させていきながら、内なる「礼儀作法」として共同体化することなども夢想できたりはするし、そうした共同体へのシフトができるような日本であればと個人としては望んだりもする。

 現在の日本人の表情は、いってみれば無法地帯に近い。美しい日本人の微笑は、もはや過去の幻影なのかもしれない。しかし、その無法地帯を過去へと遡らせるのではなく、そこに自覚的、内発的な「法」が芽生えることは不可能なのだろうか。

 

 

ハーン/日本文化の真髄


(94/12/12)

 

 ラフカディオ・ハーン「心/日本の内面生活の暗示と影響」(岩波文庫)を読みながら、かつての日本人と現在の日本人とについて感じたことなど少し。

このハーンの「心」が出版されたのは1896年(明治29年)。ハーンは1894年熊本での熊本第五高等学校の英語教師からから神戸の英字新聞「神戸クロニクル」紙の記者として赴任してきたが、この「心」には、神戸にやってくるまでに体験したことからくる「古き良き日本人」への深い愛情と、神戸にやってきてから目の当たりにした日本人の西欧文明の模倣への嫌悪が込められているように思う。

 ハーンは「怪談」のなかの「蓬莱」の最後にも「西の国から邪悪の陰風が蓬莱の島の上を吹きすさんでいる。霊妙なる大気は、かなしいかな、しだいに薄らいで行きつつある。」とあるが、まさに、その後、日本からは、「霊妙なる大気」は薄らぎ続けていて、いまやまさに消えなんとするかのようであるとも感じられる。

 この解説のなかで紹介されている無二の親友チェンバレンに宛てた手紙の一節にこういう箇所がある。

日本の内地にいたあとで、ここの(神戸の)外国生活を見るのは、はなはだ不愉快です。ことに、居留地にくると、ただただ恐ろしくなります。 ……湯津や、日御崎や、隠岐に住んで、日本風に暮らしている方が、開港場の最上の生活より、はるかに上々です。……カーペット、ピアノ、西洋窓、カーテン、真鍮のしめ金、教会、どれもこれもわたしは嫌いです。それとホワイト・シャツ、それから洋服、……いわゆる文明なるも のに、自分はどれほど嫌厭を感じていたか、いままで気がつかないでいました。それが、古い日本(むかしからあった唯一の文明国)に長く住んでみて、文明の醜悪さというものがはじめてわかった、−−これがわたくしの感慨です。……

…敷物、よごれた靴、くだらない流行、金をかけた暮らし、気どり、虚栄、むだ話。そんなものより、やわらかい畳の上の、いつもしとやかな、 礼儀にあつい、うるわしい、清らかな、質素な日本人の生活の方が、どんなに住みごこちがいいかわかりません。……

 ハーンの姿勢は一貫してこういうものであったようである。こういうのを読むと、たとえば、先日バリに行ったときに感じたことと共通しているところがあって、いろいろ考えさせられるところが多い。

 ある古くからある形が、もろくも崩れさっていくということはどういうことなのか。その「崩れさる」ということはいったいどういうことなのか。また、崩れないでそのまま古い形を守っていくということがあるとすれば、それはどういう意味を持つのか。

 「古き良き○○○」が失われていくときに、それを愛惜するのは非常に容易だし、またその「古き良き○○○」を捨て去って新しい形に飛び乗っていくのもまた容易なことだ。そこで肝心なのは、「失ってしまう」ということがどういうことなのか、「失われてはいけないもの」はいったい何なのか、また「変わっていく」ということはどういうことなのか、そしてその「変わっていく」という必要性はどういうところにあるのか。そういうところを、できるだけ広い視点で多面的に見つめていくことではないかと思う。もちろんその「見つめる」ことについては、さまざまな可能性があるがゆえに、さまざまな危険性や陥穽が待ちかまえている。そうしたことに注意深くいながら「自分の視点」を複眼にしながら、そこでいちばん大切なものはいったい何なのかをじっくりと考えていかなければならないと思う。

