風のブックメモ

カート・ヴォネガット『国のない男』


2007.9.8.

■カート・ヴォネガット『国のない男』
 (金原瑞人訳/NHK出版 2007.7.25発行)

この春、カート・ヴォネガットが亡くなった。
4月11日のことだから、エイプリルフールを少し過ぎてしまったのが
少し残念な気もするが、カート・ヴォネガットのことだから
亡くなった後も、あの独特なユーモアはなくしていないはずだ。

その遺作がこの『国のない男』。
ぼくがカート・ヴォネガットを読んでいたのは大学生の頃のこと。
ちょうどその頃、ハヤカワSF文庫で次々とその作品が訳されていて、
あのユーモアとシニカルさを味わうのがくせになっていたことがある。
それから、たとえば『スラップスティック』で
パラグラフのあとによくつかわれる「ハイホー」という
「お後がよろしいようで」的な言葉なども印象的だった。

その頃に読んだものを探してみたところ、
手元には6冊分の文庫が残っている。
『タイタンの妖女』『スローターハウス5』
『猫のゆりかご』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
『スラップスティック』『ジェイルバード』
その他にもあったように思うが、いま手元にあるのはこのくらい。
そういえば、その後、読む機会を持てていない。
せっかくということで、この遺作を手にとってみることにした。

アメリカは、後世、偉大な文明の記録として、
ジーンズとハンバーガーを発明したといわれるかもしれないが、
ぼくが好きなアメリカを挙げるとすれば
ハードボイルドの小説にもでてくるあのユーモア感覚だろうと思う。
カート・ヴォネガットのユーモアにもどこかで通じている。

アメリカという国の面白さは、
あの「正義」をふりかざす反面、
こうしたカート・ヴォネガットのような作家や
チョムスキーのような良心的な学者をなくさないところだろう。

本書でも、

  まだ気づいていないかもしれないから言っておこう。われわれはいま
  世界中の人々から、かつてのナチスと同じくらい恐れられ、憎まれて
  いる。
  それもちゃんとした理由があってのことだ。

というようなシニカルさが全編にちりばめられている。

この本のタイトルは『国のない男』だ。
その「国」というところには、
あらゆる組織的なカテゴリーが入るともいえるかもしれない。
そして、カート・ヴォネガットはそれらに対して
ユーモアとシニカルさで立ち向かっている。
その良さは、単にアンチにならないでもすむところだ。
しかも、そのことでシニカルさは軽減されるどころか
むしろ効果的な爆弾となって炸裂する。

さて、本書の最初に置かれているのはこんな言葉だ。

  善が悪に勝てないこともない。
  ただ、そのためには天使が
  マフィアなみに組織化される必要がある。

ぼくも、そこそこシニカルな発想をするほうなので、
「マフィアなみに組織化」された天使というのは
ちょっとついてけないなあとも思ったりするのだけれど、
だからといって悪がまさにマフィア的に組織されるというのもコワイから
どうすればよいかわからなくなってしまう。

ぼくはそもそも組織的なものが苦手ときているので、
へたすれば、悪からもにらまれ、
善からも非協力的だといって批判などをを受けることになりかねない。
ときには、日和見のように見られてしまうかもしれない。
いろんなことを考えて多視点的になろうとすればするほど、
善からも悪からもわけのわからないようにしかみえなくなる。

だから、ときには、なんとか生きるために、方便や嘘もまじえながら、
ごまかしつつ生きていく部分も必要になってくる。
たとえば、森毅さんの著書のタイトルにもある
「ぼくはいくじなしと、ここに宣言する」ようなかたちで。
とはいえ、その場の「空気」に迎合することは決してしない、
というのを信条としながら。