ヘルマン・ホイヴェルス『人生の秋に』(春秋社)

2012.11.7

今公開中の映画『ツナグ』(観てませんが)のなかで
樹木希林によりホイヴェルスの「最上のわざ」という 詩が朗読され、
話題になっているらしい。

そのヘルマン・ホイヴェルスは 、
1923年イエズス会宣教師として来日し1977年に亡くなる。
『最上のわざ』 は、その随想選集『人生の秋に』(1996)で紹介されている。
興味を覚えて読んでいる。
味わい深い。
学ぶことがたくさんある。

読みながらあらためて思うのは、自分が信仰者でありえないということ。
深く共感はするものの、同時に自分との違いのほうがきわだってくるのを感じる。
ぼくは決してその言葉通りの無神論者というわけではないのだけれど、
神的なものに対する理解や基本姿勢が根本的に異なっている。
信仰ではなく探求ということだ。

本書の最初に「わたしは何になりたかったか」という随想があるが、
ここでホイヴェルスは、羊飼い、樵、左官工、絵描き、ギリシア語の教授、
そしてイエズス 会宣教師というふうに「なりたいもの」を次々に挙げているが、
ぼくには小さい頃からなりたいものがなかった。
そして、いまでもとくになりたいものはない。
探求を続けるのは永遠の課題だが、それはなにかになるためではない。

ときに、なにかになりたいとしてそれに向かっている人を
うらやましく思うこともないではないが、
ぼくにはそういうことはまったくできないらしい。
しかし、 そういうなにかになろうとしている人、
なっている人からはさまざまに学ぶことができる。
そのことはなによりも大切にしたいと思っているが、
それにしても、 やはりぼくは一生かけて、
何者でもない人間になろうとしているのだろうということは確かのようだ。