風のブックマーク2004
「物語」編

 

クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』


2004.6.28

■クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』【手帳版】
 (ちくま文庫/2004.4.7発行)
 
クラフト・エヴィング商會の本はすでに今年に入って
ご紹介したことがあるので、それについては繰り返さないが、
今春、そのクラフト・エヴィング商會の
『クラウド・コレクター』と『すぐそこの遠い場所』という
2冊が同時にはじめて文庫になった。
しかも、とくにこの『クラウド・コレクター』は
「全面的に書き直して再編集」されている。
 
この2冊、「クラフト・エヴィング商會の先代吉田傳次郎」が残したという
「アゾット国旅行記」及び「アゾット事典」という
内容になっていて深く関連しあっている。
つまり、読むとすれば2冊同時に手に入れた方が楽しい。
その「先代吉田傳次郎」や「アゾット国」については説明が面倒になるので
ここではあえて物語についての説明は避けることにするが、
ここに描かれているファンタジーは
昨今のハリーポッター的なファンタジーとは異なり
むしろ宮沢賢治と不思議の国のアリスを足したような
種類のファンタジーであるということができるかもしれない。
つまり、それを読むことによって、
自分のなかの想像力を拡げてくれるとでもいえるような類の物語である。
しかも、なによりも読後感がさわかやで、不思議な哀愁があり、
そこで感じとった不思議な問いのようなものがいつまでも残ることになる。
 
それでご紹介をかねて
この物語から得たひとつの問いを
ここに書き記しておくことにしたい。
 
         なぜ、この世のすべては回転しているのだろう?
         なぜなのだ?なぜ、この地球は回転している?
         その地軸は、螺旋形のコースをたどり、正確に7年をかけて、
        もと居た位置にたち還るという。そうしてまた同じようにそれが
        繰り返されてゆく。
         この劇場では、もちろんそんな地球の姿もどこかに発見できる
        だろう。それはなんとも孤独でいじましく、それでいて、どこか
        しらその頼もしさで、私の心を打つ。
         美しい回転。
         それは「自転」とも呼ばれ、言うまでもなく自ら回転し続けて
        いる。しかしいま一度書いておきたい。なぜなのだろう。
         そして、その自転のエネルギーは、はたして一体どこからやっ
        てくるのだろう。
        
         ーー私は、祖父の「日記」の中で、この「遊星オペラ劇場」の
        くだりが最も好きです。何度も読み、そして私もまた「自転」と
        いうものについて考えたりしています。
        「自転」とは何でしょうか?
         不思議なことに、人間が「自転」を試みると、なぜなのか「め
        まい」を起こしてしまいます。なにゆえ神様は、私たちに「心地
        よい自転」というものを授けて下さらなかったのでしょう?
         考えるうち、ふと私は祖父があの茅ヶ崎の海岸で口にした、
        「ここからいちばん遠いところ、それは自分の背中だ」
         という言葉を思い出していました。祖父は、あの「望永遠鏡」
        なるもので、水平線の彼方を望み、そこにひとつの「背中」を
        見つけ出していました。そして、「彼」hs「誰?」と思いきや、
        なんと「私」であったこと。地球をぐるりとひとまわりした視線
        が射たのは、私の背中であったと教えてくれました。
         では、この「背中」とは、いったい何なのでしょう?
        (・・・)
         地球が自転し続けるのは、彼もまた自分の背中を見たいからで
        はないでしょうか?
        (P215-216)
 
自分の背中を見るということは
いったいどういうことを意味しているのだろうか。
自分を見るということ、自分の背中を見ると言うこと。
 
宇宙が宇宙であるということ。
宇宙が宇宙として成立するためには
すべてが他者のない「一」であることを脱することが必要になる。
「存在」になるためには、他者が必要になる。
すべてが「私」であるとき、
「私」は「私」を見ることができない。
まして「私」の「背中」を見ることはできない。
 
私は、私である、である。
という永遠の謎は、
そこからも問いを続けることができるだろう。
 
地球が自転し、星雲が渦を巻き、
そして私が自分の背中を見ようとして永遠を求める。
 
それは、『クラウド・コレクター』の副題にもあるように
「雲をつかむような話」でもあるけれど、
その「雲」をつかもうとすることが
こうして生きているということなのかもしれないのだ。
 
『クラウド・コレクター』を読むということは
「雲をつかむような」ことでもあるのだけれど、
だからこそそこに不思議な愛着のようなものが
湧き起こってくるということもできるのかもしれない。
 
 

 ■風の本棚メニューに戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る