 さて、この「心」におさめられている「日本文化の真髄」の最後の方に、こういう箇所がある。

いったい、自我の錬成には、ふたつの形式がある。そのひとつは、高邁な気質を異常に発達させるもの、他のひとつは、語らざるをもって善しとする、不言実行ともいうべきものである。ところで、新しい日本が、今日考究しだしているところのものは、前者ではない。正直いうと、わたくしなどは、人間の心情というものは、一民族の歴史の上においても、知性よりはるかに価値あるものであり、おそらくそれは、遅かれ早かれ、人生のスフィンクスの無情な謎に解答をあたえるためにも、比較にならぬほど有力なことを顕わすにちがいない、と信じているひとりである。今でもわたくしは、昔の日本人が、智慧の美よりも感性の美を優れたものと考えることによって、人生の難問題を解くうえに、われわれ西洋人よりもはるかに解決点の近くまで行っていたものと信じている。

最近感じることからいえば、確かに日本人は個を超えたところで優れた美点を育成してきた歴史を持っていると思う。それに対して、西欧的なあり方では特に近代、「個」ということを、そしてそれに基づいた物質的背景を育成してきたようである。そして、明治以降、日本人は、過去の美点を巧妙にというかまさに絶妙にある種の形に変換してきたのではないかと思う。そしてその変換によって美点は崩壊していった。そして、第二次世界大戦以降、その崩壊は、「個」の異常な導入によってさらにエスカレートしてゆく。それは確かに悲しむべきことだし、美点をなんとか守ろうとする努力はどうしても必要だと感じる。しかし、その「変化」をその必要性ということから考えていくことも忘れてはならないと思う。結果として何が良かったのか悪かったのかを語ることはまだできるものではないが、こうした百数十年の事件をできるだけ多くの視点から考えながら、それでは我々はどうすればいいのかを模索しなければならないと思う。ある理想からいえば、「個」が確固としてあったうえで、個を超えた美点が発揮されればと思うが、そこへ辿りつくまでに通らなければならない関門は大きな困難を抱えている。そのなかで、さて私がなにができるかということをできるだけ具体的に考えていきたいものだ。

 

 

日本人の覚醒


(94/12/17)

 

 内村鑑三の有名な言葉に「余は日本の為め 日本は世界の為め 世界は基督の為め 基督は神の為め」というのがある。また、1924年「聖書之研究」に掲載された「日本の天職」のなかにこういう箇所がある。

日本人は特別にいかなる民であるか。私は答えて言う、宗教の民であると。かく言いて、私は私の田に水を引き入れんとするのではない。日本の歴史日本人の性質を考えて見て、かく言わざるを得ないのである。人は明治大正の日本人を見て、私のこの提言の全然理由なきを唱うるであろうが、しかしそれは間違っている。国民の歴史において七十年は短き時期である。明治大正の物質的文明は日本にとり一時的現象であった。あたかも人の一生に生意気な時代があるがごとくに、明治大正は日本の生意気時代であった。そしてこの時代は今や終わらんとしている。日本は今や自己に覚めんとしている。武をもって鳴り、商業工業をもって世界に大ならんと欲せし事の、全然おのが性質に適わざることを悟りつつある。そして外の出来事が内の覚醒を助けつつある。日本人は英国人のような商売人にあらず。また米国人のような、肉と物にあこがれる民にあらざることに目覚めつつある。日本人は英国人とは全く質の異なった民である。そこに彼らの天職があり、偉大なる所があると信ずる。

「明治大正は日本の生意気時代であった」ということだが、結局、日本は、昭和も生意気の時代になってしまった。昭和20年の敗戦までは軍事的戦争の生意気の時代だったし、その後は経済的戦争の生意気の時代を経て、それがいよいよエスカレートして平成の時代へと突入することになる。まさに、「日本人は英国人のような商売人に」なり、「また米国人のような、肉と物にあこがれる民に」なってしまったのである。だから、そこには「天職」もなく、「偉大なる所」もない。こうまで内村鑑三の希望を裏返した状態になってしまったのはなぜだろう。

