エソテリック心理学ノート

1 【二種類の進化】 (2007.8.16)

   二種類の進化がある。一つは、人類全体が自分の側のいかなる真の思考も
  理解もなしに加わる、集合的進化である。もう一つは、人間が意識的に携わ
  る進化である。なぜなら、それによってのみ、彼は神授の権利ーーすなわち、
  偉大な宇宙的創造計画Cosmic Plan of Creationのなかの一人の人間存在とし
  ての生得の権利ーーによって彼のものである内在的な力を開発することがで
  きるからである。
   後者の、より根源的な種類の進化は本質的に個人的である。人類は一般に
  その存在について知らず、そしてその実現を不可能にする諸々の目的を追求
  している間は、それについてまったく気がつかずにいなければならない。が、
  エソテリシズム=秘教は、人間の歴史を通じて、寺院やモスクのなかに保護
  され、またすべての時代のカバラ主義者、錬金術師、さらには見者や賢者た
  ちの秘密の教えによって間も守られてきた秘密を知ってきた。グルジェフと
  クリシュナムルティの仕事のなかでーーそれぞれのやり方ではあるがーー現
  代世界の前にいま置かれつつあるのは、まさにその教えなのである。……
  それは非常に古いが、しかしまた非常に新しいものなのである。なぜならそ
  れは、以前一度もそれに出会ったことのない人々にとっては常に新しいが、
  にもかかわらずそれは秘教的伝統の管理人であり守護者であった人々の保護
  の下に常に存在していたからである。
  (ハリー・ベンジャミン
  『グルジェフとクリシュナムルティ/エソテリック心理学入門』P.19-20)

仏教に「如来蔵」の思想がある。
人間は、さまざまな煩悩によって隠されているけれども、
仏の法身の目で見るならば、一切衆生のなかには
常住不変の仏性があるというのである。
だれにでも悟りの種があるということでもある。

しかし、人間としての集合的進化として見れば、
だれにでもその可能性の種子としての仏性があるが、
それを個人的な進化として顕在化させ得ているかということは別問題である。

人類全体の進化としてみれば、
長い間に実現されていくであろう進化の段階を
個人的なレベルでいち早く実現させるというのが
「秘教」の基本的なあり方である。

なぜ秘教が一般からは隠されていたかといえば、
子どもに刃物を持たせると危険であるように、
進化段階として未熟である場合、
その結果だけを先に提供してしまうことにもなりかねないからである。
ある意味、現在、人類が核のエネルギーを
その管理能力の未熟なままに行使しているような状態とでもいえる。
かつてゴンディシャプールの学院で行使されようとした知識のようなあり方が
現代において繰り返されようとしているのだともいえる。
かつてはその衝動を抑えるべくイスラム的な動きが出てきたように
ある意味、現代においてイスラムの一部が荒れているというのも
その繰り返しでもあるのかもしれない。

なぜ現代において、秘教が次々と公開されているのか。
真の秘教的な内容はわずかだとしても、
見る者が見れば、おそらくは、かつての時代にはあり得なかったことが
現代において展開されているように見える。
果たして、人類は公開されはじめた秘教の内容を
集合的な進化の段階として獲得できるほどの段階に至っているのだろうか。
科学技術のゴンディシャプール的な暴走をそのままにさせないためにも、
それを裏打ちできるだけの秘教的態度が求められるようになっている
ということではないのだろうか。

しかし、秘教は民主主義的であるとはいえない。
だれにでも食べることのできる食べ物ではない。
多くの人にとってはそれまで見たこともない食べ物であり、
食べ物であるということさえわからないこともあるかもしれない。
それでも、これから長い時間をかけながらも、
確かな栄養をそこから得るための食べ物としていかなければならない。
ときに、錯誤し道筋を間違えてしまった秘教者が、
毒の入った食べ物をまき散らして歩くこともあり、
秘教であることさえ知らず、それが食べ物であることさえ知らず、
それを売り歩くことになる者もいることだろうが、
そこで撒かれた種はいずれ、「如来蔵」から芽吹き、
人類全体としての進化の道に花を咲かせることになる。