日本論1


東亜思想と大川周明

これからの武士道のための視座

森本哲朗:サムライ・マインド

「理想」の復権のための武士道を考える

神秘の日本

新体道は日本のオイリュトミーか

いまだ生を知らずいずくんぞ死を知らん。

シュタイナーの「いか超」と武士道

榎本武揚と理想

石屋とは

人類のイニシエーション

 

東亜思想と大川周明


(92/01/26 )

 

 「日本」ということを一度戦前にまで遡って考えてみる必要があると思って、「大東亜共栄圏」をはじめとした「汎亜細亜」の思想を中心に、少しずつしらべているのですが、なかなか興味深いので少し紹介してみることにします。

 キーとなる人物は、「北一輝」「大川周明」「田中智学」「石原莞爾」といった一筋縄ではいかないなかなか骨のある方々ですが、今回は大川周明にスポットを当ててみたいと思います。

 というのも、この大川周明。シュタイナーを日本語に紹介・翻訳した最初の人物でもあったということですし、ロシアの神秘哲学者のソロヴィヨフについても高く評価していたということで、つい最近「回教概論」という著作が中公文庫から出たところで、あの「コーラン」を最初に訳したのも大川周明だったようですから、なかなか興味深い人物であったことはそれだけでも一目瞭然ですよね。

 ちなみに、ここらへんのテーマを見直すきっかけになったのが、以前のアーガマ107号(1990年1月号)の「東亜思想と仏教」で、特に今回の大川周明の紹介については、この中の「鎌田東二:大川周明の宗教思想」をベースとすることにします。

 大川周明という人物は、これまで一般的には右翼思想家だとかファシズム運動家としてしか知られてなかったようですが、意外にも東西の神秘思想や宗教思想にも精通していたということです。そのことは、先述の「回教概論」からも推し量ることができるのですが、この大川周明は明治44年、東京帝国大学文科大学哲学科宗教学専攻課程を卒業して、そのときの卒業論文は「龍樹菩薩論」だったということで、そのへんからも彼の関心領域がかいまみえるように思います。

 彼が卒業した時代というのはなかなか興味深いものがあって、明治43年にはあの禅の鈴木大拙の翻訳でスウェーデンボルグの「天界と地獄」がでてますし、その他にもブラバツキーの「霊智学解説」などの神智学や心霊関連のものもいろいろ訳されはじめていたようです。

 先の卒業論文のテーマからも理解できることではありけれども、大川周明にとって、大学での勉強というのは、「真実の宗教」を探求することであったようです。面白いことに彼の宗教的自伝である「安楽の門」には、このような記述もあります。

 「私は[…]曹洞宗の家に生まれ、中学時代に大内青らん居士や加藤咄堂居士の仏教講演を聴いたけれど、私を宗教的に目覚めさせたのは仏教ではなくて基督教であった。」

 さらに、彼はインド哲学に傾倒したりもして、「バガバット・ギーター」の研究をし、「一身を印度哲学の研究に献げ、古の婆羅門のような生涯を送りたい」とまで思ったようです。で、この古代インド哲学の研究から、現代インド哲学の研究へ、そしてヨーロッパの植民地としてのアジアの研究へと方向転換していくことになりました。インドだけではなく、広大なアジア大陸が、ヨーロッパの植民地か半植民地になっていることを知った彼は、驚き悲しみ憤り、彼の後半生の極めて政治的な思想と実践へと向かうことになり、アジアの「内面的・個人生活と外面的社会生活との分離」という二元論的分立を調停する道を「妙法を現世に実現する大乗亜細亜」として提示することとなったわけで、真ん中に宗教論を、左腕にアジア論、右手に戦争論をという思想の骨格ができあがるわけです。つまり、感情=宗教論、思考=アジア論、意志=戦争論を不可分の統体として大川周明は活動を開始するわけです。

 さて、先述の「回教概論」というのは昭和17年に出版されたわけですが、大川周明はイスラムの研究者としても第1級であったということで、なぜ大川周明がイスラムをそこまで研究するようになったかということが問題になってきます。

 なぜ、イスラムか。大川周明にとって、思想の理想型というのは、宗教と政治との結合であって、その理想型を体現している宗教=政治体系としてのイスラム教が問題であったということらしのです。しかも、この宗教と政治との結合ということを日本の理想型としてもみていたということで、ここらへんに大川周明がイスラムに関心を持ちながら「日本精神」ということを説き続けてきたかが理解できてくるように思えます。鎌田東二のことばを借りると、「もっとも攻撃的な一神教たるイスラムと、もっとも受動的でしかも同時にもっとも攻撃的な多神教たる神道を核に含む『日本精神』とは、一見するに対極的でありながらも、そのじつ同類の共通構造をもっていると大川は看破したのである。」ということになります。ここらへんは、なかなか刺激的な視点ですね。考えさせられるところが多いように思えます。

 最後に、大川周明の「国際人」としての一面について述べておくことにしたいと思うのですが、大川周明はあのインドのタゴールやインド国民運動の指導者ララ・ラージパット・ライとも知友があったようで、またフランスの詩人であり哲学者でもあるポール・リシャールとも来日したときに出会い、終生の交友を結んだということです。

 大川はタゴールのアジア主義からかなりの影響を受けたようです。このタゴールのアジア主義というのは、再び鎌田東二の言を借りるとするならば、「タゴールは、ヨーロッパ列強に対するアジア連合を説き、日本がタイ、シナ、インドと提携することのいわば歴史的必然性を説く。その必然性とは、タイから日本までつづく『親近なる血縁』であり、インドから日本までをつらぬく『共通なる宗教・芸術・哲学』である。」ということで、このタゴールのアジア主義を受けて、大川周明は「全亜細亜主義(亜細亜に於ける欧州人の横暴を暴き、日本が全亜細亜を結合且指導すると云ふ主義)の宣伝及び実現に努むる事」を自分の仕事であるとまで言っています。

