武満徹は、ギターをこの上なく愛した作曲家であった。「小さなオーケストラ」 といわれるほど豊かな音色を持ち、奏者に抱きかかえられるように演奏されるこの 楽器は、武満の歌を実現するのに、好都合な楽器であった。武満の愛したピアノや ハープといった楽器以上に、この楽器は、武満の心の琴線に触れるものだったのだ ろう。 (武満徹 ギター音楽集成1961〜1995 ギター=鈴木大介 ライナーノーツより 細川俊夫「メロスの力、武満のギター音楽」) 武満徹のギター音楽のなかでも「フォリオス」は印象に残っている。 最初に聴いたのは、荘村清志の演奏するCDだったと思うが、 そのIIIに<マタイ受難曲>からの引用があったりもする。 そのちょっと言葉にはできない、不思議だけれど、 どこか遠いところに深い郷愁を感じさせるようなその響き。 そういえば、武満徹のギター音楽をはじめてに意識したのは、 たしかバルエコとの対話からだったように記憶している。 バルエコがギターで紡ぎ出す響きもまた素晴らしい。 ギターの音に惹かれた最初はいつのことだったろうか。 おそらく中学の最初くらいのことだったように思う。 クラシックをほとんどきかない少年だったぼくは、 フォークソングやロックミュージックで使われている ギターの響きに魅せられていた。 70年代のはじめ頃のポップスやロックシーンには、 ギターの新しい魅力が奔流のように流れていた。 その後、ぼくのなかではギターが どこかルーティーンな響きのように感じられてくる。 ぼくの探している音とミュージックシーンとの乖離だったのかもしれないが、 どちらにせよ、ぼくのなかでのギターの響きは 新しさや驚きを含んだものでは次第になくなっていった。 それがここ数年でぼくのなかでのギターが あらたな魅力をもった楽器として浮上してくることになった。 武満徹の音楽もそのひとつだったし、 ギターとも兄弟関係にあるリュートという楽器の素晴らしさを 知ったこともそのひとつだった。 そして最近やっと日本のポップスのシーンでのギターが ぼくに新鮮な響きをともなったものとなってきた。 たとえば、元ちとせの音楽をつくっている間宮工という人のギター。 その「コトノハ」や「心神雷火」などの曲で踊っているギターの響きはどうだろう。 この間宮工の存在は元ちとせのアルバムで始めてしったのだけれど、 詳しくご存じの方はぜひ教えてください。 また、復活した安全地帯のミニCDの「野蛮人でいい」で 楽しく聴かせてくれるギターなどもぼく好み。 ぼくが知らなかっただけ、というのもあるかもしれないが、 受ける印象として、なんだか元気になってきたギターという感じがある。 ギターという楽器の魅力にこれから注目していきたいと思っているところ。 |
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