風のブックマーク2004
「物語」編

 

平山瑞穂『ラス・マンチャス通信』


2004.12.26

■平山瑞穂『ラス・マンチャス通信』
 (新潮社/2004.12.20.発行)
 
たまになんだかよくわからない話を読んでみたくなるときがある。
そう思って手にとってみる本の多くは、すぐに退屈になって、
読むのをやめてしまおうと思ったり実際にやめてしまったりもする。
教育的なにおいなどがでてきたりするととくに興ざめになってしまうが、
かといってあまりに殺人や血みどろ、感情どろどろの話になると
もうそれだけで疲れてしまうので読みたくなくなってしまう。
(そういえば関係ないが、疲れるというのはおそらく憑かれるということでもあって、
きわめて憑依を受けやすい状態になっているというか
実際に憑依されている状態だといえるのではないかと思う。
少なくとも本を読むことでそういう状態にはなりたくない。)
 
さて、ここでとりあげた本を最初に手に取ったのは、この作品が
今年の「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した作品という
きわめて安易な理由もあるのだけれど
まず「ラス・マンチャス通信」というタイトルと
表紙に使われている絵との関係があまりに?だったこと。
それから、「カフカ+マルケス+?=正体不明の肌触り」だということで
鈴木光司が「選考委員になっていちばん面白かった」作品として
帯に書かれてあったということ。
とはいえぼくは鈴木光司という人の作品はあまり好みではないので、
ハズレかもしれないけれど、ときにはそういうだまされかたもいいのではないか。
 
ということで読み始めたところ、期待していたのと近く、
最初はなんだかよくわからない話から始まり、
しかもその話がそのままわからないままに進行していくが、
つい先を読みたくなってしまって、
話の連続性についても必ずしも次の章以降で腑に落ちるのでもないままに、
結局最後まで一気に読まされてしまうことになった。
 
果たしてこれが、作者の実際の力量なのかわからないが、
空所というかよく説明されない部分が
ぼーんと半ば放り出されてあって、
ある意味で、全体が幻想的な詩編のような感じのままに、
不思議な形をもっているというのが
面白く読んでしまった理由なのかもしれない。
つまり説明されるところととされないところの
奇妙なバランスが「ラス・マンチャス通信」という
読んでしまってからも結局よくわからないタイトルのもとで
危ういかたちでとれているということなのだろう。
 
「お話」のたぐいを読んでいちばんしらけるのは
こちらの期待の地平というか想像をほとんど超えず
超えないどころかその想像のわずかのぶぶんを少し埋めただけという作品で、
逆に、しらけないけれどついていけないのは、
こちらの想像力をはるか超えているというか、
あるいはまったくねじれの位置にあって接点がないというか、
そういう作品である。
 
また、あまりに空所がなさすぎると、
こちらの想像力がフラストレーションを起こしてしまって
それなら読者としてのぼくの立場はどうなるのだ!という
怒りのようなものがわいてくるし、
あまりに空所が多いと、その「お話」の流れが
つかめないままにねむくなってしまう。
 
だから、読む人それぞれにとって、
同じ作品でもさまざまな評価がなされたりもすることになるわけだが、
そういう意味で、カフカ+マルケス+?という評は
カフカやマルケスを好んで読む人にとっては
ほどよいバランスが読む楽しみのなかで達成されやすい
ということがいえるのではないかと思うし、
ある程度は確かにそういう楽しみを持てる作品ではないかという気がしている。
 
 

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