 ここらあたりの思想に関しては、もっと具体的に調べてみる必要があるでしょうが、今回は大川周明とはどういう思想的背景をもっていたかということの紹介が目的ですので、これくらいにしておくことにしますが、大川周明の包括的な思想的イメージを表している先述のポール・リシャールの文章(「大川周明全集」(全七巻)の刊行に寄せたもの)がありますので、ご紹介しておきます。

 「東と西とは補足するものとして対立する。この故にこそ両者は一にならなければならぬ。大川周明と余自身も亦補足的に対立するものであった。彼は東であり余は西である。さうしてそれこそ二人が出会った瞬間に一とならねばならなかった理由である。(中略)大川周明全集の中に於いて、我々の思想は融合している。さらにこれらを超え、諸々の事物と、来るべき世の時代に於て融合している。」

 おそらく今後「日本精神」ということを問直す動きが大きくなってくるように思えますが、これまであまりふれられることのなかったこの大川周明や北一輝などの思想についてもう一度批判的に問直す作業が必要になってくるのではないかと思います。単に感情論的な批判ではなく、思想の宇宙として積極的に問直すことが。

 大川周明がシュタイナーの日本での最初の紹介・翻訳者であったことは最初にふれましたが、シュタイナーがあの時代状況において単なる霊学ではなく、それに基礎づけられた社会論をさまざまに展開しようとして、ナチスと対立するようになっていたことを思い返すときに、「精神における自由」「法における平等」「経済における友愛」という社会3文節の考え方などを思いおこすにつけ、政治・経済や思想・宗教などの関わり方について、単なるお題目ではない、基本の基本というところから、「なぜ」という問いを発してみることが必要な気がします。

 

 

これからの武士道のための視座


(92/01/27)

 

 先日ちょっとだけシュタイナー教育の関係でふれたことがあるのですが、ドイツ語もまともにできないのにいきなりドイツにいって、シュタイナー幼稚園の手伝いを始めた女の子の話。汽車にのって隣り合わせたおばさんとの会話ですが、つたないドイツ語で世間話などをしていて、宗教の話題になったそうです。

 「何を信じてらっしゃるの?」という質問に対して、「特には、何も」という答をしたところ、途端に軽蔑されて話ができなくなった、ということらしいのです。もちろん、宗教的背景という非常に難しい問題で、「だったら何かを信仰すればいい」とは決して(断じて)思いませんが、そのとき、ちゃんと、「私はこういう信念を持って生きている。そして、わたしのこの信念は日本精神のこうした考え方を背景にしているのです。云々」と話すことができれば、おそらく相手も「軽蔑」ではなく、別の態度で接してくれたのではないでしょうか。

 もちろん、日本精神を無批判に受け入れるというのでは何の進歩もないことになりますが、自国の文化に、しっかりと意識的に対していくということの必要性というのを感じますね。

 「サムライ」ということで思いだしたのですが、森本哲朗さんの最近の著作に「サムライ・マインド」とかいうの、ありませんでした?おそらく武士道的な考え方のなかのプラスの側面について考え直してみようという試みがいろいろな方から同時多発的に、今起こってきているのでしょう。梅原猛さんの講演のなかにも確か、武士に関する発言があって、縄文的な伝統を受け継いだところが武士の中にはあるということを指摘していたように思います。もちろん、儒教などの影響で本来の縄文的なところは陰を潜めてしまったようにも思えますが、「森の文明」ということを背景にした極めて日本的な「道」の表現として、この「武士」「サムライ」というのは今後見直されていくのではないかと思います。

 そういえば、武士道と禅というのは、必ずといっていいほど親密な関係をもっているようですね。もちろん、禅の稟としたところがドラマ的に表現されるときには好都合だというのもあるのでしょうが、史実でみても特に室町幕府など、禅というのは必ず武士道ときっても切り放せない関係にあったようですね。戦国時代を描くときにでも、必ず禅というのは登場してきますよね。やはり、前後裁断するようなキゼンとしたところが、武士道の生死をかけたあり方と相通じるものがあるのでしょうね。この禅と武士道という問題については一度調べてみたいものです。

 それから、「武士道」と「儒教」という問題ですが、この「儒教」については、問題はもっと広げて考える必要があるように思えます。これは僕の私見に過ぎないのですが、儒教と神道(ここでいうのは「国家神道」のことです)というのは、かなり似通った側面があって、日本人の生活の中に儒教が深く影を落としているのも、その共通性のためではないかと思っています。僕も、井上靖の「孔子」以来、儒教には関心がでてきまして、ちょうどタイムリーに一年ちょっと前に、加地伸行著「儒教とは何か」(中公新書)というのがでましたので、それを読んだところ、葬式を含めて日本人の生活というのはそのほとんどが儒教的な色合いを深くもっていることに驚かされました。そして、神道というのは、縄文的なアニミズム的な古神道に儒教をプラスしてできあがったのではないか、とまで考えるようになりました。もちろん、これは僕の単なる推測に過ぎませんが。

 武士道を含めた日本精神ということを考える場合、やはり古くは縄文と弥生の問題、さらに古神道と神道の問題。それに、儒教や道教の問題、もちろん仏教の問題も含めた視野のもと、明治維新による精神的開国、そして戦後のさらなる精神的経済的政治的な変換など、さまざまな側面から見ていかなければ、日本精神ということはなかなか見えてこないように思えます。

 それから、前回紹介しました、大川周明などの汎亜細亜的視座ですが、そこらへんのこともちゃんと見ていったときに、はじめてあの戦争がいったい何だったかも理解できるような気がしています。

 

 

森本哲朗:サムライ・マインド


(92/01/28)

 

