「ぼくの歌・みんなの歌」メモ
1◎人生における局面と音楽(2009.3.3)
先日、仕事がらみで
「フォークキャンプ」というコンサートにでかけた。
出演は、杉田二郎、加川良、因幡晃、
Song for Memories(山本潤子/元ハイファイセット・
鈴木康博/元オフコース・細坪基佳/元ふきのとう)。

このコンサートで動員をねらったのは団塊の世代。
(出演者もいちばん若いのが因幡晃)
ぼくよりも少し上の世代で、予想通り会場はその世代が中心。
3時間休憩なしの長時間コンサートということで、
随時、出演者も「だいじょうぶですか〜?」という声をかけながらも、
最後は予定されていたアンコール曲に加えて
まだあわせていないので…という曲も2曲ほど追加になるような盛り上がり。
3時間を超えるあいだ、そこそこ楽しんできくことができた。
対象がぼくよりも少し上の世代とはいえ、
ほとんどの曲を知っているというのは、やはりノスタルジーを刺激する。

それで、というのでもないのだけれど、
ちょうど、森達也の『ぼくの歌・みんなの歌』
(講談社/2007.10.25発行)を読み始めた。

  僕だけじゃない。きっと誰もがそうなのだろう。それぞれの人生の局面には、
 それぞれの歌の思い出があるはずだ。
  この本のテーマは「人生における局面と音楽」だ。主語は一人称単数。つまり
 正確には「僕の人生における局面と音楽」。音楽は内なる部分を喚起する。だか
 らその意味では、とてもパーソナルな記述が多くなる。
  でもたぶん同世代の人にとっては、結構重複する歌が多いはずだ。それに世代
 やそれぞれの局面に微妙な差異はあっても、テーマソングのエッセンスは共通す
 る。初恋の甘酸っぱさや卒業の切なさは、どんな時代も変わらない。
  だからこの本を読もうとしているあなたにお願い。ただ読むだけではつまらな
 い。これまで自分が過ごしてきた時代に、そしてこれから迎えつつある時代に、
 曲と文章とを媒介にしながら、それぞれの記述や思いを紡いだり巡らせたりしな
 がら読んでほしい。そのほうがたぶん、いや絶対に楽しめる。
 (「ホテル・カリフォルニア」P.15-16)

ぼくのi-Podには、MY Favorite ROCK&POPというファイルがいくつかあって、
そのなかには、主に1970年代の初め頃の曲がたくさんはいっている。
ぼくは中学生の頃、ほとんどロックとポップス漬けになっていたので、
どうしてもこの頃に聴いた曲が多くなってくるが、
「ホテル・カリフォルニア」はこの本によると1976年。
この年はぼくが大学に入った年で、その頃はすでにジャズ漬けになっていて、
ラジオさえそんなに聴かなくなっていたので、この曲に絡んでくる思い出はあ
まりない。
とはいえ、メジャー過ぎるほどの曲なので、しっかり覚えている。
とはいえ、その歌詞をちゃんと意識したことはあまりなかったが、
本書にもあるように「何だか『千と千尋の神隠し』を思わせるような歌詞だ」。
定説としては、「カリフォルニアに体現されるアメリカのかつての希望(つまり
ロックが愛と平和を呼びかけた時代)の終焉と、現在の頽廃と虚無とを描いた鎮
魂歌」
ということになっているらしい。

  ようこそホテルカリフォルニアへ
  ここは素敵な場所です
  ずっとあなたを待っていたのです

本書はこの「ホテル・カリフォルニア」ではじまっているけれど、
もしぼくがこういうコンセプトの本で最初に置くとしたらどんな曲を置くだろうか。
考えてみたが、思いつくものはどれもいまひとつ。
語るに足るようなものはあまりなさそうに思うし、
あまり「社会派」とはいえないために、
たとえば時代をそこで切り取るといったこともむずかしそうだ。

とはいうものの、著者の森達也氏も、
「社会派」と呼ばれることにはかなり抵抗感があるようで、
ことあるごとに「一人称単数の主語」を消して
「我々」や「国家」などを主語にした「正義と邪悪」、
「被害者と加害者」などの二元論に陥ることに警鐘をならしているわけで、
「大切なのは一人称の情緒だ」という言葉に力を得て、
「一人称単数の主語」から見えてくる「人生における局面と音楽」を
いくつかメモしていこうと思う。