安藤礼二『祝祭の書物/表現のゼロをめぐって』(文藝春秋)

2012.9.18

安藤礼二の新刊『祝祭の書物/表現のゼロをめぐって』がでた。
安藤礼二はここで、新たな形での批評によって
宗教哲学と民俗学と文学を共振させている。
安藤礼二の批評が面白いのは、
鈴木大拙や井筒俊彦なども駆使しながら、
日本的霊性、神秘哲学などへの接近も辞さないような、その横断性である。
本書の最後には、
「表現のゼロ地点へー三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹と神秘哲学」
という章が収められているが、「村上春樹と神秘哲学」というのが、なかなか。
「井戸」を掘り下げていくことで、「ゼロが同時に無限となる世界」へ。

シュタイナーはギリシア神話に関する講義で
「古いディオニュソス」と「若いディオニュソス」について語っているが、
神話とは逆に、「若いディオニュソス」から「古いディオニュソス」へという方向を、
安藤礼二はここで指向しているようにも感じた。
(そこまでの神秘学的知見はないけれど、どこかでなにかをかぎ取っているのだろう)
ここらへんに関しては、先日来、
まとめてトポスのMLで書いてみようと思っていたところなのだけれど、
なかなか時間が許さない。
近々頑張って書いてみたい。

ぼくは、安藤礼二さんのおかげで、
折口信夫をちゃんと読んで見ようと思うようになりました。
神秘学と日本的霊性を関連づけてみるためにも、格好のテキストだと思っています。
読み応えだけじゃなくて、葛西さんのおっしゃっているように、
文体もなかなかイケてますよね。

 大航海の連載そのものは読んでませんが、『光の曼荼羅』ですか。
なかなかぐっとくる著作でした。
安藤礼二さんが、『神々の闘争』で登場してから、
ちょっと目の離せない人になりました。
シュタイナーの視点に日本的霊性の視点をくわえる意味でも
要チェックだと思っています。
なにせ、日本は「言霊」と「神々」の国ですから。