宮沢章夫『考えない人』(新潮文庫)

2012.10.13

 実はぼくは、あまり「考える人」ではない。かなり直観的なタイプなので、どちらかというと「考える」というよりは、この宮沢章夫の『考えない人』のほうが、近いかもしれない。でも、大事なのは、考えなくてもでてきたアウトプットを説明するときには、そこまでに至るプロセスを埋めることができるかどうかなのだ。それができなければ、ただの馬鹿になってしまうから。ああ、世の中はややこしい。ちなみに、宮沢章夫の『考えない人』の多くは、先に紹介した季刊雑誌『考える人』に連載されていた。ああ、ややこしい。

 自分が「考えている」と思い込むのはときに危険で、自分の狭い「考え」の檻に閉じ込められているのに気づけなかったりします。ひょっとしたら自分の「考え」というのは、考えていないことの証明なのではないかと自省してみることも必要かと。そのために、自分の考えを自分の考えを跡づけてみて、自分の思考の狭さに気づければ、と思っていたりします。
 facebookはまだまだよくわかりませんが、まあ、使い方ですね。たしかに、ほとんど惚けていても使えるのがこのメディアだともいえそうです。それはそれとして、最近よく「リテラシー」ということがいわれるようになりましたが、実際のところ、読める・理解する程度のことだと思うよりも、それよりもずっと、そこに書いてないこと、表現されてないことがいかに読み取れるかのほうが大事だと思います。「考える」とかいうことも同じで、自分が考えることができていないかを少しでも意識できたほうがいいかと。無知の知というか、そういうことでもありますよね。シュタイナーも読めば読むほど、体験を深めれば深めるほど、わからないことのほうがどんどんふえていく。そういうことなんだと思います。