風のブックマーク2004
「物語」編

 

ラルフ・イーザウ『パーラ』


2004.7.26

「物語」編■ラルフ・イーザウ『パーラ』
2004.7.26
 
■ラルフ・イーザウ『パーラ(上・下)』
 (あすなろ書房/2004.7.20発行)
 
ラルフ・イーザウの翻訳が続々。
訳者の酒寄進一さんはさぞ大忙しだろう。
つい先日、第9巻まで刊行の『暁の円卓』の第1巻・第2巻が
続けてでたところなのに。
しかも、今回の『パーラ』は
言葉遊びだらけで、さぞ苦しかったはずだ。
 
「下」の訳者あとがきにもあるが
これはエンデの『モモ』とルイスキャロルの『不思議の国のアリス』を
合体させたような感のあるファンタジー。
おそらく翻訳不可能の言葉遊びに対して、やはり
訳者の酒寄さん、作者と電子メールで細かいやりとりをしながら
日本語版オリジナルの言葉遊びを合作していったらしい。
 
しかしやはり読みながら繰り返し思ったのが、
苦しそうな訳だな、ということ。
その分、物語を楽しむことから気がそがれたところも
なきにしもあらず。
しかも、どうも作者があまりにも多作しすぎるからか、
せっかくの面白いストーリーが、説明されすぎるために
どうも興ざめになってしまうところもある。
表現されないがゆえの豊かさのようなものが
感じられにくくなっているともいえるだろうか。
あまりに完結されすぎている面白なさというか。
やはりエンデの『モモ』や
ルイスキャロルの『不思議の国のアリス』に比べるとちょっと。
 
とはいえ、言葉についての作者の意識的なあり方には共感させられる。
「コトバガリ」が人々から言葉を奪っていく・・・
しかもそれを人々は気づかないどころかそれに対して迎合していく。
そういうストーリーのなかに、さまざまな問題意識を投げかけている。
しかしそういう問題意識があまりにも出過ぎて
物語が説明的になりすぎてしまっているように感じたのが
今回の『パーラ』だった。
おそらく原語では言葉遊びがちゃんと機能していて
それでそういう説明的な部分の過剰的なところが
そんなに気にならないのだろうけど、翻訳ゆえのものは多々あるのだろう。
 
ラルフ・イーザウの作品は、これからもどんどん書かれ、
こうしてどんどん訳されていくことになるのだろう。
なかには今ひとつのものもでてくるだろうが
そのうち、これは、という作品が生み出されることを期待したい。
 
 

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