 シュタイナーはこの内村鑑三の発言に近い1910年代に日本についてのこうした示唆を行なっている。以下、「いま。シュタイナーの『民族論』をどう読むか」(イザラ書房)の中の西川隆範「シュタイナー民族論への出発」からの引用紹介。

『宇宙・地球・人間』では、あらゆるモンゴル民族と同様に、日本人は「アトランティス文化から遅れてやってきた者」であるとされ、今日の日本の発展は外来文化に負うものであることが指摘されている。『宇宙・地球・人間』で、シュタイナーは、「日本人は大きな進化を遂げた、といわれています。それは幻想です。日本人は、自分たちの特性から進化を遂げたのではありません。先の戦争で日本が勝ったときも、日本人は外来の文化を用いたのです。ある民族が他民族の本質から発したものを受け入れたのは、進歩ではありません。」と語っている。明治以降の日本の発展が洋才によるところ大であることは明らかであるが、古代において帰化人の果たした役割の大きさも忘れるべきではないだろう。また、『生の変容としての死』(1917)では、「日本人が形成したような霊的な思考は現実のなかに侵入していきます。それがヨーロッパ−アメリカの唯物論と結びつき、ヨーロッパの唯物論が霊化されないなら、その思考はヨーロッパの唯物論を凌ぐことは確かです。ヨーロッパ人は、日本人が持っているような精神の可動性を持っていないからです。このような精神の可動性を、日本人は太古の霊性の遺産として有してい るのです。」と述べている。(p76-77)

日本人の形成してきた「霊的思考」は、ヨーロッパを霊化したようにはみえない。日本人は、太古の霊性としての遺産である「精神の可動性」を、特に戦後は一丸となって、経済的・物質的な方面にふりむけてきたようである。つまり、ある目的を与えれば、その可動性がいっせいに一つの方向をめざし突進してきているのではないかと思われるのである。そしてそれはおそらく「進歩」ではない。そろそろ、内村鑑三のいうように「日本は今や自己に覚め」なければならない時期にきている。そして、真の進歩はおそらくその「目覚め」の後にしかないのだろう。

 古事記には天磐戸開きの話があるが、そのとき天照大神は騙されて岩戸からつれだされた。騙された天照大神は贋の天照大神なのだろう。それもおそらく「進歩」なんかではない。真の「進歩」としての天照大神が顕現しなければならないときがきている。シュタイナー的にいえば、おそらく、それは日本に天照大神の顕現としてのキリスト衝動が起こらなければならないのだろう。

 さて、真の天照大神の顕現とはいったい・・・。

 

 

 

真の天磐戸開きについての試論


(94/12/26)

 

 真の天磐戸開きとは。真の天照大神の顕現とは。

 前回にも内村鑑三の「余は日本の為め 日本は世界の為め 世界は基督の為め 基督は神の為め」という言葉をご紹介したが、ここでのキーワードは「基督」である。

 日本は「裏ユダヤ」ともいわれたりする。その真意はどこにあるのか。

 シュタイナーによれば、ヤハウェは月に反射したキリスト(太陽霊)である。ヤハウェは、"Ich bin Ich bin"、「ありてあるもの」。つまり、真の自我である。

 贋の天磐戸開きとは、贋物のIch(自我)の天磐戸開き。つまり、「Ich(自我)」が封印されたままなのだ。

 キリスト衝動とは、実は「Ich(自我)」の秘儀であり、それが物質世界にまであまねく浸透することなのだ。そのキリスト衝動が地球のエレメントに完全に合体することで巫女の力(大地性の力)が調和される。そうでなければ、巫女の力は荒れ狂うのみでしかない。現在の日本での即物的な唯物論的傾向の原因は、大地性の力の暴走でもある。日本には未だキリスト衝動=真の天磐戸開きがなされていないのだ。おそらく、内村鑑三の営為はそれを察してなされていると思われる。もちろん、ここでキリストだとか天照大神だという表現を民族的なイメージでとらえることは避けなければならない。

