井筒俊彦・生誕99年目の誕生日に |
2013.5.4 |
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●井筒俊彦・生誕99年目の誕生日に 今日5月4日は、井筒俊彦さんの99回目の誕生日(1993年に亡くなってますが)。 ちょうど先日、『「コーラン」を読む』(岩波現代文庫/2013.2.15)を読んで、その後著作を読み直していたところ。数年前から、若松栄輔さんの編集で、慶應義塾大学出版会から、井筒俊彦さんの著作『露西亜文学』『アラビア哲学――回教哲学』『神秘哲学―― ギリシアの部』が復刊されたり、エッセイ集の『読むと書く』等が刊行されたり、若松栄輔さんの『井筒俊彦――叡知の哲学』(井筒さんを理解するための重要な示唆がたくさん盛り込まれている重要著作)が刊行されたりで、久々井筒俊彦さん関連のものを読み返していたところだったりもした。 1980年代の後半から1990年代にかけて、シュタイナーと平行して多大な示唆を受けた方で、大変思い入れがある方のひとりなので、全集が刊行されるというのはほんとうにうれしいかぎり。英文著作などはまったく読んでいないものの、日本語で出ていた著作の主なものは目を通してきている。やはり、イスラーム思想関係の理解は、井筒俊彦さんなしではぼくにはまったく考えられないし、今ではおそらく読めなくなってしまっているスーフィーのなかでも重要なルーミーの『ルーミー語録』(1978年/岩波書店 イスラーム古典叢書)などは、その後ずっとぼくの本棚の目の届くところから離れたことがないほどだったりもする。その他、岩波書店からでていた何冊かの重要著作も今では絶版になっていたりしているようなので、全集の刊行は大変意義のあることだと思う。 手元にある井筒俊彦さんの重要著作と、関連書を少しだけご紹介しておきたい。 『意識と本質―精神的東洋を索めて』 (岩波文庫) 最後に、若松栄輔『井筒俊彦―叡知の哲学』から少し。 「井筒俊彦の哲学的企図は、『意識と本質』の副題「東洋哲学の共時的構造化」に収斂される。「共時的」とは、ある問題が、現在と同時に永遠の相のもとに横たわっていることを意味する。その営みを、一個人で完遂することが不可能なことは、彼には最初から了解されていた。『イスラーム哲学の原像』にいおて、イスラーム神秘主義を窓として、東洋哲学の深層にわけ入ろうとした彼が、「非力を痛感した」ともらしている言葉は、そのまま受け止めなくてはならない。『意識と本質』のはじめにも、この論考は、「東洋哲学の共時的構造化」への序論に過ぎないと書かれている。
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