 森本哲郎さんの「サムライ・マインド/歴史をつくる精神の力とは」(PHP)を読んでますが、なかなか興味深い本です。森本さんの本は分かりやすくて示唆に富んでいるので、前々からしばしば読ませてもらっているのですが、今回の著作は、特に最近この会議室でテーマになっている「日本精神」ということをそのままテーマにしているので、ぜひおすすめしたいと思います。

 この著作の目次を紹介すれば、おそらくだいたいの内容は推し量れると思いますので、以下、目次の中の見出し部分のみを紹介しておきたいと思います。

●侍ニッポン/「新納鶴千代よ何処へいく----?」

●「ドン・キホーテ」と「葉隠」/騎士道と武士道

●「必死」の美学/「葉隠」の真髄

●「士太夫(したいふ)」のエートス/宋の繁栄を支えたもの

●池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢/朱子の教育論

●武士の情け/山鹿素行にみる「武」と「文」

●衣食足りて礼節を知らず/太宰春台の警鐘

●不易流行/漱石が嘆いた日本

●微味幽玄/大原幽学の漂泊、そして悟り

●「士」は「師」なり/貝原益軒、懐疑からの出発

●「修身」と「治国」/宮本武蔵が到達した「空」

●活人剣/沢庵の「止まらぬ心」

●この乾しけつ/求道者としての鈴木正三

●平気で生きる/「死習フ」正岡子規

●本来無一物/人を活かす山岡鉄舟

●日本の自覚/稲造の「BUSHIDO」

●痩我慢/福沢諭吉の「独立自尊」

●天道/「天を相手」とする西郷隆盛

●菊と刀/今こそ、エートスとしてのサムライ・マインドを

 上記の内容について、その多くが意外で有益な視点に富んでいるように思えます。かなり初耳といったことも多かったので、非常に読んでよかったなあ、というのが単純な感想です。

 もちろん「日本精神」ということを無批判に回顧することは無意味であり、無意味であるだけではなく、かなり危険な要素も多くあることでしょうが、それでもこの「サムライ・マインド」という豊かな遺産をむざむざ過去の歴史のなかに置き去りにしてしまうことは、どうしても惜しいと思いますし、おそらくこうしたテーマを再考しなければ、失われようとしている「精神」を批判的に再構築することは難しいのではないかと思います。

 この「サムライ・マインド」と、シュタイナーの自由の哲学をベースにした「道徳的ファンタジー(倫理的想像力)」は日本人がこれから構築していかなければならない「新しい精神」の基本となるような気がします。認識的なベクトルや基盤は違え、この両者というのはかなり相互補完的なのではないでしょうか。

 この本のなかでもふれられている日本的なマイナスの側面である「モラルとルールの混同」といった日本人の道徳観念の都合主義を塗りかえるための西洋的な「個」に立脚した「道徳的ファンタジー」ということ。それはつまり、「面」の有効性を背景にし、しかもその「面」の形成にあたってあくまでも自覚的な「点」ということをベースにしていくことであり、逆にいえば、自覚的な「点」を活かすために、その背景である「面」の生産的な部分を尊重することでもあるでしょう。そうしてはじめて、江戸期を経、明治維新を迎え、戦後の経済的繁栄にもかかわらず精神的危機ということに立ち至っている現状を打開し、新時代を開いていくことができるのではないか、なんて考えたりするのですが、どうでしょうか。

 

 

「理想」の復権のための武士道を考える


(92/01/31)

 

 武士道というのは日本精神のキーワードなのかもしれないですね。武士道っていうと、ちょっと気になるのが西洋での騎士道なんですが、先日紹介した森本哲郎さんのサムライマインドによれば、その両者というのは、前者が日本文化をつくりあげる精神の力となり、後者がヨーロッパ中世の文化を支えたエートス(倫理的な力)であったように、びっくりするくらいよく似ているところがあるようです。しかし、やはり違いというのは歴然としてあって、騎士道の背後にはキリスト教の大儀があり、武士道の陰には仏教の諦観が秘められていて、それが両者の根本的なスタンスの違いとして現れているようです。

 ちょっと面白いのは両者の女性観で、騎士というのは、常に理想の高貴な女性を女神のようにまつりあげているのにくらべ、武士道では表向きは女性は道のさまたげとしか思われていないようですね。「表向き」というのは、「葉隠」にも武士の恋いについては言及されているようで、「忍ぶ恋」というように、心に深く秘めた想いというのを武士の「長高(けだか)き」恋というように位置づけているようですね。結局、女性を理想化するという意味では似ているともいえますが。

 先日、友人とこの女性の理想化について話してたのですが、その友人曰く、やっぱり男たるもの、若いときには「あこがれの君」がいて、その女の子というのをできるだけ理想化するのに限る。というのも、その理想化能力というのは、その後の人生でのあらゆる方向での「理想化」につながってくるから。ということだそうで、本当か嘘かはわかりませんが、ある種の武士道的禁欲と理想化というのはどっかでつながっているような気はしますね。

 その「理想化」ということが武士道にとっては非常に大切なことのようで、仏教的な諦観を背景にして、汚れたこの世の現実に死の美学=理想でもって立ち向かう情熱的な行動の美学こそがその精神の柱となっていたようです。ちなみに、武士の美学というのは身だしなみにもわたるもので、いつも風采にも気を使っていなければならなくて、顔色の悪いときなどのために「頬紅」をいつも懐中に、という勧めまで「葉隠」の中には記されています。

 それはともかくとして、「理想」ということを忘れがちな現代の風潮に対してこの「武士道」というのは、一石を投じてくれるテーマかもしれませんね。

 

 

神秘の日本


(92/02/11)

 

 ワンダーライフが廃刊になってしまいました。創刊号以来、ムーの無難主義&パワー低下を補うように、かなりパワフルで危ないな話題を提供してくれていただけに、残念です。以前は樋口純明さんというシュタイナー研究家によるシュタイナーのまともな連載記事だってありましたし。

 で、最終号の特集は、これはすごいの一言。「巻頭80ページ総力超特集」ということで、編集部が最後の力をふりしぼったことがありありです。その特集とは、「神秘の日本」。最近この会議室を賑わしている日本論の骨子が日本(超)古代史や秘教、フリーメーソン、武士道、学校教育などなどのテーマをさまざまに絡めながら、全体として神秘学的な背景のもとに浮き彫りにしてくれている、といえばいいのでしょうか。もちろん、シュタイナーだって随所に登場したりするし。この特集だけのために買っても480円は安いのではないでしょうか。危ないおじさん、小島露観の記事や対談記録ものってたり、ワンダーライフの顔になってた高橋克彦の「世紀末激白」だってあるし、おもわせぶりな、あすかあおきおのメッセージだってあって、これは豪華!

