芸術新潮2月号特集「小林秀雄」

2013.2.2

芸術新潮2月号特集「小林秀雄」

芸術新潮の2月号の特集は「小林秀雄」。
学生の頃、小林秀雄にはそんなに新機関を持つことはまずなかったが、
とくに最近になってひどく親近感を持つようになった。
要するに、小林秀雄の書いていることを以前は理解する気がなかっただけなのかもしれない。
もちろん小林秀雄の書いていることが全部素晴らしいと思っているわけでもなくて、
親近感というか共感というか、そういうものを持てるようになったということ。
たとえば、第二次世界大戦前後、戦争や戦後といったあり方から距離をとっていたような態度も、
ぼくなりにひどく共感を覚えることが多くある。

さて、このところ、小林秀雄が最後にみずからが「失敗」として収録を禁じた
「感想」というベルクソン論を読んでいるが、
なぜ「失敗」だとしたのかがおぼろげにわかるような気もしている。

ある意味で、小林秀雄はベルクソンを論じることを通じて、
「直観」を言葉にできるかもしれないと思ったものの、
「直観」を論じるということそのものの矛盾のなかでそれ以上進めなかったのかもしれない。
また最後はほとんどベルクソンの代弁のような感じになってしまって、
哲学でも科学でもないであろう小林秀雄自身の位置づけがむずかしくなったということもあったのかと。
それだけに、その経験を踏まえながら、
その後、哲学者でも科学者でもない「本居宣長」に対して、
「松のことは松に習え」的なかたちで取り組むことが可能になったのだろうと考えることもできる。