風の音楽メモ2


Paul MacCartney:CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD


2005.11.29.

■Paul MacCartney:CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD

ポール・マッカートニーのファンではない。
ビートルズのファンというのでもない。
どちらかというと、ポール・マッカートニーの声もあまり好きなほうではない。
それで、この年末になるまできいてみようかどうしようか、迷っていた。

しかし、ビートルズのアルバムをぜんぶ(今さらという感じだが)きいてみて、
そして、中山康樹『これがビートルズだ』という
ビートルズの全曲解説を読んでみたところなので、
ポール・マッカートニーの「現在」をきいてみたいと少しだけ思った。
年末の余興としては、まずまずかな、という感じである。

で、大ヒットである。名盤である。
実際に売れているかどうかわからないが、
ぼくのいまままできいたことのあるポール・マッカートニーのアルバムのなかでは、
いちばんイケテいる。
なにより、シャウトするあの軽薄にきこえてしまう声が入ってないのがいい。
とてもパーソナルな感じのスタジオ一人ライブという感じ。
そしてそれがすべてポール・マッカートニーなのだ。
ねじ曲がってない、ポール・マッカートニーそのまま。

プロデュースを若いナイジェル・ゴドリッチが担当することで、
今回のアルバムのクオリティが可能になったのだろう。
このCDには、DVDがついていて、メイキングのイメージがよくわかる。

はじめて、ポール・マッカートニーが素晴らしいと思ったのは、
ライナーノーツでも紹介されているそのコメントでもわかるように、
自分を否定する者に傾ける耳をもっているということだ。
もちろん、その否定は高次の肯定のためのものであるというのが前提だが。

僕の周りにはお世辞を言う人が多いんだけど、ナイジェルはその正反対だね。
彼は僕のラフ・モデルが気に入らないと、容赦なく切り捨てるんだ。かなり
生意気だね。彼は僕の居心地のいい状態を取ってしまうんだ。気まずい瞬間
もあったけど、殴り合いになったことはないよ。

ナイジェルを「生意気だね」というときに、
なんだかとても愛情深さ、親しみ深さを感じるのはぼくだけではないだろう。
ポールほどになると、たしかにまわりはお追従で埋まっているんだろう。
でもともすればそのなかで無意識に自分勝手になりがちだということを
正面から意識させながら音楽づくりをしていったナイジェル。
ポールは今回、ドラム、ギター、ベース、キーボード、ブロックフルート、
ハーモニウム、フリューゲルホルンなど、ほとんどすべての楽器を
ひとりでこなしているという。
それも、ナイジェルからの提案だという。

そして、ポールはこう言ってもいる。

急ごうとは思わなかった。でも、待ってもらった甲斐はあると思うよ。時間
をかけるごとに音楽がだんだんよくなってきて、この作品を本当に誇りに思
っている。

「誇りに思っている」というのである。
これ以上の音楽制作者の態度は望めないだろう。
そしてたしかに、何度もききかえしたくなるような、
素晴らしいアルバムであることは(少なくともぼくの耳には)確かだ。

しかし、偉くなった人が、
その表面に張られた小さなプライドを自分で取り外すことはむずかしい。
偉くなくても、自分を否定されたように感じると人は
それだけで機嫌を悪くして反発してしまうのは珍しいことではない。

「創造的」な態度を保持するためには、
おそらくそれまでの自分の小さなプライドを常に否定しながら、
もうひとまわり大きな自分を見いだしていく必要があるだろう。
それが可能かどうか。
とくにアーティストでなくても、自問自答すべき重要なテーマだろう。