風のブックメモ

石田紀佳『藍から青へ 自然の産物と手工芸』


2007.4.2

■石田紀佳『藍から青へ 自然の産物と手工芸』
 (CONFORT増刊/2007.3.1発行)

寺田寅彦の「なつかしや未生以前の青嵐」にどきりときた。
「まえがきにかえて」に記されていることばだ。
それだけが記されているページ。
それがぼくのなかの「未生以前の青嵐」をかき乱したのだろう。
ポエジーの根源だともいえるかもしれない。
「考える」」ことでは決してたどり着けない、
「自然」とそれをさまざまに加工する技術。

本書は、植物、動物、鉱物、そして工程の章に分かれ、
著者の石田紀佳と写真の梶原敏英により
素材から製造工程までが大変ていねいに記され 、写されている。
CONFORTというのは建築雑誌らしいが
その増刊にこういうすぐれたものが編集されるのも
こうしたテーマが静かにではあっても
少しずつ見直されてきているということなのだろう。

   好むと好まざるとにかかわらず、私たちの日々には、
  植物、動物、鉱物などとのかかわりがついてまわりま
  す。そして、それらが人の手によって違う姿になるま
  での間には大叙事詩があり、人によってはそこに叙情
  を感じるかもしれません。
   詩を生きるのに忙しくて詩が書けなかった、という
  ようなことをいったのは中勘助(…)だそうですが、
  私たちすべてがほんとうはそんな中で生きているので
  しょう。
  (「あとがき」より)

私たちは、さまざまな植物、動物、鉱物などに囲まれていきている。
加工されることで最初の姿、形を失っていることが多いために、
そのことを意識することが少なくなりがちだが、
さまざまな「製品」のもっている「大叙事詩」について考え始めると
その多くを私たちはいかに知らずにいるかということに気づく。

モノたちのもっている「大叙事詩」に
さらに、シュタイナーの示唆している自然学的な観点を注ぎ込んでみると
そのポエジーのまえで、まさに「詩を生きるのに忙しく」なることは間違いない。
そうでないとしたら、どれほど私たちの魂が涸れているかを示しているといえ るだろう。

さて、本書の素晴らしさは、単に「自然の産物と手工芸」について
その美しさを紹介するだけにとどまってはないところである。
たとえば、次のような示唆もある。

  自然の産物でないモノなど、この世にはない。人工物
  の代表のようなプラスチックももとをただせば自然の
  産物だ。セルロイドを経て、石炭(コールタール)か
  ら発明されて、今では石油の一部からつくられるが、
  この石油こそきわめつきの自然からの、大地からの、
  贈り物である。もっとも、自然には贈るも贈らないも
  ないのだろうけど。
   ともあれ私たちは「多大な恩恵」を石油から受けて
  いる。プラスチックをはじめとするモノや、モノをつ
  くる機械を動かしたり素早く移動するためのチカラ。
  大半の人類は、石油がもととなって生まれた、時と空
  間の価値観の中で生きている。なのに、この「自然素
  材」についていったいどれだけ知っているのだろうか。
  (総論「石油化学工業と手工芸」より)

そう、「人工物の代表のようなプラスチックも
もとをただせば自然の産物」なのだ。
そのことを忘れがちの「自然派」の人たちもいるかもしれないが、
この世界に「自然」でないものは何もない。
そして人間の使うものは、多かれ少なかれ、人工であることに変わりはない。
では、その人工のどこがどのように違うのだろうか。

そうしたことを考え始めると、
私たちがいかに「自然」について何も考えることができないでいるかに
あらためて驚かされてしまうことになる。
おそらくもっとも愚かなのは「何も知らないことにさえ気づいていない」ことであり、
その「大叙事詩」を知らなければならないと思えなくなっていることなのでは ないだろうか。