エンデ・ボイス


アインシュタイン・ロマン&エンデ

エンデ/エコロジーとエコノミー

ヨーゼフ・ボイス

 

アインシュタイン・ロマン&エンデ


(91/12/22)

 

 アインシュタインロマンの最終回を見ました。

 ミヒャエル・エンデが文明砂漠と呼ぶ現代の自然環境のみならず、内なる世界までが後輩しようとしている現状。科学信仰ときってもきりはなせない現代文明のあり方への提言がなされていたように思いました。

 「なぜ」に答えようとする姿勢の希薄な科学主義。

 やはり、科学の時代制約的な認識と自分の「生」と分裂しない科学への姿勢が求められているのでしょうね。「意識」や「精神」に関するアクチュアルな取り組みが急務であるような気がします。

 エンデが多くを負っているシュタイナーの課題も、「精神科学=霊学」を科学的な思考法で、探求することにありました。それまで神秘主義としてしか語られなかったことを精神科学として構築しようとしたシュタイナーを考えることの意義はここにあるように思えます。

 それは、あの時代の制約的状況にもかかわらず、教育学や芸術、医学農学のみならず社会運動にまで広く適応てきる考え方であるような気がしてます。もちろん、その「考え方」の有効生ということなのですが。

 エンデがこれからの私たちにとって大切だという、創造力と幼心ということもその考え方の延長にあるように思えます。

 やはり、「そんなこと当たり前だ!」ということに対してもう一度、「なぜ」をぶつけてみる必要があるのでしょうね。そして、それをプラスに描いていく行為が。

 最後に、「アインシュタイン・ロマン6」(日本放送出版協会)より(P65)

 「必要なのは、創造力ではないでしょうか。人間の創造力とは人間の『永遠の子供らしさ』そのものです。それは、その人間が8歳であろうと80歳であろうとまったく同じです。人間が子供であることをやめたときに、この創造力もまた失うのです。」

 

 

エンデ/エコロジーとエコノミー


(92/01/08)

 

 PLAY BOYの2月号にミヒャエル・エンデのインタビューが載ってました。

 エコノミーとエコロジーや政治的ユートピアなどについての内容が、先日から話題になっているアニミズムの未来的復権とも関係してくるように思えましたし、それが基本的にはシュタイナーの提唱していた社会論をベースとした考え方でしたので紹介させてもらうことにします。

■政治的ユートピア

 エンデは70年代から折りにふれて「ポジティブ・ユートピア」について語ってきたようですが、その時に常にベースとしてきた考え方というのは、

●自由な精神活動(精神生活における自由)

●民主的な法活動(法のもとでの平等)

●博愛的な経済活動(経済生活における友愛)

 という、シュタイナーが「社会の未来」などで論じてきたものです。

 この「自由」「平等」「友愛」というもっとも基本的な概念は、それぞれ「精神」「法律」「経済」に限っての基本原理となるべきもので、たとえば、「精神生活における平等」というような誤った適用をされてしまうと、これは一種の悪平等となってしまいます。

 この3つの基本概念は互いに独立して機能してこそ、個々人のおけるこの「自由」「平等」「友愛」はよりよく機能します。エンデはこのことを指して、政治的ユートピアと呼んでいます。

■エコノミーとエコロジー

 今日では、財政と近代のテクノロジー的工業化社会の間に生じた矛盾が増大し、エコロジー的は破局を生んでいる。近代以前は、エコロジーとエコノミーはずっと共存していたのだが、このままでは、エコノミー的破局かエコロジー的破局のどちからを選択する以外に方法がなくなっている。

 エコロジー問題自体が最終的には金融的システムと関連しているので、今日行われている環境問題を解決しようとしている努力というのは、それ自体は立派な行為ではあるものの、それらは、現在生じている諸問題に対する対象療法に過ぎないため、どうしてもその根本的な原因を治療することにはならない。この原因を治療するためには、現在のような「強制的」で「競争的」な経済活動を脱するしかない、とエンデはいいます。要するに、現在の根本的にシステムを変えない限り、治療は不可能であるというのです。

 エンデがいう、そのシステムの基本的な考えかたというのは、全人類的意味で正しく行動するものが報われ、自分のエゴからそれに反する行動をとるものが罰せられる、ということであるが、今日の経営人たちは、現在あるシステムに迎合するしか選択の余地がないようです。

■その他

 人間は、過去50年の間、自分の生や人類の生にどのような意義を与えるかという問いに、あまりにも無頓着であった。

 エンデは、教師の役割について、生徒が興味から学ぶように、生徒にものごとへの興味を教えることであって、「不安」や「功名心」を教えるべきではない、と考えています。

 

