風の音楽メモ2


イン・コンサート〜シューマン・リサイタル


2006.1.28.

■イン・コンサート〜シューマン・リサイタル
 アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
 ECM UCCE-2015/6 02/3/18

そのときに響いてくる音楽はそのときのぼくのポエジーにほかならない。
ここ数日のぼくのポエジーはシューマンとともにある。
これほどシューマンを身近に感じたことはない。
心踊らせ、涙し、フモールとイロニーとともにあり、下降また上昇する。

それはどこか、ぼくのなかで、ノヴァーリスの
「世界はロマン化されねばならない」と響きあっているのかもしれない。

世界はロマン化romantisierenされねばならない。そうすれば、
原初の意味がふたたび見出される。ロマン化とは質的相乗eine
qualitativePotenzierungにほかならない。この操作Operation
において、低次の自己がより良き自己と同一視される。私たち
自身そのような質的相乗の数列なのである。この操作はまだま
ったく知られていない。平凡なものに高い意味を、ありふれた
ものに神秘的な外見を、知られたものに知られざるものの尊厳
を、限りあるものに限りなき相貌を与えることにより私はロマ
ン化する−−高いもの、未知のもの、神秘的なもの、限りなき
ものに対する操作はこの逆である−−これはこのような結合に
より、対数化されるlogarithmisiert−−それはありふれた表現
を得る。ロマン的哲学。ロマン語。相互的な引き上げと引き下
げWechselerhoehung und Erniederung。

ここでご紹介しているのは、99年5月にチューリヒで行われた
シフのコンサートのライヴ盤。
収められているのは、フモレスケ変ロ長調作品20、ノヴェレッテ作品21、
ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調作品14,そして夜想曲ヘ長調作品23。
シフというピアニストには、これまでそんなに良い印象はなかったが、
少なくともこのアルバムでのシフはぼくをポエジーに導いてくれた。

シューマンは人一倍「多声的」に考え、感じる人だった。……
「反対と反抗なき、副声部の微妙な補足や支えのない世の中な
ど存在しない、この世の中は必ずロマン主義に染めなければな
らない。」だが、自信満々で仕事をすすめていくうちに、もし
かしたら現実には成し遂げられないことかもしれないという疑
念が首をもたげはじめる。崩れ落ちていく情熱、表面化しない
まま続く呟きと口ごもっているような不明瞭な響き、断続的で
不安に満ちてくる和声の利用にはそうした理由がある。恐ろし
い狂気を表現している最後の数曲では、時折、すべての力を出
しきった後のような簡素さが支配的になっている。
(マルティン・マイヤーによるライナーノーツより)

世界はロマン化されなければならない、が
その不可能性の前で、分裂を避けられなくなっていく。
自分のなかにいつもたくさんの声が歌い響いている。
声たちはそれぞれがそれぞれにむかって歌い、
ときに歌が呟きになり、断片になる。
世界はロマン化されなければならない。
しかし世界がかぎりない断片の寄せ集めになってしまおうとする力の前で
それそのものがイロニーが真のフモールになればいいのだが。
ノヴァーリスは「フモールとは、制約されたものと無制約なもの(絶対的なもの)を
自由に混ぜ合わせた結果生じるものである」というが、
シューマンのロマンティックな百科全書は
自由に混ぜ合わせられた断片になって崩れ落ち、立ち止まり、
ときに狂ったステップを踊る道化のようにもなり、そして呟きになっていく。

そんなイメージのなかで、
ぼくのなかのシューマン・ポエジーが歌い続けている。
世界はロマン化されなければならない、と。