 さて、シュタイナーによれば、ヤハウェとは月に反射したキリスト。地球の主の月の母との結びつきであり、月の中にシンボルをもつ月の指導者である。それは、太陽の力を受け入れた月でもある。

 このヤハウェを日本ではクニトコタチと呼んでいるのではないかというのがここでの推理のキーになる。

 イエスは、太陽霊キリストを受け入れるために、人類の原初の霊性を保存していたアダムの肉体とエーテル体を持って生まれた。これをナータン系のイエスといい、それにイエスの自我=ゾロアスターの自我という成熟した自我をもったイエスを、ソロモン系のイエスという。ナータン系のイエスを語ったのがルカ福音書でありソロモン系のイエスを語ったのがマタイ福音書である。イエスが12歳のとき、このゾロアスターの自我が若々しいナータン系のイエスへと移行する。そして、そのイエスに30歳のとき、太陽霊キリストの自我が受肉する。そしてその後三年間活動する。

 これがシュタイナーの解くキリストの第五福音書的秘儀のアウトラインだが、裏ユダヤ日本には、このナータン系のイエスのアダムの霊性が保存されているというのはどうだろうか。AMA族とかいうのもそこらへんのことで気になる。

 そうした保存された血=地に、キリスト衝動、つまり真の天磐戸開きがなされなければならない。真の自我が受肉しなければならないのだ。そこにクニトコタチが復活する。しかし、今度は月に反射したヤハウェであるクニトコタチではなく真の天照大神である太陽霊キリストの復活である。もちろん、復活は肉を持つ復活ではなく、エーテル界における顕現である。キリストのエーテル界への出現について、シュタイナーは、それに人類が気づくのが急務だとしている。

 そういう意味では、今の日本には真のキリスト者が望まれているともいえる。なぜ日月神示か。「日」と「月」なのか。これはキリストとヤハウェである。それは、保存された霊性をもつ血=地へのキリスト衝動の要請である。それが、真の天磐戸開きではなかろうか。そこでキーになるのは、人間である。人間のなかにキリスト衝動が顕現しなければならない。そういう視点で日月神示を読み直してみるのも興味深くはなかろうか。

 くれぐれも、そのときに民族魂的なカモフラージュにとらわれてはならない。善悪を絶対化するような幼稚な認識で身を飾ってはならない。そうした民族魂レベルに終始する議論は、本来のキリスト衝動を阻害するものである。「日本神道」に拘りそれを超える衝動、ビジョンを持てぬのもそれである。神棚などに拘るべきではないのだ。すべからくわれらは「無教会」であり「無神棚」であるのがいい。天磐戸開きは、「Ich(自我)」の秘儀なのだから。

  「余は日本の為め 日本は世界の為め 世界は基督の為め 基督は神の為め」

 これを忘れてはならない。

 

 

日本人と「個」


(95/01/09)

 

 日本人と「個」ということについて少し。

 山本七平さんの「『あたりまえ』の研究」(文春文庫)の最初に「日本人と『自分の原理』/見えざる自分の原理」という章がある。ここには、日本人とイスラム教徒、ユダヤ教のラビなどとの「宗教」ということについての捉え方の違いが具体的に指摘されている。

 日本人では、自分の行動規範などを「宗教」ということであまり意識しないが、イスラム教徒、ユダヤ教などにとっては行動規範は「宗教」に規定されているといってもいいのである。つまり、「宗教」がなければどうしていいかわからないということになる。だから、日本人が「私は無宗教で」というと、そうした方々に悪くすれば、人格を疑われてしまいかねないことにもなる。

しかし、われわれの社会に規範がないわけではなく、場合によっては、彼らの宗教ないしは宗教法よりももっと厳しい規範があり、それゆえに、日本は世界で最も安全で秩序だっている国、近代化とともに犯罪が減少していくという不思議な国だということもいえるであろう。こういう状態を比較宗教学者のヴェルブロスキー教授は、「日本には見えざる宗教法がある」と分析している。・・・