 本当にこの特集は、僕が「神秘学遊戯団」への改名記念に武士道をはじめとした日本精神に関するテーマと秘教的な系譜、それに超古代史などをいっしょくたにしてやってみようか、と思ってた内容と驚くほど似通っていたので、びっくりしてしまいました。おそらく、現代日本にいる「見る前に跳ぶ」ことを試みようとしている人間が予想以上に多いということなんでしょう。この「日本精神」を発展的に考えていこうとする動きというのは、経済・文化・政治などの関係でも、確かに同時多発的に起こってきていますが決して戦前のあの状況への回帰ではなく、意識的な歴史創造の実験でもあると思います。そのためにも、このテーマにレッテルを貼ってごまかそうというのは精神の怠惰以外の何物でもなく、やはりこのテーマから目をそむけることなく、できるだけ多くの現実的な視点を確保していく、というのが大切でしょうね。

 日本精神を神秘学的に語るときに、この「神秘の日本」は今後ベースにしていきたいとさえ、考えていますので、今回は、この特集記事のメニューを紹介させてもらうことにします。このメニューを見ただけでも、これがなかなかのものであることはご理解いただけると思います。

■序章■

★世紀末と日本★

 ●「ウシトラの金神」による立て直し

 ●最終予言が世紀末大変革と日本を語る。

■第一章■

★日本古代史の謎★

 ●北九州王朝と邪馬台国論争

 ●スサノオと出雲王朝の謎

 ●古代東北は日本の中心だった

★日ユ同祖論の正体★

 ●天孫降臨とはユダヤ人!?

 ●流浪と迫害のユダヤ民族の歴史

 ●消えた十支族の末裔を名乗る民

 ●日本中になるユダヤの残像

 ●日ユ同祖論の呪縛が解かれる時

★酒井勝軍と日本ピラミッド★

★異端古文献が語る謎の超古代★

 ●異端古文献が私たちに語るものは何か

 ●異端史書の代表・竹内文献とは

 ●超古代の思想を伝える東日流外三郡誌

 ●超古代科学書が自然との共生を語る

■第二章■

★狙われる日本・フリーメーソンの日本侵略計画★

 ●幕末〜明治維新のチャンスにメーソン日本侵略作戦は失敗した

 ●フリーメーソンと対決した男たちが存在した

 ●太平洋戦争から現在までメーソンは活動を続けている

★古代から日本を目指す人々がいた★

★「秘教」とは何か

 ●「秘教」が意味するもの

 ●叡智はなぜ隠されたのか

 ●神々は、なぜ「秘教」を与えたのか?

■第三章■

★日本・日本人★

 ●民主主義とは、理想国家の代替物にしかすぎない!

 ●日本人が変わっているのではない。非日本人こそが変わっているのだ!

 ●太陽を崇め、東西の軸を基準とする日本人

 ●日本人独自の『武士道』とは何か

 ●生命を賭けて、自分の信念を守る男たち

★学校教育の『平等』が学校を荒廃させた★

■第四章■

★甦るムー大陸★

★アカシック・レコードが語るムーの実状★

★今世紀末にムー大陸が浮上する★

★血は水より濃いか・・・血統と霊統の向こう側★

■第五章■

★浮上する神国日本★

 ●志士はいかにして日本と出合しか

 ●武士道とは『日本人』への道である

 ●日本は世界のひな型だった

 ●『神国日本』ついに浮上す

 ●日本の使命とは何か

 今回はとりあえずメニューだけですが、石屋の日本洗脳計画などの問題と、日本精神としての武士道のテーマを中心にこの特集内容を紹介しながら、いろいろ展開させていきたいと思っています。

 

 

新体道は日本のオイリュトミーか


(92/02/14)

 

 「武士道」ということをいろいろ考えていて、それを含んだ「道」ということに思い至りました。日本には「武道」というのがありますよね。そして、最近それに変わるというか無理に変えさせられようとしているようにも見える「スポーツ」というのがあります。僕も詳しいことはわからないのですが、日本にはたぶん「スポーツ」という概念はなかったような気がするのです。この「武道」と「スポーツ」、似ているようで、その根本的な発想がまったく違っているのではないでしょうか。

 これについては、以前からばくぜんと考えてはいたのですが、シュタイナーの「教育の基礎としての一般人間学」というのを読んでいて、はたと気づいたことがありました。

 引用です。

 「現代の人間が体操をすら、次第に意味のない、すなわち単に肉体に従属する活動にしてしまったのは、物質万能時代に付随する現象でありました。今日の人間がさらにこれを競技スポーツという形にまで押し進めようとしているのは、意味のない動きや肉体の側からのみ得られた無意味な運動に、私たちの身をゆだねさせるばかりでなく、その上にさらに、不条理、反道理を加えることを意味し、物質的な志向をするにとどまらず動物的な感じ方をする存在にまで人間を引き下そうという企てに呼応しているのであります。」(人智学出版社刊)

