「二十世紀の音楽」ノート2

まわり道


2002.10.19

         ストラヴィンスキーという人は、はじめ過去の音楽の遺産というものに、
        ひどく無知のまま、出発した。彼は、まずリムスキー=コルサコフについて
        学んだのち、『春の祭典』まで、息つく間もなくかきつづけた。そのあとは
        じめて、ペルゴレージその他の十八世紀ロココとバロックを「発見」し、つ
        いでハイドンやベートーヴェンの初期のソナタを「発見」し、ベッリーニと
        チャイコフスキーを「発見し」たりした末に、第二次大戦後になって、シェ
        ーンベルクの音楽に接近したのだし、そのあとブレーズ以下の前衛の敬愛の
        的となりながら「ヴェーベルンこそ音楽のまことの中心だ」などといってみ
        たりもした。おすやって、十二音で作曲するようになってからも、バッハの
        コラールを編曲してみたり、ジェズアルトのマドリガルに手を入れてみたり
        など、この人の好奇心には極まるところがないなのように見えた。
         彼の死んだのは一九七一年の春だったが、その直前ニューヨークの病院に
        彼を見舞ったという人の話を、先日きいた。それによると、ある日、彼を見
        舞っているうち、何かレコードでもかけようかということになったが「病人
        の口からは、かつてあれほど夢中になっていたヴェーベルンあるいはブレー
        ズ以下の新しい音楽の話は全然出てこなかった。『ではストラヴィンスキー
        のものを何か』というと、病人からきかれるものは、それだけはやめてくだ
        さいとでもいった風情で、唇をふるわせて『ブウウウ……』という音だけだ
        った。そのうち尊大で気むずかしい病人は、もしきくとすれば、それはベー
        トーヴェンの晩年の弦楽四重奏に限る。『あれこそは真に偉大な音楽だった』
        といいたした」のだそうである。
         この話を、私といっしょにきいていたさる人は、「それにしては、あの老
        人はずいぶんまわり道をしたものだな」と呟いていたが、私にいわせれば、
        そのおそろしく長いまわり道があったればこそ、ストラヴィンスキーは、
        『春の祭典』や『兵士の物語』や『結婚』や『エレミア哀歌』の傑作や名作
        を生み出したのであった。         
        (吉田秀和全集2『二十世紀の音楽』白水社1975.10.25発行/P18-19)
 
この「おそろしく長いまわり道」の話は、
なぜこの世界がこうして存在しているのかを
ぼくなりに理解しようとするとき、非常に示唆的に響いてくる。
 
なぜ世界があるのか。
また、これほどまでの矛盾に満ちて、
このような混迷した在り方で存在しているのか。
 
もし世界に、たとえば善という目的があるならば、
なぜその目的に向かって、
いちもくさんに向かうような世界でないのか。
迷路に次ぐ迷路、ときには、いや多くは袋小路。
そんな進み方をしているとしか見えないような世界。
 
また、なぜ人は赤ん坊として生まれ、
長い時間をかけて育ち、そして死に向かわなければならないのか。
動物のように速やかに立ち上がり育っていくことができないのか。
 
そういう類の問いかけを
生まれてこの方、何度自分のなかで反芻したことか。
「もし創造神が存在するとしたら、なんと悪趣味なことか!」
ときには悪態を付きたくなることさえあるほど。
 
しかし、ほんとうのところ、おそらくは
「だからこそこの世界があるのだ」といえるのかもしれない。
たとえば、その「だからこそ」のところに、
このストラヴィンスキーを、そしてそれになぞらえて
自分の今までのことをあてはめてみる。
 
ぼくは「過去の遺産」にひどく無知のまま生きてきて、
そのなかで、些細なことにすぎないとしても、
好奇心の赴くままにそれなりの「発見」をしてきた。
そしてひょっとしたら死に際して
「○○以外にはいらない」というかもしれない。
しかしそのプロセスで「発見」したさまざまなことは、
たとえそれがどんなに愚かなことでしかないとしても、
それは「○○のために世界があるのだ」というよりも、
それらすべてをひっくるめても、「だからこそこの世界があるのだ」、
というふうにとらえてみたいと思っている。
 
そういう意味において、音楽を聴くということは
ぼくにとっては、今この自分を聴くということにほかならない。
そういう意味での「現代音楽」を必要としている。
 
また、現代という時代をどのように受けとめるか、
ということにおいて、
現代に近い状況において活動していた/している音楽家が
どのように活動しているかということは
ぼくにとって同時代的に共振しやすいというところもあり、
ストラヴィンスキーの現代性もしくは遺産についても
無関心でいることはできない。
それは無関心な人にとってはまさに「まわり道」なのかもしれないが、
その「まわり道」ゆえに、いやその「まわり道」そのものが
ぼくそのものなのだということがいえるのだと思う。


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