問題はこの「見えざる」という点にあるであろう。これは無自覚といいなおしてもいい。われわれは誰もが原理とその原理に基づく規範をもっており、大部分の日本人はかっして無規範(アノミー)とはいえないが、それが何に 基づくかを自覚してないことは否定できない。これはたいへんにおもしろい 特徴だが、同時にこのことは、自己の原理の自覚的な選択的把握ではないから、その意味では個人主義でないといえる。いわば、彼らのいう「宗教」す なわち自己を支える原理を、彼らは、何々教徒もしくは何々主義者という形で自覚的に把握しているが、われわれはそうではないということである。このことは、その原理を個人の決断によって意識的に破棄し、個人の選択によって別の原理を意識的に把握することがないということを意味している。(P14-15)

 この指摘は非常に重要なことだと思う。つまり、日本人の多くは、自らそれと知らずに強力な規範=「法」をもっていてそれに、いってみれば「動かされている」のである。その規範が顕在的、自覚的であれば、それが崩壊していく危険は少ないが、最近の状況を見ていると、案の定、無自覚な法であるがゆえに、それを継承していくとうことが困難になってきているともいえる。「犯罪が減少していく」のは過去の夢で、いまや「犯罪」は増加している。そして、その増加は、おそらくは、「個」の獲得と比例しているようだ。潜在的にある強力な法は、「個人の選択によって別の原理を意識的に把握することがない」がゆえに、共同体原理の衰退とともに崩壊の危機にさらされているともいえるだろう。蟻塚が求心性を次第に失ってきているということである。

 では、日本人にとってどういう選択が許されているだろうか。ひとつは、「共同体原理」を再構築するという方向であり、もうひとつは、「個」の確立をサポートする規範を明示化するという方向である。

 おそらくその二つの方向は、相補いあう必要があるように思われる。「共同体原理」は、これまでのような「そういうものだ」ではいけないし、それは「個」の確立を内からも外からもサポートするものでなくてはならない。

 ユダヤ教、イスラム教は、強力な外的規範によって強力な共同体を束ねようとしたものだし、キリスト教は、そこから「個」が神にむかう「自由」を「愛」という原理の導入によって代替・発展させようとしたもののようだ。別な言い方をすると、「愛」は「個」と「個」を結びつけるものであり、また「神」への「個」としての契約の原理でもある。

 さて、そこで日本だが、日本には「個」の原理が希薄である。ということは、「愛」の原理が希薄であるということでもある。「愛」は「切り離された」「個」であるがゆえのものであり、「見えざる宗教法」に満たされたところでは必要とされないものである。しかし、今や、「見えざる宗教法」を見出せなくなってきている日本人。

 オシリスはティフォンに殺され、分断される。そしてオシリスの分断された肉体はイシスによって守られる。オシリスは死後イシスに光を降らせることで、イシスはみごもりホルスを生む。このホルスが、オシリス的存在を目指し、第二のオシリスとなろうとする。

 さて、日本にホルスは生まれるか。

 

 

超演技者たち


(95/01/25)

 

 山本七平「静かなる細き声」(PHP研究所)のなかに興味深いところがあったので、それを。

戦後のある日、塚本先生の雑誌の旧号を何気なく読んでいたとき、「偽善者」と訳されているヒュポクリテースという言葉が「俳優」の意味であるという記述にぶつかった。(中略)

私は、マタイ福音書の六章の「偽善者」というところを「演技者」と入れかえて、もう一度読んでみた。祈りをするとき、施しをするとき、断食をするとき、演技者たちがするようにするな−−これは一部のパリサイ人への批判であろう。もちろんその人たちは心から真剣に演技をしているのであろう。だが、たとえその真剣さに疑う余地がなくても、俳優は幕が下りれば次の瞬間に別の規範で行動する。その人がそれによって生きている本当の規範は、演技の場以外の日常性に表われるはずである。そして帝国陸軍の雲散霧消は、私には、長い長い真剣な演技の時代がやっと幕を下ろして、人々がその心底にある日常性の規範で動き出したその瞬間のように見えた。否、帝国陸軍だけでなく、全日本人がやはり、演技が終わった瞬間の、ほっとした俳優のように見えたのである。と同時に人々は、自らそれと自覚しないで、今までの言動が一つの演技であったことを告白しはじめた。「あのときの状況ではああ言わざるを得なかった」とか「ああせざるを得なかった」という言葉である。戦場はしばしば、指揮官の言動が人間の生命にかかわる場所である。だが戦後に収容所などで、その言動の責任を部下に問われた者の応答はほぼこれであり、さらに「それはお前たちにもわかっているだろう」で決着がついた。(中略)