 シュタイナーは、肉体的な運動というのをもっと有意味的なものにするために、スポーツとは根本的な発想がまったく違うオイリュトミーというのを創りだしました。考えてみれば、これは「武道」の発想とかなり似ているのではないか、と思えます。ちなみに、シュタイナーは、肉体的な側面だけではなく、精神的なことにも、こうしたことを言及しています。

 引用です。

 「意味ある外的行為と無意味な外的行為との間に相違があるのと同様に、機械的に進行しているに過ぎない内的な思索・観照作業と、絶えず感情作用を伴った内的な思索・観照作業との間にも相違があるのです。」(同上)

 要するに、現代の単なる詰め込み教育のもつ危険性ということなのです。このことから考えると、詰め込み教育にスポーツという組合せの馬鹿馬鹿しさに気づかずにはいられないはずです。

 例の黒澤の「姿三四郎」を思いだしてしまうのですが、やはり「武道」というのは、決してスポーツのような、悪くすれば動物的になってしまうようなベクトルとしてのものではなく、もっと「精神」の「道」としての「行」ではないかと思うんです。姿三四郎でも、ボクシングのシーンがでてきますが、あのボクシングと柔道を比べてみたときに、その精神の違いは明かです。もちろん、あの映画でも、「柔術」として描かれていたのは、「道」ではなく、かなり動物的なベクトルをもった退行的なものでしたが。

 そこで思い出されるのが、あのポールソロモンの予言の「青木先生」かどうかはわかりませんが、青木宏之さんの「新体道」ですよね。宇宙的真理と一体となることを目指したこの「新体道」ですが、これはまさに、シュタイナーのオイリュトミーの考え方と同じではないでしょうか。この新体道の基本理念は「武道・宗教・芸術」の統合ということですから。

 こうした考え方を検討していくにつれ、「スポーツ」というコンセプトがどっちを向いていているかは明かです。「3S+S」の4Sといわれるあの危険な戦略のことを考えるにつけ「道」という考え方をすべてに浸透させていくことは急務のように思えます。

 この「新体道」については、青木宏之さんの「からだは宇宙のメッセージ」(地湧社)という著書がありますので、今度これについてご紹介させていただきたいと思います。武道ということから暴力的に作用する危険性を外し、宇宙的なコンセプトを加えているということですから、まさにこれからの武道なのかもしれませんから。

 

 

いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。


(92/02/15 17:32)

 

 「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。」という孔子の言葉があります。「武士道は死ぬこととみつけたり」といわれますが、まず、「死」を見つめて生きるということは、いかによく「生」を生ききるかということに尽きるように思います。「何かのために死ねる」生き方というのは、やはり、「何かのために生きられる」生き方があってはじめて成り立つように思えます。「何かのために」というのは、「理想」のことであり、その「理想」が「理想」であるための基本要因は、仏教的な言葉でいうとするならば、「利自即利他」ということになるでしょうか。単なる「利自」というのは、エゴのことでしかありませんし、単なる「利他」というのも、「犬死」という傾向性が強いように思えます。

 ちょっと視点は違いますが、「グローバルに考えて、ローカルに行動」というニューエイジ風のテーゼも大いなる理想の追求と、自分の身の回りの問題への真摯な取り組みの両方をちゃんと満たした行動をとるべきであるという、基本的な指針なのでしょう。だから、あえて「死」を選ぶというのは、大いなる理想のために、「他」を生かす行為であり、それがそのまま自分の問題の解決でも自分を生かすことでもある、ということのはずです。

 また、同じ孔子の言葉に、

「之ヲ知ル者ハ之ヲ好ム者ニ如カズ。之ヲ好ム者は之ヲ楽シム者ニ如シカズ。」

 というのもあります。

 武士道にしても、「大義」を知るだけではまだまだ不十分で、その「大義」を好み、さらに楽しむくらいにならないと、本当は、その「大義」というのは、その個人にとって偽物なのかもしれませんね。

 「大義」を生きるということは、そのことそのままが「利自即利他」でなければ、何か息苦しいような封建的なイメージがついてまわるような気がします。

 過去の歴史の中では、武士道と禅とが密接な関わりを見せてきましたが、「禅」というのは、「死」をじっとみすえることからしか始まらないように思うし、そうしてはじめて、「生」ということが、改めて見えてきたんじゃないか。だからこそ、極論をいってしまえば、「大義を楽しむ」とでもいうような、しかも、前後を裁断したような「充実の生」を生きようとしたのではないか、そんなことを考えたりもしています。もちろん、それは「洗脳」とかいうこととは程遠いものですが、誤解しようとすれば、これほど誤解されやすいものもないようで、たとえば、あのアーサー・ケストラーが来日したときのように、「禅」をインチキだとこきおろしてしまうのは、簡単なことなんですよね。

 さらに、輪廻転生やカルマの問題も含め、ここらへんの「死」と「生」というテーマを考えていきたいものですが、シュタイナー(ほら、でた!)の人智学というのは、こうした問題をミクロからマクロまでの視点で考え直すのに非常に貴重なパースペクティブを提供してくれていると思います。

 要するに、「よく生きる」というのはどういうことか、を理解するために私たち人間はこうして生きているんだと思います。これを考えないで生きるというのは、本当は一番悲しい生き方のように思うのですが。どうでしょうか。

 ちょっとだけ論語を読む機会があったので、それに絡めて「生と死」の問題を考えてみました。

 

 

シュタイナーの「いか超」と武士道


( 92/02/15)

 

 「修行」というと、日常生活から隔絶したところで、いきなり跳んだりはねたりしてみたり、苦行のようなことをしてみたり、はたまたなにやら難しげな呪文を唱えてみたりetcというようにイメージされる向きもあるようですが、もちろん内的平静のための時間や場所は必要でしょうが、「修行」というのはやはり、日常生活のプロセスすべてを、真剣に探求していこうとする中にあるものと思います。あらゆる行為や思索、感情作用など、一切、無意味なことはないはず、すべての営為ががあらゆる人にとって修行である、というのが僕の人生観ではあります。

