塚田幸三(著・訳)『道元とシュタイナー』ほか

2013.2.13




塚田幸三(著・訳)『道元とシュタイナー』ほか

先のシュタイナーの講義集を紹介したときにでてきたので、
塚田幸三さんのシュタイナー関連の著書と訳書をご紹介しておきたいと思います。

新刊でているのは、『道元とシュタイナー』 (水声社/ロサ・ミスティカ叢書/2013.1) 。
その他、これまでにシュタイナー関連の著書としては、
『いのちの声を聞く―海人/奥邃/ヘレン・ケラー/スウェーデンボルグ/フランクル/シュタイナー』
(スウェーデンボルグ紹介者の高橋和夫さんとの共著)からはじまって、
『滝沢克己からルドルフ・シュタイナーへ―人生の意味を求めて』、
『シュタイナーから読む池田晶子』、
『『歎異抄』が問いかけるもの』がでていて、どれも力作。

訳書では、シュタイナー関連のものだけを挙げておくと、
カール ケーニッヒ『動物の本質 ルドルフ・シュタイナーの動物進化論』、
マイケル エバンズ/イアン ロッジャー『シュタイナー医学入門』、
ジョン・ソーパー『シュタイナーの『農業講座』を読む』、
W.スヒルトイス『バイオダイナミック農法入門』、
ミヒャエラ グレックラー『医療と教育を結ぶシュタイナー教育』がある。

訳書は、医学や農学、動物進化論など自然学系のもの、著書は宗教・哲学的なもの。
翻訳は、英語本の翻訳に限定はされているけれど訳者としてとても誠実さがあってとても信頼のおける、
しかも内容的にはほかで読むことが難しいものとなっているので、大変貴重なものばかり。
(いつも、直接献呈本のように送ってもくださるので大変恐縮していたりする)。

一方、著書のほうは、フランクルからシュタイナーへ、
そしてシュタイナーとの比較・照応の試みということで、『滝沢克己、池田晶子、歎異抄の親鸞、
そして今回の道元と、生と死に関する宗教的・哲学的
(とはいえ、池田晶子ですが、基本は自由の哲学的な視点)な視点と
シュタイナーの神秘学的なそれらに対応した視点が塚田さんならではの誠実さで
丹念に根気よく論述がなされている。
ほんとうは、日本のアントロの方々がしないといけないようなことを
代わって塚田幸三さんがされているように思う。
頭がさがる。ぼくもアントロではないけれど、塚田さんにならって、
ぼくなりの試みを続けなければならないと切に思う。
最後に、新刊の『道元とシュタイナー』の「まえがき」の最初のところから引いておきたい。
塚田さんが求めている宗教的な視点が伝わってくるのではないかと思う。

「道元がこれほど輪廻について語っているとは意外でした。
それに気付いたのはシュタイナーに触れ、
その思想と照らし合わせるという視点を得たからだと思います。
道元が説く仏教には輪廻という仕組みが組み込まれているような感じさえします。
 輪廻を語るとすれば、輪廻するものは何かが問題になります。
はたしてそのうようなものが有るのか無いのか、あるとすればそれはどのようなものなのか、
これは仏教の初期から続く古くていまなお新しい問題です。
 私たちが葬式や供養を行うということは、
肉体の死後もなお滅びない霊魂の存在をどこかで認めているからでしょう。
たとえそれが科学的ではないとしてもです。(中略)
 シュタイナーの説く輪廻の思想と道元の説く輪廻の仏教はいったい
何を語ろうとしているのでしょうか。
それはほかでもありません、私たちが生きるとは(あるいは死ぬとは)どういうことなのか、
どう生きればよいのか、私たちはいったい何者なのか、いわばそういったことでしょう。
そのような問いを抱えて私たちは道元に向かいシュタイナーに学ぶのだと思います。」