当時「頭の切り替え」という言葉が盛んに使われた。この言葉は収容所でも使われたが、「あいつはまだ頭の切り替えができないんだ」と言った言葉は、まだ前の舞台が終わったことに気づかずに、その役割を演じているバカな男といった意味にも聞こえた。無責任体制などという言葉があるが、人が演技に責任をもつはずがない。(中略)

となるとわれわれは、超演技者=超偽善者で、あまりにそれがあたりまえになり、みなで演技し合うので全然それと気づかないのかもしれない。そして私は、日本を破滅させたものは、おそらくはこれであろうと思っている。(P140-144)

「演技者」。山本氏の視点から日本人を見てみると、確かに日本人は類稀なる演技者かもしれない。いや、「超演技者」というほうがふさわしいかもしれない。日本では「ホンネとタテマエ」とうことがいわれるが、日本では「タテマエ」がほとんどすべてを覆い尽くしている。いや、むしろ「ホンネのタテマエ」と「タテマエのホンネ」、そして「タテマエのタテマエ」があって、その三つを巧妙に、いや真剣に使い分けているように見える。

 むしろこういうほうがいいかもしれない。日本では「ホンネのホンネ」というのを誰も知らない、と。

 日本人がその「ホンネのホンネ」によって、「ホンネのタテマエ」を半ば無意識のうちに捨て去り、リニューアルした「ホンネのタテマエ」の仮面を付け直すのは、たとえば明治維新や第二次大戦のような外的な大変化の場合のようで、そういうときには、「ホンネのホンネ」が作動する。つまり、「あのときの状況ではああ言わざるを得なかった」とか「ああせざるを得なかった」ということで、それまで「ホンネ」とされていた「ホンネのタテマエ」を無造作に捨て去るのである。こういうところ、日本人は類稀なる役者である。

 もちろん、そういった「類稀なる役者」であるということは、非常な優れた特質であるというのは確かで、それを必ずしも否定的にとらえる必要はない。だが、肝心なのは「あまりにそれがあたりまえになり、みなで演技し合うので全然それと気づかない」という無自覚さにある。この無自覚さは、「個」の原理が希薄であるということでもある。自覚によって演技し合うのであれば、それは順境にも逆境にも強いということであり、ある種の理想である。しかし、それが無意識によってなされるということであれば、話は違ってくる。自分で自分の「ホンネのホンネ」がわかっていないほど危ないことはないからである。

 シュタイナー的にいえば、日本人は個としての自我の原理が希薄で、いってみれば「集合自我」によって動いているといってもいいのかもしれない。だから何か「事」があって、個としての責任問題に話が至ると、混乱しはじめる。

 日本語には「人間」「世間」という言葉があって、「世間様が許さない」ということが言われる。これは行動の規範が「間」、つまり「相互行為」としての共同体にあるということである。実際、その「間」ということは、非常に注目に値する観点ではあるが、それが「個」の原理を通過していない「間」である場合は、それはひとつ間違うと、その規模はさまざまであるが「ホンネのタテマエ」が猛威を振るうことにもなる。戦後の「進歩的文化人」とかいうマスコミ人や評論家などはその「ホンネのタテマエ」を権力化して、さまざまな無責任な言動を垂れ流した。そして、それを多くの方が自らの「ホンネのタテマエ」としてしまった。

 さて、超演技者としての日本人の「ホンネのホンネ」とはいったい何か。その謎は深い。山本七平氏の「日本学」は、その謎に迫る非常に深いアプローチだとあらためて感ずる次第である。


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