2013.1.2

ジュディ・コリンズ「青春の光と影」(Both Sides Now)
The Beatles「Hello goodbye」
スリー・ドッグ・ナイト「Black and White」

今日、2013年1月2日の音楽は、今年に入って2日目ということで、「2」をテーマに。
「1」は「1」のままではいられない。
「1」のままでは自分をみることもできない。
「1」は「2」となってはじめて展開することができる。
しかし、「2」は対立である。「私」は「私」だけではいられず、
「あなた」という他者と対立する。
そしてそのとき「私」は、「あなた」を鏡に映すことではじめて「私」であることができる。
はじめから矛盾を抱えた関係を余儀なくされている「私」と「あなた」は、
それゆえに「愛」の可能性の種子となる。
融合した関係ではなく、「むすび」の関係。
そのように、二つのものが対立しながらさまざまな物語を展開していく・・・

今日はそうした二つの要素の展開する物語のイメージを音楽で。
まずは、ジュディ・コリンズ(Judy Collins)の「青春の光と影」(Both Sides Now)。
これは、1968年にジョニ・ミッチェルがつくった曲で、
映画『青春の光と影/Changes』の挿入歌。青春には、Both Sidesがある。

光があれば影がある。影があるということは光がある。
光と闇の関係も同じ。
この世界はどちらかだけでは存在できない。
善と悪というのも同じ。
だから、善であるためには、みずからのなかの悪を自覚する必要があるし、
悪は自らのなかの光によって変容していかなければならない。
青春時代というのは、光と影が無自覚なまま暴走したりしてさまざまな苦悩を生むが
、それがなければ魂は変容の契機を失ってしまう。
反抗期というのもそのひとつ
。反抗期のないまま育つと人は自由である可能性を奪われ、
どこにもいけなくなってしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=ehBOaydKc18

続いて、The Beatlesの「Hello goodbye」。
歌詞がとっても面白い。
君がイエスといい、ぼくはノーという。君が止まるというと、ぼくは行くという。
君がさよならというと、ぼくはハローという。ああ、なんてこった・・・。という感じ。
まるで天の邪鬼だけれど、天の邪鬼というのも、
それがある種の鏡のようになって、自分という存在を照らしてくれるところがある。
天の邪鬼遊びもまた、人の成長には欠かせない。
もちろん、ずっとこれを続けるのは子どものままということだ。
しかし、世の中を見てみると、政治家なども、
「賛成の反対」というようなことばかり言っている。
ときには、自分がなにか「反対!」を唱えようとしたときに、
この歌を思い出してみると、
自分の言っていることを「遊戯」としてとらえることもできるかもしれない。
それが、流されないコツ。

http://www.youtube.com/watch?v=oGG8gG9tEaE

そして、スリー・ドッグ・ナイト(Three Dog Night)の「Black and White」。

ポール・マッカートニーとスティーヴィ・ワンダーの
「エボニー・アンド・アイボリー」を思い出すが、
テーマは、「人種差別のない世の中を作ろう! 」というもの。
「Black and White」の原曲は、
「公立学校での人種差別の禁止」という決定が1954年に全米で下された
翌1955年につくられたんだそうです。
その背景にはアメリカの大リーグ(MLB)で初の
アフリカ系アメリカ人(黒人)の選手として活躍したジャキー・ロビンソンの活躍があったとか。
1971年、スリー・ドッグ・ナイトは、
ラジオから流れてくるジャマイカのグループ「グレイハンド(Greyhound)」の
レゲエ・ヴァージョンのこの曲を聴いて、翌年それをレパートリーにしたとのこと。
歌詞は、「白い紙と黒いインクで 僕らは読み書きを覚える 黒い子供もいれば 
白い子供もいて だからこそ この世界は美しい・・・」という内容。

http://www.youtube.com/watch?v=lyMjzzJG8U0