ハインリヒ・イザーク

2013.5.2

「「Innsbruck, Ich muss dich lassen」
「Mon père m'a donné mari」

今日の音楽は、ジョスカンと同世代の作曲家の中では最も重要とみなされている、
盛期ルネサンス音楽のフランドル楽派の作曲家、ハインリヒ・イザーク(Heinrich Isaac/1450年頃 - 1517年3月26日)。

イザークに関する最初の文書は1484年で、インスブルックの宮廷作曲家だったことがわかっている。
翌年、フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチの宮廷音楽家となり、
オルガン奏者、宮廷楽長ならびにロレンツォの子供たちの家庭教師をつとめる。
1497年までに、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世に仕官。主君に同行してドイツ各地を歴訪、
当時のドイツの作曲界に多大な影響を及ぼしたと見なされている。
1514年にフィレンツェに戻り、同地で他界する。

ミサ曲、モテット、ドイツ語歌曲、イタリア語歌曲、器楽曲など、幅広い変化にとんだ楽曲をのこしている。
(アントン・ヴェーベルンはイザークに関する論文で学位を取得している)。
最も有名な作品は、ドイツ・リート《インスブルックよさらば Innsbruck, ich muß dich lassen 》。
この曲は、しかし旋律そのものはイザークの創作ではなく、単なる(民謡の)編曲だったらしい。
この旋律は後にルター派のコラール《おお世よ、われ汝より離れざるを得ず O Welt, ich muß dich lassen 》にも流用され、
バッハ作品やブラームスのオルガン曲の基礎となった。
《コラリス・コンスタンティヌス(コンスタンツ大聖堂の合唱曲)Choralis Constantinus》を未完成のままで遺しているが、
これはミサ固有式文の通年分を完全に作曲(多声化)する最初の試みとして知られ、
およそ100曲が含まれ、イザークの門弟ルートヴィヒ・ゼンフルがこの曲集を完成させたが、
死後1555年になるまで出版されなかった。
イザークはミサ通常文によっても40曲あまりを遺した。

それでは、「Innsbruck, Ich muss dich lassen」。
演奏は、Capilla Flamenca。

http://www.youtube.com/watch?v=hriyxq9YGuE

続いて、「Mon père m'a donné mari」。
演奏は、Capella Sancti Michaëlis。

http://www.youtube.com/watch?v=u1-pemcmE48