内田光子、シューベルト・チクルス完結


2002.10.17

■内田光子/シューベルト:ピアノ・ソナタ 第4番、第13番 他
 シューベルト:
 ピアノ・ソナタ 第4番 イ短調 D.537
 6つのドイツ舞曲 D.820
 ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 D.664
 12のドイツ舞曲 D.790
 ・内田光子(ピアノ)
 UCCP-UCCP-1063 2002.8.21日
 
「死ぬ時にはシューベルトを弾いていたい」と語っている内田光子によって、
1997年、シューベルトの生誕200年を祝う誕生日にリリースが開始された
この「シューベルト・チクルス」が、今回の第8弾で完結することになりました。
 
この「シューベルト・チクルス」が発売されるまで、
ぼくはほとんどシューベルトのピアノ曲をきいたことがなかったくらいなのですが、
これを聴き始めた頃、特に最後の第19番・第20番・第21番の3つのソナタなど、
ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタもふくめて、
集中的に聴くようになったことを覚えています。
 
先日この第8枚目が完結したのをきっかけに、
昨年、ツァハリアスによるピアノソナタ全集を聴いていたりしたのもあり
それもあわせて、最近読んでいる吉田秀和の批評も読みながら、
「自分エポック授業」をやってみたのですが、
やはり、あらためてシューベルトの音楽の「理念」のようなものを
じぶんなりにいろいろ考えてみたもする機会をもちました。
 
ぼくはいわゆるクラシックというものをほとんど聴かずに育ってきていて、
それがyuccaの影響もあり、グレングールドのバッハなどを聴き始めたりしながら、
少しずついろんなものを聴くようになったものの、
なかなか「声楽」関連のものを聴く気にはなれずにいました。
いまだにオペラ的な発声というのは苦手なのですけど、
やはり、「声」を「歌」を聴くか聴かないか、というのは
大きな鍵になってくるようで、
声楽家の友人の影響で、シューベルトやシューマン、
バッハの声楽曲などを聴くようになって以来、
ぼくのなかで音楽そのものに対する「感受」の姿勢とでもいいますか、
そうしたものがかなり変わってきたように思います。
 
シューベルトのこうしたピアノ・ソナタを聴く際にも、
「歌」がそこに響いているのを聴き取るようになって、
ようやくぼくはそれをなにがしか聴き取ることが
できるようになったのかもしれません。
 
それから、これは吉田秀和が『音楽を語る(上)』
(芸術現代社/昭和49年12月25日発行)のなかで語っていることなのだけれど、
シューベルトを聴くときには、
「いまこの瞬間で起こっていること」ということも大事なのだろうと思います。
 
        ベートーヴェンだったら音を出したときからおしまいまで、その形の
        なかでのどういう位置を占めているかということの意識なしに弾けな
        いわけですよ。ところがシューベルトのほうは、その出しているそこ
        の音のその中で、いまこの瞬間の中で起こっていることというのが、
        どこからきてどこにいったのかというのに劣らないほど重要なんだな。
        (…)
        それはやはりシューベルトの音楽の、いまのこの瞬間でいえば現代性
        ですね。
        (P178-179)
 
最後に、これまで発売されたほかの7枚をご紹介しておくことにします。
 
■シューベルト
即興曲D.899
即興曲D.935 
CD PHCP-1818
 
■シューベルト
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 D.840《レリーク》
ピアノ・ソナタ第18番ト長調 D.894《幻想》
CD PHCP-11009        
 
■シューベルト
ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D.960
3つの小品 D.946
CD PHCP-11046
 
■シューベルト
ピアノ・ソナタ第19番ハ短調 D.958
ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959 
CD PHCP-11092     
 
■シューベルト 
ピアノ・ソナタ第16番イ短調 D.845 
ピアノ・ソナタ第9番ロ短調 D.575 
CD PHCP-11125
 
■シューベルト
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D.850
ピアノ・ソナタ 第14番 イ短調 作品143(遺作) D.784
CD:PHCP-11177 
 
■シューベルト
ピアノ・ソナタ 第7番 変ホ長調 D.568
楽興の時(全6曲) D.780
CD:UCCP-1045¥2,548
 
 


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