風のブックメモ

岡田斗司夫『「世界征服」は可能か?』


2007.6.7

■岡田斗司夫『「世界征服」は可能か?』
 (ちくまプリマー新書061/2007.6.10.発行)

  この本は、子供だけでなく、「オトナのための世界征服」についての本です。
  大人になったいま、あえて「世界征服とはなにか?」「悪とはなにか?」に
  ついてマジメに考えてしまおう、という内容です。(P.21)

本書は、きわめてシンプルな発想の本で、
わざわざ買って読むほどの本かどうかはきわめて疑問だけれど、
(少なくともぼくはとても楽しく、仕事のあいまに、一気読みできたけれど)
悪や権力といったものについて、あまりちゃんと考えていない人には、
それなりに説得力をもった本なのではないかと思う。

でも、ぼくのような、小さい頃から今まで、
あまり人の上に立つとか世の中で成功するとかいったことに疎くて、
疎いどころか、そんな面倒なことなんかできればあっちいけ!とか
ふだんから思っているような人にとってみれば、
そんなことあたりまえじゃん!と思ったり
まあそんなあたりまえのことでも、
まあ、世の中全体としてみれば面白い視点なのかもしれないな、
と思ったりするのがほとんどかもしれない。

著者は、アニメ・ゲーム界でずっと仕事をしてきたひとなので、
そこらへんのことを面倒くさがったりはしないで、
こうしてちゃんと本にしてくれているのだろう。
ご苦労様です(でも、この著者はぼくと同じ年に生まれてる)。

本書では、世界征服の支配者タイプを4つあげている。
まず、「魔王タイプ」。
正義感が強く美意識が強い。別名「人類絶滅型」。
例は、『レインボーマン』の「死ね死ね団」。
次に「独裁者タイプ」。
責任感が強く、働き者、別名「人類の管理人さん」。
例は、『DEATH NOTE』の「夜神月」。
そして、「王様タイプ」。
自分が大好き、贅沢大好き、別名「バカ殿様型」。
例は、『ドラゴンボール』の「レッドリボン軍総帥」。
最後に、「黒幕タイプ」
人目にふれずに悪の魅力に溺れたがる、別名「悪の裏方」タイプ。
例は、『007』シリーズの「スペクター」。

著者は、だれでも一度はあこがれる「世界征服」とかいっているけれど、
最初に書いたように、ぼくのような面倒くさがりは、
そんな面倒なことにあこがれたりはしない。
本書の「オチ」としてしつこく書かれているように
「世界征服」するにはとても努力が必要だし、
世界征服したあとにも、いろんな面倒くさいことばかりで
働きづめを余儀なくされ、そうでなければ、短い間、わ〜っと好き放題して、
すぐにやっつけられたりするしかなくなる。

シュタイナーでおなじみの、悪の両極、
ルシファーさんとアーリマンさんのような方々にしても、
決して怠惰な尊大でありはしない。
きわめて勤勉で勤勉すぎてそういう存在になってしまった、といったほうがいい。
もちろん、いまでも、とてもこまめに働いているし、
アニメや漫画でもおなじみのように、そうした「悪」は
かならずといっていいほど、大きな「組織」を運営することが必須条件になる。
「悪」も、そんなになまやさしいものではないのである。
みんなで心をそろえて、悪の組織の倫理にのっとって、
きわめて忠実な行動を余儀なくされる。
マフィアなどの組織をイメージすればよくわかる。

そういう意味では、自分を善だと思っているひとたちの組織型と
自分を悪としているひとたちの組織型というのは
親玉が善とされているか悪とされているかだけのちがいで、
その組織に属しているひとたちというのは、
そんなに変わらないのではないかということもできる。
いやむしろ、悪の組織のほうが、とても倫理観が強いとさえいえる。

ぼくは、根っからのものぐさなので、
どちらも苦手で、ごろごろしているのを良しとしたいところである。
人類を絶滅させようとか救おうとか、
すべてを自分の膝元において管理したいとか、
だれよりも贅沢がしたいとか、逆に禁欲したいとか、
裏でこそこそ頑張ろうとか・・・
やはり、どうにも疲れることばかりのようである。

でも、ぼくのようなタイプには、
たまにはなにかの誘惑などがきて
その気になるときがあったほうがいいのかもしれない。
もちろんすぐに、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」
とかいうものぐさの論理/倫理をたてに、まあ、あくせくしなくてもいいじゃんか、
とばかりに、また昼寝でもはじめてしまうのが関の山なのだろうけど。