 ・・・なんて、恐ろしいことをいってしまいましたが、自分でこうしたことを言ってみると、なかなか苦しいものがありますね(^^;)。こうして考えている理想と現実とのギャップは如何ともしがたいものが・・・。

 ともあれ、こうした修行の観点というのは、極めてシュタイナー的な発想でもありますので、「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」から、「神秘行」の基本的な考え方について、ちょっとばかしご紹介をば。

 まず、大前提です。神秘学徒(シュタイナーによる修行を実践しようとする方をこう呼びます)が修行にあたって、心に銘記されてなければならいない根本命題は、以下の言葉に要約されるとのこと。(以下、引用等は、「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」(高橋巌訳、イザラ書房)

 「あなたの求めるどんな認識内容も、あなたの知的財産を蓄積するためのものなら、それはあなたを進むべき道からそらせる。しかしあなたの求める認識内容が人格を高貴にし世界を進化させるためのものなら、それは成熟への途上であなたを一歩前進させる。」

 「如何なる理念も理想たりえぬ限りは魂の力を殺す。しかし如何なる理念も理想たりうる限りはすべてあなたの中に生命力を生み出す。」

 この2つの点は強調し過ぎてもし過ぎることはないくらい重要な観点です。まず最初の点は、簡単にいうと、エゴから修行をするな、ということ。自分の利だけのために修行を行うと、極めて危険だからおよしなさい!ということですね。「悪霊」の影響だとかいいますが、問題点は「エゴ」を放せないことにその最大の問題点があるようです。反対にいえば、エゴを解決すれば、悪霊問題は解決に向けて一歩踏み出すということ。また、後者の点は、前者の内容の敷衍というか要約でもあるわけですが、武士道の話しでも「理想」というのはでてきましたが、「理想」のないやつは、修行なんかするな!ということ。行為を意味あるものにする必要十分条件が、理想である、ということでしょうか。

 神秘修行の心構えは以上ですが、今回は、さらに神秘修行の条件について簡単にご紹介を。この条件というのは、以下の7つです。

(1)肉体と精神の健康に留意すること。

(2)自分を全体生命の一部分と感じること。

(3)自分の思考と感情が世界に対して自分の行為と同じ意味を持つ、という立場にたてなければならない。

(4)人間の本質が概観にではなく、内部に存するという観点を獲得すること。

(5)いったん決心した事柄は忠実にこれを実行する。

(6)自分に向かってくるすべての事柄に対する感謝の気持ちを養うこと。

(7)人生をこれらの諸条件にふさわしく形成すること。

 要するに、上のことを言い替えるとすれば、

●知行合一の精神を大切に

●反省・自助努力の姿勢・感謝・謙虚ということを肝に命じよ

●生命(精神を含む)潮流を自覚せよ

●精神としての人間理解の必要性を認識せよ、ただし肉体もおろそかにしてはならない。

 というくらいの意味になるでしょうか。

 本当は、この本をじっくりいっしょに考えながら読んでいきたいところですが、そんなことをするとくどくなりますので、さわりだけのご紹介になりました。これを見ていただいたらわかると思うのですが、基本的に「武士道」の精神と変わりありません。違うのは、もっと人間論的、宇宙論的な観点がプラスしてくることでしょうか。

 やはり、「精神」の正しい探求は洋の東西を問わず変わらないものがあるなあ、と感慨を深めているのでした。

 

 

榎本武揚と理想


(92/02/17)

 

 昨夜の「知ってるつもり」の特集は、「榎本武揚」でしたが、この榎本武揚は、高校生のころ、安部公房の著作で知って以来、ずっと気にかかっている存在で、非常に尊敬している人物でしたので、今回の特集はなかなかうれしく思いました。それに、テレビで写真がでると、パートナーは、僕に似てる!とか言ってたのでなかなか気をよくしていたわけでもあります(^^)。

 しかし、西郷隆盛や坂本龍馬、勝海舟などとくらべて、この榎本武揚、知名度が高くなくて、昨夜の番組のゲストのほとんどが「初耳」ということでした。あれほどの人物がなぜ「初耳」なのか、本当に不思議なのですが、やはり、「逆臣」という汚名を着たまま、「生き恥」を晒したかのような生き方が「散華」ということを好む日本人の信条には受け入れ難かったのかもしれません。「散華」といえば、高橋和巳にそんな小説がありましたね。「北一輝論」もありましたが。

 さてさて、この榎本は、西郷や坂本、勝といった人物と同じか、ある意味ではそれ以上の「武士道」を体現していた人物のように僕には思われます。その人生の前半部が西郷隆盛的、後半部が勝海舟的といえばいえますが。

 で、この榎本武揚ということで、何がいいたいかというと、やはり、「理想」とは何かということなんです。昨夜の番組でも繰り返して言われてましたが、この榎本武揚、本当に「大義」のために生き続けた方で、利己心や名誉心などない。もし、「名」を残したければ、つまりかっこよく生きたければ、軍艦を率いて蝦夷(北海道)に渡り、五稜郭にたてこもったま独立国の総裁としては華々しく散った方が、ドラマチックで日本人の多くは、あっぱれなやっちゃ!と賛美し、さまざまに語り継いだはずです。おそらく、榎本自身も、その方が潔くてかっこいい、くらいは考えてたはずです。

 しかし、考えてみれば、つまり自己の名誉を超え、日本全体の「大義」を考えた場合、やはり、その選択は、自分本意のものであってはならなかった。あくまでも、自分が最後までその頭として守った徳川の家臣達のこと日本の行方のことそんな「大義」を考えたときに、自分勝手な「死」は許されなかったと思えます。「武士道」というのが、「死ぬこと」=「良く生きること」というのが、ここに非常にラディカルな形で先鋭化してきます。

