小沼純一『映画に耳を: 聴覚からはじめる新しい映画の話』

2013.7.18





 

●1970年代後半頃の思い出に《高橋和巳・高橋たか子》

高橋たか子が、亡くなった。81歳。

高橋たか子といっても、今ではあまり知る人も少なくなっているだろうし、その夫である中国文学者・作家の高橋和巳はもっと忘れ去られた存在になっているかもしれないが、高橋たか子・高橋和巳ともにぼくにとっては、一時期ずいぶんその作品にふれることが多かった作家である。高校生時代は、高橋和巳に、大学時代は高橋たか子を良く読んでそれなりの影響を受けた。二人とも思い出深い作家なので、少しばかり思い出話など。

高橋和巳では、『悲の器』『散華』『我が心は石にあらず』『邪宗門』などが印象に残っている。その頃はまったく関心がなかったけれど、『邪宗門』は戦前に国家から不敬罪で激しく弾圧され大本教がモデルになった小説。その後、出口王仁三郎のことを知り、あらためてあの小説がそうだったのかと後付けのようにその小説を思い出したこともあった。ちなみに、宗教団体は別として、ぼくは出口王仁三郎の大ファンである。

高橋和巳のエッセイなども全集で読んでいたが、中国文学者らしく難しい漢字がたくさんでてくるので、片端から辞書を引いて漢字を覚えていったことを思い出す。「散華」といった言葉もそのときにはじめて、花を散らす意味から若くして戦死することを意味していることを知る。大江健三郎もその頃、もっとも読んでいたりした。『洪水はわが魂に及び』など。今ふりかえると高橋和巳も大江健三郎も楽しんで読んでいたというよりは、まるで修行のように読んでいたところがある。それに対して、心から楽しんで読んでいた作家といえば、その頃は安部公房だったことを思い出す。1973年〜1975年の頃。

さて、肝心の高橋たか子だが、高橋たか子は、作家の高橋和巳と結婚、1971年に39歳の若さで高橋和巳が亡くなった後、自分でも小説を書き始めたとのこと。カトリックの洗礼を受け、京都市の女子カルメル会に入会し、修道生活を送ったりもしていた。

おそらくは、その頃同級生だったyuccaの影響で最初に読んだとても神秘的幻想的な小説『骨の城』に興味をひかれ、『人形愛』『誘惑者』など、その不思議な世界を次々と読んでいたりした。澁澤 龍彦との共訳で出たマンディアルグの小説『大理石』も思い出深い。マンディアルグを読むようになったのもyuccaの影響である。

修道生活を送ったりするようになってからは、その作品を読む機会もなくなったが、印象に残っているのは1996に講談社新書で刊行されたので久々に読んだ『意識と存在の謎―ある宗教者との対話』。「意識のめざめ」とでもいえるものをめぐる思索の書だが、その思索が妙にミステリアスでありながら、祈りそのものになっているような印象をもったのを覚えていたりする。