風のブックマーク2004
「物語」編

 

上遠野浩平『ソウルドロップの幽体研究』


2004.9.2

■上遠野浩平『ソウルドロップの幽体研究』
 (祥伝社 ノン・ノベル 平成16年8月30日発行)
 
上遠野浩平の、新シリーズになるのかもしれない
「ペイパーカット」が主人公の話。
「ペイパーカット」はある意味で大人版の「ブギーポップ」。
「生命と同じだけの価値あるものを盗む」「ペイパーカット」。
おそらくこれからも登場してくるだろう
東澱奈緒瀬、保険会社の調査員、伊佐俊一、千条雅人といった
個性的なキャラクターも面白い。
 
ちなみに、『ソウルドロップの幽体研究』というタイトルの
「幽体」というのはとくにそんなに意味はなさそうである。
とてもささいなものかもしれないけれど
「生命と同じだけの価値あるもの」は
その人にとって「魂」そのものでもある、
そのことを「研究」するというくらいの意味だろうか。
 
上遠野浩平の作品は文学的にどうだということはいえないだろうし、
芥川賞やら直木賞やらといったものとはねじれの位置にあるのかもしれないが
下手なルーティーン化したファンタジーものよりは
ずっとイロニカルで白けずに読める。
 
上遠野浩平の他の物語でもそうなのだけれど、
お楽しみのひとつに「あとがき」がある。
今回の「天使を憐れむ歌」というサブタイトルがつけられた
「あとがき」も、物語の余韻とともに独特の香りがあっていい。
そのなかからひとつ。
 
	人はなぜ強くなりたいと思うのか、それは何かに負けて自分が
	弱いということを知ってしまったからだというーーー負けたり
	挫折したりしたことのない天使は、そもそも誰よりも強くあれ
	とか、何よりも優秀にとか、人並みでもいいから確実なモノが
	欲しいとか、そういう発想そのものそ持つ必要がなく、しかし
	もちろん、我々は色々と足掻かずにはいられないわけで、僕ら
	は等しく、心の中にいたはずの天使を喪っている。
	 だが、しかしーーー天使のままで居続ければ、それが一番良
	いのかというと、どうもーーーそういうことでもないような気
	もする。それがどんなに純粋で美しいものであっても、おそら
	くは寂しいということがどういうことかさえわからない、機械
	のような天使は、我々のささやかな喜びというものさえ理解で
	きないだろう。歌を聴いても、それのどこが素晴らしく、心を
	揺さぶるのかすらーーーいや、そもそも揺すぶられるものを持
	たないから、それは美しいのだろうから。
	(P259-260)
 
これを読んで思ったのはオリンピックのことだった。
メダル合戦とか日の丸とかは少しシラケルけれど、
どこか熱いものがそこにあるのに心を揺さぶられてしまうのは
それがある意味で、ここに引いたような意味で
天使的ではなく、とても人間的だからなのだろう。
弱さや強さ、挫折や成功、そういうものが見せてくれる
天使的ではない何か・・・。
 
映画「ベルリン天使の詩」の堕天使が
恋するがゆえに地上に落ち
熱い珈琲を啜るシーンが感動的なのもそれに似ている。
 
人間が人間であるということは
あえて堕天使であるということなのかもしれない。
天使のままでは得ることのできないものを得ること。
それはとんでもないエゴイズムなのかもしれないけれど
泥から蓮の花が咲くように、人間でなくては咲かない花があるはずだ。
そんなことを、神秘学は感じさせてくれる。
 
プラトンとかが芸術を否定的に見ず、
アリストテレスが詩学を論じる、その対比にも
人間であることの意味をそこに見ようとしているかどうか
その違いがあるのだろう。
 

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