 「禅」をみて、詭弁だ、インチキだ、差別的だ、というレッテルを安易に貼ってしまう愚と同じように、武士道をはじめとする日本精神をみて同じレッテルをはってしまう愚も避けたいという気持ちがひとしおです。日本精神を形にした場合、ピラミッド的な階層構造が現前としてあるのは事実ですが、そのピラミッドの上で采配をふるう指導者の「道」「大義」の基本は、「無私」ということにあるような気がします。要は、立場が上がるほど、責任の範囲が肥大してきて、「無私」にならざるをえないということ。もちろん、現実は、立場が上がるほど、エゴが強くなっていくの危険性のために「民主主義」というのが発明されたのですから、どちらがベターかは判断しかねますが、あの明治維新のときに現れた「武士道」を体現した方々の例も決して忘れてはいけないのじゃないか、そしてその中で、榎本武揚のような生き方も忘れてはいけないのじゃかいか、そんな気持ちになったのでした。

 

 

石屋とは


(92/02/18)

 

 「フリーメーソンです」ということに尽きますが、それだけでは分脈が理解しがたいでしょうから、一応ご説明させていただきます。

 でも、このフリーメーソンについての説明というのはかなり誤解を生みやすいですし、単に水戸黄門にでてくる悪代官のような「悪」のイメージでとられると一方的な視点になって、危険ではありますので、ぜひ書店にはわりとそれをテーマの書籍があるはずですので、かならず1冊ではなく、ちょっと視点の異なったものを複数ご参照いただけたほうが、いいのではないかと思います。

 で、今回は、先日ご紹介した「ワンダーライフ」の特集「神秘の日本」からそこらへんの視点をまとめた章がありますので、ご紹介させていただきたいと思います。しかし、くれぐれも、以下の記述をそのまま鵜呑みにすることなくちゃんとした事実認識を得、それに対してどう自分は考えるのかを明確にすること。それが一番大事だと思います。(以下、上記のP33〜37の抜粋による。)

フランス革命がフリーメーソンによる革命だったことはご存知だろうか。この革命を期に世にでてきた「自由・平等・博愛」とはほんらいはメーソンのオカルティックな秘儀だったのだ。メーソン員は現在でも、自分たち誇りとして、フランス革命を語っている。アメリカの独立戦争もメーソンの業績で、初代大統領ワシントンの就任式には、在来メーソン員全員がメーソンの正装で列席している。

以来メーソンは、ほとんど世界中を手にいれてきている。ロシア革命もメーソンの手によるものだし、ソ連の解体もメーソンが目論だものだ。

フリーメーソンは、世界のすべてを自分たちの思い通りに動かそうと考えている。

国家とか民族とか主義のために働く人の存在は、彼らにとっては邪魔なものだ。こういった国家、民族は徹底的に内部から混乱させ、疲弊させる。彼らにとっていちばんいいのは、国土だけ残して国民がいなくなることだが、そうもいかない。そこで国体の弱化を謀る。物質文明が栄え、国民が個人の欲望に走ることは歓迎するが、国家国民がまとまることを否定する。イランのパーレビ国王がメーソン員で、ホメイニ師もメーソン員だったことを知ると、フリーメーソンが少し見えてくるだろう。

近代的フリーメーソンは1717年にイギリスで誕生した。その後続々と世界各国にメーソンが誕生していったが、イギリスでは貴族階級を中心とした結社として、国力膨張・他民族操作の方針がとられていった。(中略)イギリスに遅れること数年〜十数年で、フランス、スペイン、オランダ、ポルトガルにもメーソンが誕生している。これらは争ってアジアに侵略してきた。

メーソンのアジア侵略で、一番わかりやすい例が、イギリスのインド支配だろう。

*以下、イギリスのインド支配、幕末の日本への戦略及び明治維新時のメーソンの失敗についての記述が続きます。

明治新政府は、長い鎖国の期間に日本が「文明的に」立ち後れてしまったことを痛感し近代化の使命に燃え、欧米の科学技術、学問、思想をどんどん取り入れていった。それこそじつはフリーメーソンの罠であったのだ。当時の日本の指導者たち、とくに学会や知識人、文化人といわれる人たちの間に、フリーメーソンの教義が浸透していった。もちろんそこには、メーソン側からの見えざる手が働いていたのである。とくに、政財界のトップに立っていた西園寺公望などは、こうしたフリーメーソンの攻勢にまったく無知で、ひたすら親米、親英の態度をとりつづけた。

しかし、日本の指導者たち全員が、このメーソンの動きに気づかなかったわけではない。時がたつにつれ、フリーメーソンの陰謀を恐怖しだす人々も現れてくる。(中略)大正末期から昭和初頭にかけて、フリーメーソンの陰謀に気づいた人物たちは何人かいた。しかし彼らは、それぞれの分野で孤立しており、対抗する勢力を持たないでいた。それぞれは独自の活動を通して、メーソンの秘教的知識から日本を守ろうとしてきた。そうした人物の中に、宗教家の出口王仁三郎、軍人の石原莞爾、思想家の北一輝などがいた。だが残念ながら、彼らはそれぞれの分野でフリーメーソンの包囲網にあい、壊滅してしまったのである。

*出口王仁三郎には、「石屋」のことが多くでてきます。

*第二次世界対戦で、東篠秀機がメーソンの罠にはまって、太平洋戦争が起こり、日本が破れるまでの経緯が書かれています。興味があればご自分で。

日本は破れた。次の計画は日本のフリーメーソン化であり、それはアメリカに一任された。フリーメーソン最高位のマッカーサーは、戦前からの筋金入りメーソン員しで原喜重郎を首相に任命し、現在までに至る戦後日本の体制を、このしで原内閣に決定させたのである。

フリーメーソンの計画は、ゆっくりと確実に現在も進行している。彼らは「日本の秘儀」の存在を破壊するために、あらゆる手を打ち続けている。その第一目標は「自由・平等・博愛思想」の固定である。そのために欧米型の教育制度を導入し、食習慣までもを変えさせてきた。