 以上が、エンデのインタビューを簡単にまとめてみたものですが、このインタビューから学べる点というのは、今後地球規模で考えなければならないテーマというのが、エコロジーとエコノミーを両立させるような

●精神生活における自由

●法のもとでの平等

●経済生活における友愛

 ということを、具体的に考えていかなければならないということでしょう。

 これは、シュタイナーの霊学においてももっとも総合的で基本的なテーマであるように思えますし、(シュタイナーを古い神秘主義や狭義のオカルトなどと誤解したり、教育学のみを提唱したかのように誤解したりする向きもありますので、ここらへんのことは、ちゃんと指摘しておきたいと思います。)先日来の「アニミズムの復権」ということでいっても、その世界観・宇宙観を、「エコノミー」ということと絡めながら、どう未来的に生かしていくかということが大テーマであるような気がします。

 

 

ヨーゼフ・ボイス


(92/03/19)

 

 独自の孤高の地位を保って久しい「美術手帖」が若干のお色直しをはかりましたが、そのお色直し後の第一段が興味深いので取り急ぎお知らせしておきます。

 その4月号の特集は、「ヨーゼフ・ボイス/カオスと創造」。シュタイナー関係のなかで、人智学協会員としてではなく、その影響を受けている要注目の存在といえば、ミヒャエル・エンデとこのヨーゼフ・ボイスです。ボイスは、シュタイナーについて、「シュタイナーの中にすべての基本的事項がある。」とさえ言っていたようです(^^)。

 このヨーゼフ・ボイスについては、この1月に、もう絶版で手に入らないかと思っていた1984年の来日全記録を手にいれてから一度は紹介しておきたいと思っていたので、今回の美術手帖での特集というのは、なかなかうれしい限りです(^^)。

 今回から美術手帳では「評伝・ヨーゼフ・ボイス」(ハイナー・シュタッヘルハウス)という連載が始まっていて、それにヨーゼフボイスの簡単なプロフィールが載ってますので、それを紹介します。詳細な年表に関しては、この特集のなかで「ヨーゼフ・ボイス年表」というのがありますので、興味のある方はそれを参照してください。

 「1921年ドイツのクレーフェル生まれ。デュッセルドルフ国立芸術アカデミーで学びのちに教授となる。シュタイナーやゲーテの思想を援用しつつ独自の芸術概念「社会彫刻」を確立し、作品制作、アクション、政治活動など芸術を民主社会の基盤においたメッセージ性の強い活動を展開、のちのアートシーンに深い影響を与え続けている。1984年来日、1986年死去。」

 ボイスについては僕もまだまだ不勉強で、ボイスの思想の核心については後日の課題ということにしたいと思いますが、ボイスを理解する手がかりとして、「ボイスをめぐる18人の肖像」という記事があって、ボイスはこれらの18人の重要人物の影響を多大に受けていたようですので、その18人の名前を紹介しておくことにします。正直言って、半分以上知りませんでしたが(^^;)、それらの方々についても、今後注目してみたいと思っています。

■ジョン・ケージ ■マルセル・デュシャン ■ピーター・フェンド ■ヨハン・W.V.ゲーテ ■ファン・デア・グリンテン兄弟 ■デイヴィッド・ハモンズ ■ヨルク・インメイドルフ ■アンゼルム・キーファー ■ヴォルフガング・ライプ ■ダライ・ラマ ■ジョージ・マチューナス ■ノヴァーリス ■ナムジュン・パイク ■ゲルハルト・リヒター ■ライナー・ルーテンベック ■ルドルフ・シュタイナー ■ハラルド・ゼーマン ■アンディ・ウォーホル

 「私の<拡張された芸術概念>は、自分自身を精神の中でひとつの彫刻作品にして、目に見えない本質を、具体的な姿へと育てることです。そして、私たちのものの見方、知覚の形式をさらに新しく発展、展開させていくのです。」(ヨーゼフ・ボイス)

 「私たちのものの見方」を発展させるものとしての芸術という考え方は非常に大切で、芸術というのは、やはり「未知=道」の世界をアクチュアルに創造していくというところがなければ、その本来の創造的なところを奪われているのと同じです。

 人間という存在は、芸術という創造的なイマジネーションの輝きによって人間自らをどこまでも生成発展させていくことができるような気がします。生きるということが芸術であるというのは、そういう生成発展のプロセスそのものが「真・善・美」であるということではないだろうか。


 

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