 最初にも言ったように、上記の記述が無批判に受けいれられすぎると今度は反対の危険性が待ちかまえていますが、最低の事実関係をご自分で検証していかれ、それに基づいた考え方を自分なりにもっていることがなによりも大切なことのように思えます。

 

 

人類のイニシエーション


(92/02/28)

 

 「シュタイナーの自由の哲学と武士道」ということで「武士道とは死ぬことと見つけたり」の神秘学的見地を「自由」との関連で考えてみましたが、「日月神示」の話題がでましたので、「ミロクの世グレンと・・・」の意味するところを、「死して成れ」ということから神秘学的に考えてみたいと思います。

 そもそも神秘学的な考え方の基盤には、「死」というイニシエーションを経て

高次の世界へと上昇していくという考え方がありますが、この考え方は、ギリシャ哲学ではかなりポピュラーな考え方で、たとえば、プラトンというのは、イデアリズムといわれるように、真実在の「善のイデア」の世界へと至るための神秘哲学を展開したわけで、霊魂というのは、究極の「美」にむかって段階的に上昇いくとするわけです。

 で、その上昇する段階ごとに、「死して成れ」としての「死」を体験することによって霊魂は自己浄化され、次々に古い自己が死に、新しい自己へと生まれ変わるという死と生の階梯を経ながら高次の実在へと近づく。いってみればイニシエーションを体験することになるわけです。ほんとうに、「死して成れ」ということなんです。

 また、プラトンは密儀宗教に特有の霊肉二元論をとっていて、肉体(SOMA)は墳墓(SEMA)というふうに考えていたようです。つまり、魂と肉体の結合というのは、肉体にとっては生ではあるが、魂にとっては死であるというふうに考えていました。

 さらに、オルフェウス密儀教団やピュタゴラス密儀教団の秘教的な考え方からすると、魂が肉体に宿るのは生前に犯した罪のためであって、罪が贖われるまで、魂は肉体という牢獄に幽閉されている、というのです。なんか、ピンとくるものがあるでしょう!?そうです、グノーシス的な地上世界観と類似しているんですね。

 これは僕の勝手な考え方かもしれませんが、あえて独断と偏見でいうと、グノーシス主義というのは、プラトンを代表とするギリシャの神秘哲学との関連で考えていったほうが理解しやすいのではないかと思います。で、マニ教というのは、そのグノーシス主義というのを役割としての「悪」と「善」とによるダイナミックな進化衝動として発展的にとらえ直そうとしたのではないかと思うんです。単にこの世を「牢獄」としてとらえるのではなく、ね。

 プラトンのイデアリズムという考え方には、「善なるイデア」という究極の実在というのがあって、その実在への道というのを説いていたのではないかと思うのですが、それでは宇宙観というのがかなりスタティックになってしまいかねないんです。もちろん、イデアへと至るためのエロースの道などに見られるようなプロセスはそなりにダイナミックなものであることは確かなんですけど。

 マニ教やシュタイナーの興味深いのは、「死して成る」ということを個人のイニシエーションとしてとらえるだけではなく、それをベースとした「この世」全体としてのイニシエーションとしてもダイナミックに考えようとしたところにある、といえると思います。すなわち、「この世」自体が、

 「今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民として甦らす仕組、心得なされよ、神様でさえ、このことわからん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ」(日月神示)

 というように「死して」、そして

 「世が変わりたら天地光り、人も光り、草も光り、石も物心に歌うぞ、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと雨の神、風の神申して居られるぞ。今の世では風雨を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりているのがわからんか盲つんぼの世の中ぞ。神のいる場所塞いで居りてお蔭ないと不足申すが、わからんと申しても余りであるぞ。」(日月神示) 

「成る」のではないのでしょうか。

 つまり、今回の「死して成れ」というのは、これまでのような準備のできた人間だけのための個々人の「死して成れ」ではなくて人類全体のレベルで「死して成れ」ということであって、それが人類全体のイニシエーションとして行われるのではないでしょうか。まさに、それが「キリスト衝動」の結果であって、まさに人類全体が「死んで」そして「再生」することになるわけです。

 「再生」できない個人存在というのももちろんでてくるかもしれませんが。まさに、これが神智学でも解説されているような最後の審判で、今回の進化のジャンプにのっかっていく人類とそれに取り残される人類とがはっきりと分けられていくことになる、ということでもあるのかもしれません。

 だからこそ、「身魂みがけたら、どんな所でどんなことしていても心配ないぞ」であって、その反対に、「身魂」がみがけてない場合には、「心配」しなければならなくなる事態になるのでしょう。

 さて、先ほどの神秘主義的イニシエーションに関しては、井筒俊彦「神秘哲学・第二部/神秘主義のギリシャ哲学的展開」(人文書院)やシュタイナーの「神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀」(人智学出版社)をご参照いただければ、理解が深まるように思いますし、特に後者のシュタイナーものを参照しながら、「日月神示」を読まれると、先ほど引用したような、

 「今の世では風雨を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりているのがわからんか盲つんぼの世の中ぞ。神のいる場所塞いで居りてお蔭ないと不足申すが、わからんと申しても余りであるぞ。」

 というのが「なぜ」であるか、またそのための「四大霊」の解放というのはどういうことなのかがなんとなくわかったような気にはさせてくれます。この「四大霊の解放」の意味するところについては、以前にも少しだけふれたことがありますが、詳しくはもうちょっと僕の理解が進んでから改めて述べてみたいと思っています。

 日本精神も石屋も、そうした人類のイニシエーションの中でどんな役割を果たそうとしているのかを、シュタイナーをガイドにしながらしっかり「見て」いく必要がありそうです。


 

 ■「日本論1」トップに戻る

 ■「神秘学・宇宙論・芸術」メニューに戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る